2.放射線のリスク評価に関する調査                           

III:放射線利用の新展開-これからの課題と対応、社会への働きかけ-
3.原子力・放射線分野の専門知識を持った人材を作ろう
(1)はじめに
(2)公共教育における原子力や放射線教育の必要性
(3)放射線専門家の教育が必要ではないか?
(4)放射線の専門家を育成する必要
-参考資料 1-

III:放射線利用の新展開-これからの課題と対応、社会への働きかけ-
3原子力・放射線分野の専門知識を持った人材を作ろう
(1)はじめに
 原子力や放射線の安全利用を推進するためには、一般人の原子力や放射線に対する理解を得ることが大切である。我が国では、多くのエネルギーを原子力に頼り、高度の医療を放射線の力を高度に利用しており、原子力や放射線のあるがままの姿を一般人に理解してもらう必要がある。しかし、小学校から大学まで、特殊な例を除き、国民の多くは、原子力や放射線に関する情報を教育から得ることはできないのが現状である。我が国が、世界で唯一の原爆被ばく国であることが、国民に原子力や放射線に過剰の恐怖を与え、「原子力(放射線)=リスク」という構図で捉えられ、教育の現場でも自然科学としてではなく社会科学として扱われる背景となっていることは間違いない。しかし、国民は、原子力や放射線に関する正しい知識をもって、その利用について正当な判断とそれに基づく行動ができるようにならねばならない。 そのためには、原子力や放射線の専門家がその実体を如何に一般人に伝えてゆく(リスクコミュニケーション)かが重要になる。このリスクコミュニケーションは、専門家から一般人への単なる情報伝達ではなく、双方向のものであることを十分に理解せねばならない。従来、専門家は、情報の受け手である一般人がリスクを正しく理解しないことが対立の原因であると考える傾向にあった。しかし、リスクコミュニケーションは、もともと一方的な情報伝達ではなく、意見や情報の交換を専門家・リスク管理者と一般人の間で互いにおこないそのプロセスを共有することが重要である。その意味で我が国の原子力行政および原子力に関わる産業界の対応は必ずしも充分でなく、専門家と一般人の間に大きな意識のずれがあったと認めねばならない。

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2)公共教育における原子力や放射線教育の必要性             
 リスク情報の送り手にはリスクを伝える意志があるのにもかかわらず、あるべきリスクコミュニケーションが実現されない原因は、リスク情報を送り出す専門家の側にも、情報を受け取る一般人の側にも存在することは明らかである。一般人が情報を受け取り、それを判断できる知識を獲得することが、すべてにおいて重要である。そのためには、初等教育から高等教育を通じて情報が広く国民に伝えられるべきである。公共教育で原子力や放射線に関した教育をおこなうことに、異論を唱える教育専門家が少なからずおられることは、承知している。しかし、我が国がエネルギーの多くを原子力に頼らざるを得ない現実とともに、唯一の原爆被ばく国であり恒久的平和を望む国民の責務として、公教育における原子力や放射線教育の充実を願うべきではないだろうか。
 宇宙に存在する万物は、放射線エネルギーが源である。物理反応、化学反応、生物反応のどれをとっても、その物質の構成成分である原子や量子の振る舞いを解析せずに深く理解できるはずはない。20 世紀の科学黎明期には、原子力や放射能の研究がその牽引役を努めたが、その役割は依然終わってはいない。最近は、応用科学に偏重した教育や研究が重視され、それはヒトを物質的に豊かにするが、ヒトを精神的に豊かにしない。ものの根源に迫る基礎研究がヒトの心を豊かにする。

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(3)放射線専門家の教育が必要ではないか?
 多くの場合、放射線コミュニケーションの相手は、一般人と考えられがちであるが、本当にそうであろうか?私は、自分のこれまでの経験と各地から報告される反原発運動の内容を聞いていると放射線リスクコミュニケーションの相手は、一般人ではなく、科学者や社会のリーダーではないかという思いを強く持っている。
 放射線の生体影響の標的が遺伝子本体であり、放射線による遺伝子破壊が確率的事象であることから、放射線はどんなに少量でも危険であると考えられている。そのため、いわゆる放射線の専門家でさえもどんなに低線量でも放射線を恐れるべき対象と考えている人が少なからずおられることは間違いない。ここでいう“専門家”とは社会からみたとき放射線の生体影響の仕組みを理解している人達とみなされる集団のことを指している。例えば、医師や放射線技師、原子炉をはじめとする放射線利用施設では放射線管理実務者、大学・研究所では、原子力、放射線と名のつく研究に係わるすべての研究者のことである。これらの¨専門家¨が放射線のリスクに対してどのような知識を持って、どのような理解をしているのかかなりの幅があると思われる。医師に対するアンケートや医師から説明を受けた患者の話などから考えると、医師であっても一般人と同じ程度の知識レベルで、放射線についての正しい知識をもちあわせていないことが多いことに驚く。従来、リスク認知については、一般人の理解不足を指摘されることが多かったが、情報の送り手であるべき「専門家」のリスク認識こそ俎上にあげられる必要がある。
 専門家と言われる人が放射線を正しく理解していない場合、その社会的影響は大きい。勿論、多くの一般人は、原子力や放射線について多くを知らない。また、放射線防護基準に関する国際的勧告を行っている国際放射線防護委員会(ICRP)の存在もほとんど知らないだろうし、年間 50mSv とか 20mSv といった被ばく限度線量の存在やその意味を知らないだろう。だから、知らないものを恐れる感覚は強いに違いないが、積極的な反対論者ではない。
 私は、放射線生物学を志して、今まで 38 年余りを放射線の生体影響の機構に関する教育と研究に従事してきた。私が、この研究分野を選んだ大きな理由は、大学の恩師が授業で見せてくれた被ばく直後の長崎のパノラマ写真がきっかけである。その写真には、昭和 20 10 月中旬に、今の長崎大学医学部(西山)のあたりから浦上地区が撮影されていたが、私の目を奪ったのは、その写真に、煙を上げながら走っている蒸気機関車が写っていたことである。私は、目を疑ったが、原爆投下後 70 年間は、放射能の影響で草木はおろかあらゆる生物が生きられない死の世界であろうと予想されていたという話とずいぶん違うことに驚くとともに人はなんと逞しいのかと感じた。恩師は、放射線の生物影響の仕組みを解説した後に、「被ばく地には被ばく直後から多くの人が住み続けている。放射線の影響の特徴を考えると、その人達が放射線の影響で将来様々な疾病、特にがんに罹患するのではないかと心配である」と言われた。それは、昭和 45 年頃だから、既に被ばく後、四半世紀を過ぎていたが、その話を聞いて、放射線の発がん機構を研究して、発がんを抑制する技術を開発し役立ちたいと思った。しかし、残念ながら、未だに、放射線発がんの機構を解明するに至っていない。こういうことから、私自身、いつの日か、長崎大学か広島大学で教授になりたいと思っていたが、幸い、17 年前に長崎大学薬学部の放射線生命科学研究室の教授として招聘され、その後、14 年間長崎で教育と研究に携わることになった。そこで、目のあたりにしたのは、大学の教授でさえも、多くが放射線や原子力に偏見を持ち、極めてヒステリックに行動するということであった。

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(4)放射線の専門家を育成する必要
 我が国の国民が放射線や原子力の正しい認知を持つためには、それに関わる関係者が情報を共有し、正しい判断とそれに伴う行動ができるようになることが重要である。特に、一般人に限らず多くの人が放射線を危険と思う原因は、その生物影響リスクの本体を理解していないところに原因があると思われる。そのために、放射線影響の専門家を育てる必要がある。しかし、誠に残念であるが、我が国では、平成初期から進んできた大学の改革の波の中で大学における放射線生物学や影響学を担当する講座がほとんどなくなってしまった。すこし古い資料であるが、全国の旧国立大学の医科系大学及び大学院における放射線生物あるいは放射線影響学に関する講義を担当する講座の名称変更動向を参考資料 1 に纏めてみた。この資料で明確に判ることは、平成 3 年度にほとんどの医学部にあった放射線基礎医学講座が全くと言っていいほどなくなってしまったことである。工学部では、原子力の名前を冠した講座がほとんどなくなったと聞く。この理由は、放射線や原子力と言った単語には、暗いイメージが伴い学生が入室しないことを回避する手段とか、大学改組に伴いより先端技術を志向した結果と説明されるが、いずれも説得力はない。ただ、10 年後には、我が国には、放射線影響の基礎を支える教育と研究拠点が消失し人材の育成は全く期待できないことである。こうした傾向は、世界的なもので、欧州でも、米国でも同様にみられている。
 こうした状況に対応し、それなりに成果を上げている試みが、参考資料 2 (略)にあげる欧州における放射線生物学の大学院システムである。その設置目的は、古典的および先端的な放射線生物学の知識を持った放射線防護や放射線医療の専門家を育てる人材を育成することとされている。このプログラムは、1993 年から実施されており既に 100 名近い放射線生物学修士を輩出している。私は、この試みに大変興味を持って、長崎大学時代に私の学生を特別に受け入れてもらってロンドン大学の修士号を取得させた経験がある。目的にも書かれているように、欧州連合に所属する国でも、一国で、放射線生物学の基礎知識を持った大学院生を指導することは困難であり、参加する国の放射線生物学、放射線化学、放射線物理の専門家が協力して教育にあたっている。現在、参加する施設は、英国のグレイがん研究所、ユニバーシテイカレッジロンドン、ライデン大学、ルーバインダ医学、ミュンヘン大学およびザルツブルグ大学である。学生は、ユニバーシテイカレッジロンドンを拠点に 23 週間ずつ、それらの大学を移動し、専門家から放射線物理、放射線化学、放射線生物、放射線医学などの講義を受け、9 ヶ月後に実施される試験に受かると、研究実習をおこない、最終口頭試験にパスするとロンドン大学から学位を授与される。毎年、各国から 1 名の学生を受け入れ、最大 12 名の定員である。担当者に聞くと、卒業生の多くは、各国で、大学、病院あるいは行政機関に職を得て、放射線生物学の知識を生かして活躍しているということである。同窓生が、異なった国で同じ職に就くことで、みずから国際協力の基盤となっているということであった。このプログラムが始まったばかりの頃は、こうした形態の大学院に批判的な意見も多く、このプログラムをリードされていたトロット博士もずいぶん苦労をされたということであった。15年を経た、今、やっと実を結びつつある。

The overall aim of the European MSc course in radiation biology is to maintain and expand the expertise within Europe in the radiobiological basis of radiation protection and of radiation oncology and to produce experts with a sufficient breadth of knowledge in all areas of classical and molecular radiation biology. No single institution in Europe could run such a course. Therefore, a cooperative action of several universities from different EU member states has been developed for this purpose. (http://www.gci.ac.uk/usr/mscourse/home.html)

  我が国でも、平成 17 年度に東京大学原子力研究総合センターに日本原子力研究開発構と協力し放射線技術者の専門職大学院が原子力産業界や安全規制行政において指導的役割を果たす原子力専門家を養成する専門大学院が開設された(http://www.nuclear.jp/professional/)。しかし、放射線防護や放射線医療の現場で活躍する専門家の養成システムはまだ整備されていない。この分野の専門家は、我が国ばかりでなく、原子力発電の需要が見込まれるアジア各国で必要とされる放射線防護の専門家や放射線を使った高度技術者の養成で国際貢献が可能となるであろう。私は、歴史的に放射線に関する基礎科学を担当する学部と研究所、センターを要する京都大学は、放射線の基礎科学の分野で、放射線影響に関する国際的教育と研究を担当するべきであり、そのための大学院の設置強く望みたい。

 
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-参考資料1-
全国の医科系大学及び大学院における放射線生物あるいは放射線影響学に関する講義を担当する講座の名称変更動向

大学名

平成 3 年度の時点

平成 13 年度現在

講座(学科目)名と講義名

専攻、講座(学科目)名と講義名

北海道大学

医学部—医学科ー放射線医学

大学院医学研究科—高次診断治療学専攻—病態情報学—放射線医学(大学院医学研究科—放射線腫瘍学講座と放射線生物学講座は協力講座)

○獣医学部—獣医学科—獣医放射線学—放射線生物学

大学院獣医学研究科—獣医学専攻—環境獣医学—放射線学

東北大学

医学部—医学科—放射線科学

大学院医学研究科—医科学専攻—病態制御学講座—量子診断、量子治療分野

○医学部—医学科—放射線基礎医学

大学院医学研究科—医科学専攻—細胞生物学—ゲノム生物学分野

○抗酸菌研究所—放射線医学研究

抗酸菌研究所—機能画像医学研究分野

千葉大学

医学部—医学科—放射線医学

大学院医学薬学教育部—先進医療科学専攻—病態医科学講座—放射線腫瘍学

東京大学

医学部—>医学科—放射線医学

大学院医学研究科—生体物理学専攻—放射線医学—放射線診断学、放射線治療学

医学部—医学科—放射線基礎医学

大学院医学研究科生体物理学専攻放射線医学基礎放射線医学

医学部医学科放射線健康管理学

大学院医学研究科社会医学専攻量子環境医学

金沢大学

医学部医科学放射線医学

大学院医学系研究科がん医科学がん制御学バイオトレーサー診療学

医学部医科学核医学

大学院医学系研究科循環医科学血管病態制御学経血管診療学

○薬学部製薬化学科放射薬品化学

薬学部薬学科分子細胞薬学講座放射線生物学

名古屋大学

医学部医学科放射線医学

大学院医学研究科分子総合医学専攻高次医用科学量子医学、量子介入治療学

京都大学

医学部放射線医学

大学院医学研究科内科系専攻放射線医学

○医学部放射能基礎医学

大学院医学研究科分子医学系専攻遺伝医学放射線遺伝学

大阪大学

医学部医学科放射線医学

大学院医学研究科生体総合医学専攻生体情報医学

○医学部医学科放射線基礎医学

大学院医学研究科生体制御医学専攻遺伝医学

神戸大学

医学部放射線医学

大学院医学研究科生体情報専攻放射線医学

○医学部放射線基礎医学

大学院医学研究科医科学専攻分子細胞生物学細胞生物学

岡山大学

○医学部医学科放射線医学

大学院医歯学総合研究科病態制御科学専攻腫瘍制御学放射線医学系診断治療学

広島大学

医学部医学科放射線医学

医学部医学科放射線医学

山口大学

医学部医学科放射線医学

医学部医学科構造制御病態学放射線・画像診断

九州大学

医学部医学科放射線医学

大学院医学研究院機能制御医学専攻医学生物物理学臨床放射線科学

○医学部医学科放射線基礎医学

大学院医学研究院機能制御医学専攻医学生物物理学基礎放射線科学

○薬学部製薬科学科放射性薬品学

大学院薬学研究科創薬科学専攻病態分子認識化学

長崎大学

医学部医学科放射線科学

大学院医歯薬学総合研究科放射線医療科学専攻

放射線生命科学講座

歯学部歯学科放射線科学

○薬学部薬科学科放射線生命科学

○医学部附属原爆後障害医療研究施設

放射線障害医療学講座

  1. ○印は、主に放射線生物学や影響学の基礎に関する教育を行っている講座。
  2. 平成 13 年には、多くの大学が重点化(大学院重点化)されたことに伴って教員の所属が大学院研究科に移っている。旧帝大では、重点化と言うが、それ以外の大学では、大学院の部局化と言われることが多い。その再編にともない多くの放射線科学や放射線基礎医学講座は、名称を変え、放射線生物学や放射線影響学を連想できなくなっていることが判る。変った直後は、担当教員が従前のままであるので一応、従来通りの教育がなされるものと思うが、次の教授人事においては、全く放射線生物学と関係ない先端研究を行っている人が選ばれることが極めて多いと思われる。
  3. 臨床系の放射線科学であってもその内容が判らなくなっている。
  4. こうした傾向は、医科系に留まらず、工学系では、原子力が量子と言うように名称変更されている。
  5. 長崎大学は、平成 14 年から大学院部局化の予定であるが、医学、歯学、薬学及び熱帯医学研究所、医学部附属原爆後障害医療研究施設が統合された医歯薬学総合研究科に再編し、その中に医療科学専攻、新興感染症病態制御系専攻、放射線医療科学専攻及び生命薬科学専攻の 4 専攻を設置した。

放射線リスク評価について 

I. 放射線生物学の成果にもとづく放射線発がんのリスク評価

II. 放射線(原子力)リスクの正しい認識のために

III. 放射線利用の新展開-これからの課題と対応、社会への働きかけ-
   3.専門知識を持った人材を作ろう-EUの大学院教育-
   4.医療従事者および患者の放射線被ばく 


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