2.放射線のリスク評価に関する調査                              

III:放射線利用の新展開−これからの課題と対応、社会への働きかけ−
4.「リスク評価のための指標」を再評価する必要性に関する研究
   −過去の事例についての調査−
(1)はじめに
(2)今回の調査の概要
(3)原子放射線から電離放射線に変わったことによる影響
    1)調査研究のための作業仮説
    2)混乱の一例
    3)時代背景−環境の放射能汚染−
    4)国連科学委員会の発足−消えた原子放射線
    5)日本代表 都築正男の感想
    6)もう一つの時代背景
    7)1958年第一回国連科学委員会報告書
    8)科学者と一般人のずれ
(4)自然放射線との付き合い方
    1)クラーク博士の問題提起
    2)自然放射線を巡る混乱

III:放射線利用の新展開−これからの課題と対応、社会への働きかけ−

4.「リスク評価のための指標」を再評価する必要性に関する調査研究
       ―過去の事例についての調査―

(1)はじめに

 放射線リスクを評価する指標として、現在、「がん死亡の生涯リスク」など、「がん」に関係した指標を用いることが多い。従来これがうまく機能したのは、誰もが、がんは避けたいものと考えていると見なして、当たらずとも遠からずであったからである。
 
ところが最近、この風潮に変化が見えてきた。(人間いずれ死ぬのだから)どうせ死ぬなら、がんで死にたいという人が意外にたくさんいるのである。その理由は、察するところ、ターミナルケアの発達で、がんはかつてのように激痛に苦しみながら死んでいく病気ではなく、眠るようにして死ねる時代になった。また、駄目と分かってから死ぬまでにほどよい時間がある(後始末をする時間がある)。長く寝たきりになって周囲の人を介護疲れにすることも割合少ない、などであろう。
 がんおよびがん死に対するこうした意識の変化は医療技術の発達と高齢まで健康に生きる人が増えたためであろうから、本来は祝福すべき現象である。しかし一方で、「人々の真の望み」と(それを定量的に表現したと仮定されている)「現在の指標」のあいだのギャップを広げる。そしてこの種のギャップは、今回の研究で明らかにした過去の事例のように、場合によっては深刻な混乱を引き起こす可能性がある。
 がんおよびがん死に対する意識の変化は、高齢化の進み具合と医療の状況から考えると、日本は世界の先頭を切って進んでいるものと思われる。にも拘わらずわれわれは、このあたりのことについて、ほとんど何も情報持っていない。転ばぬ先の杖である。できるだけ早めに調査研究に取りかかる必要がある。 とはいえ、これは今までになかった新しい研究である。研究のやり方自体も既成の方法だけでは間に合わないかも知れない。従って、
これに関する本格的な調査研究はかなりな規模になると思われるので、きちんとした研究計画に基づいて組織的に活動する必要がありそうである。
 当然、これは私一人の手に余ることなので、ここでは、こういう問題が存在することをアピールするにとどめる。そして、そのアピールの一環として次の調査を行った。 *本稿は、放射線防護の歴史から、この研究の参考になるような、後々まで強い影響を与えた事例を選び、「真の望みとその指標との間のずれが招いたと思われる混乱」について調べたものである。
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(2)今回の調査の概要
 
「自然放射線に害はない」という根強い意見―「原子放射線と電離放射線の違いがもたらしたもの」
 この調査は 1950 年代の、国際連合・原子放射線の影響に関する科学委員会 United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic RadiationUNSCEAR)の動きを中心に、原子放射線 Atomic Radiation という語の使われ方を見たものである。しかし、現在ではすでに、この語はこの委員会の名前に残っている他は廃語に近く、「原子放射線と電離放射線の違い」そのものが、見えにくくなってしまっている。そこでここでは、最初にそのあたりの様子を明らかにした。
 次はその「違い」というのは具体的には何か?である。これは明確に定義されてはいない「原子放射線」ということばの内容に依存するが、当時の社会状況を合わせて考えると、「原子放射線」というのは核兵器の爆発実験など人工的に起こした核分裂に伴って発生する放射線のことであったろう。そうだとすると、原子放射線には自然放射線は含まれていなかったはずである。(3.1)(3.2
 ところで「自然放射線に害はない」という意見は、当時も今も一般の人の間に広く普及していて、科学者たちが啓蒙活動を行う際の重要な標的になっている。しかしわたくしは、この「ステ−トメント」を科学用語を用いて述べたステートメントであるかのように解釈して、誤りだと言い立てるのは、偏狭な話であると思う。その心情を汲んでそれが正しく伝わるように翻訳すれば(広島、長崎あるいはビキニで明らかなように原子放射線には害があるが、自然放射線にそういう害はない)「自然放射線は原子放射線ではない(=この
2 つは区別して扱うべきもの)」と主張しているというべきであろう。(3.1)(3.2

 電離放射線と原子放射線の違いに由来する、「本当の望み」と「指標」との間のギャップは、自然との付き合い方に関しても、最近になって大きな問題になっている。
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3原子放射線から電離放射線に変わったことによる影響
1)調査研究のための作業仮説
 
国際連合が原子放射線の影響に関する科学委員会(UNSCEAR)を設置したとき(1958
a 人々が恐れたのは「原子放射線」であり、人々の望みは「原子放射線による障害防止」であった。
b 現実に推進されたのは遺伝線量を指標とした「電離放射線による遺伝影響の防止」であった。
c 1977 年からは実効線量当量を指標とした「電離放射線による確率的影響の防止」であった。
d
 1990 年からは実効線量を指標とした「電離放射線による確率的影響の防止」であった。
 この一見わずかな違いが、一般人の間に、大きく、根深い混乱を招いた。
2)混乱の一例
    2 参照)
3)時代背景−環境の放射能汚染−
  2 次世界大戦が終わる直前の 1945 7 16 日、アメリカはニューメキシコ州で原子爆弾の爆発実験を初めて行い、それから 1 月もたたない 8 月上旬に広島、長崎に原爆を投下した。こうして核爆発による人工放射性物質が地上に散布されることになった。
 核爆弾の開発は戦争が終わってからも続けられ、アメリカは南太平洋のビキニ環礁で爆発実験を行ない、1949 9 23 日にはソビエトの実験がはじまり、さらに 1952 10 3 日にはイギリスがこれに加わり、フランス、中国と続く。
 こうした核爆発実験、特に、大気圏内で行われた爆発実験では、放射性物質は対流圏を超えて成層圏にまで吹き上げられ、地球全体をおおうように広がり、放射性降下物(ラジオアクテイブ・フォールアウト)として全地球的な規模で降ってきた。
 大気圏内の核爆発実験には 3 回のピークがある。その最初は 1951 年から 54 年で、63 回、合計61 メガトンの爆発が行われた。2 回目のピークは 56 年から 58 年の 169 回、89 メガトン、3 回目は 61 年から 62 年の 177 回、257 メガトンの爆発である。(UN2000
 なお、1962 年の 8 月にいたり、ようやく部分核実験停止条約が成立して米英ソ 3 国の大気圏内核実験は停止され、それを境に世界中の人工放射能レベルは急速に減少した。この減少傾向は 1964 年の中国の参入で一時鈍ったが、1981 年以降は、もしあったとしても地下核実験のみとなった。
 結局のところ、大気圏内核実験は合計 543 回、440 メガトンの爆発であった(UN2000)。
 このうち 1954 3 1 日、南太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水素爆弾実験は、わが国にとっては特別なものとなった。たまたま、ビキニ環礁に近い海域で操業中だった、静岡県焼津のマグロ漁船第五福竜丸が強い放射性降下物によって汚染され、その結果、乗組員 23 名が放射線症や放射線火傷になったのである。しかも不幸なことにそのうちの一人、久保山愛吉が死亡した。この放射性降下物は「死の灰」とよばれ、この水爆実験によるビキニの灰の問題は、日本と米国の二国間だけのことではなく、局地的というよりも地球の広範囲に亘って、大気と海洋の放射能汚染が生じて、大きな国際問題となった。
4)国連科学委員会の発足―消えた原子放射線
 こうした状況は、各方面に鋭い危機感を誘発した。国際連合は、1955 12 3 日の総会決議「人体とその環境に対する原子放射線の影響に関する情報の調整と普及」によって国際連合・原子放射線の影響に関する科学委員会 United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic RadiationUNSCEAR)が発足した。
 その様子をここで見よう。

「国連第 10 総会第 59 議題『原子放射線の影響』に関する件」
(1)決議案の成立
 1955 年 11 月 7 日、国連第委員会はさきに、オーストラリア、カナダ、連合王国および米国が共同提案し、後に、デンマーク、アイスランド、ノールウェー、スウェーデンが共同提案者に加わった『人体とその環境に対する原子放射線の影響に関する情報の調整と普及』と題する決議案を採択した。
(2)経緯
 この 8 力国共同決議案に対しては、インドが設置きれるべき委員会の名称を『特別技術委員会」とすること、委員国にエジプト、メキシコを加えること、国の代表を 1 名に限らないこと、特に日本の招請をうたわないこと等の修正案を提出していた。
 またソ連は決議の前文に原子兵器の禁止と国際管理をうたうこと、委員国に中共とルーマニアを加えること等の修正案を提出していた。
(3)本会議の採択
 1955 年 12 月 3 日国連総会は本会議において、上述の経緯と決議に関する第 1 委員会の報告(1955 年 11 月日付 A/3022)を満場一致 で採択し、これを第 10 回国連総会決議『原子放射線の影響』913(X)とした。


 その決議の始めの部分を以下に引用する。
(外務省国際協力局第四課編.昭和 30 年 12 月 14 日、協四資第 19 号)
第 10 回国連総会決議『原子放射線の影響』に関する件 
総会は
人体とその環境とに対する電離放射線の影響に関する問題の重要性とそれに関する一般的の関心が高まっていることを認め、電離放射線の人体とその環境とに対する短期および長期の影響に関し放射線レベルならびに放射性降下物をも含めて、すべての科学的資料を最も広く周知せしむべきであると信じ、これら問題の研究が各国で行われていることを認め、世界の人々がこの問題について、さらに、充分に、知らさるべきであると信じ、
1. アルゼンティン、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、チェコスロヴァキア、エジプト、フランス、インド、日本、メキシコ、スウェーデン、グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国、アメリカ合衆国およびソビエト社会主義共和国連邦からなる科学 委員会を設置し、かつ、これらの政府に対し、この委員会において、自国を代表する科学者 1 名を、適当数の代表代理および顧問等とともに、それぞれ指名するよう要請する。
2.この委員会に対し、つぎのことを要請する。
(a)国際連合加盟国または専門機関加盟国より提供される放射線に関するつぎの資料を受理し、適当な、かつ、有用な形にまとめること(以下省略)。
5)日本代表 都築正男の感想
  国際連合・原子放射線の影響に関する科学委員会について、日本代表の都築正男は、次のように書いている。
 「相ついで行われた原子核兵器の爆発実験の際、周到な注意をもって行えば、実験場附近の直接の障害的影響は、かなり予防し得られるとしても、強大な爆発力によって、成層圏高く吹き上げられた放射性の細塵は、分量的の分布は多少異なるにしても、地球面上に、まんべんなく、落下して来るものであり、それらの放射性物質の分量はただちに人類に対して認め得べき障害を与えないとはいえ、長期にわたって、作用し得るものとするならば、何等かの影響は起り得るものと考えるのが至当であろう。
 このような関係から放射能の生物学的影響如何の問題は、漸次、世界中の人々の関心の的となって来たので、たとえ、結論的には解決し得ないにしても、現在の段階における真相だけでも明らかにできないものか、との考え方から国連の科学委員会は成立を見るに至ったものと考えてよかろう」。
 この文章は後でアメリカの科学者と比べてみたい。
6)もう一つの時代背景
 一方、科学の世界ではその 20 年ほど前から、現在の環境問題にかかわる事実が次々に発見されていた。まず 1927 年、アメリカの遺伝学者マラーは、X 線がショウジョウバエに突然変異を起こすことを発見。翌年 1928 年にはアウエルバッハが化学物質でも同じことが起こることを示し、1930 年になるとアルテンブルグが紫外線でも突然変異が起こることを見つけている。
 ところでショウジョウバエの実験で分かった多数の事実の中で、この章にとって重要なことは、X 線量と突然変異の発生率との間に認められた正比例の関係である。正比例では、X 線がゼロのならない限り突然変異もゼロにはならないから、X 線による突然変異の発生には、しきい値がないといえる。つまり、遺伝影響では、第 4 章で話題にした数々の傷害と違って「どれくらいの量までなら安全か」という議論ができなくなることを示している。さらに、X 線量が同じならば線量を何回に分割照射しようが、線量率を低くして長期にわたり連続照射しようがまったく関係なく、同じ数の突然変異が出ることになる。いいかえると、遺伝影響の大きさは「誰がいついくら浴びたかではなく、それぞれの人が長い間に浴びた放射線の量と浴びた人数の積で決まる」ことになる。
 放射性フォールアウトで人類が危うい。
 この点、全世界の人に降りかかってくる放射性降下物は、浴びる人数が極端に多いだけに、また四六時中放射線を出しているだけに、一見微量のように見えて、その実、最悪である。放射性フォールアウトが増えると、その遺伝影響で人類の未来は危ういかも知れない。
 1955 年、米国科学アカデミー(NAS)は、原子放射線(atomic radiation)の生物影響(BEAR)委員会を設置してフォールアウトの影響とくに遺伝影響についての調査を開始し、1956 年には結果を報告した。それによれば、「フォールアウトによる被曝はまだ憂慮すべき水準にまでは達していない。しかしフォールアウトによる全世界の人の被曝の可能性を考え、また一方でますます増える核兵器産業従事者のことを考えると、次世代への影響を考慮して職業人の線量の制限の強化が必要である」。
71958年 第一回 国連科委員会報告書
 この報告書で重要なことは、原子放射線の調査をするはずだったこの委員会が、実際に調査したのは電離放射線だったことである。
 国連科学委員会報告書(1958Chapter 1 INTRODUCTION の第 4 項は、当時の原子放射線と電離放射線との存在感を比較するのに手頃である。
4. Progress in experimental physics since the beginning of the twentieth century has also brought about new sources of radiation such as man-made radioactivity and powerful accelerators. Following the discovery of nuclear fission in 1939 and its applications, radiation hazards and protection problems increased very extensively and the atomic explosions in Hiroshima and Nagasaki caused many human deaths from radiation. The contamination of the environment by explosions of nuclear weapons, the discharge of radioactive wastes arising from nuclear reactors, and the increasing use of X-rays and of radioisotopes for medical and industrial purposes extend the problem to whole populations and also raise new international questions. In 1955, the General Assembly of the United Nations decided to include in the agenda of its tenth session an item entitled "Effects of atomic radiations".
  2 章概論 3 項では次のように述べている。
 「委員会が取り上げる放射線とは X 線、中性子、陽子、宇宙線および放射性物質から出る放射線である」と宣言して、調査対象が電離放射線であることを明確にしており、後年の報告書には全部「電離放射線の・・」というタイトルを付けている。

8)科学者と一般人のずれ
 アメリカでは1955年、原子力委員会がフォールアウトの影響調査を National Academy of ScienceNAS)に対して依頼した。この依頼には「とくに遺伝影響についての調査」と明記されている。NAS は直ちに Committee on the Biological Effects of Atomic Radiation(原子放射線の生物影響に関する委員会、BEAR)を設置して調査を開始し、1956 年に結果を報告した。
 ここで注目すべきは原子放射線をめぐる科学者と一般人の認識のずれである。あの激しい冷戦のさなかに国連科委員会が設立され、立派に運用されたのは、世界中の人が「Atomic Radiation、原子放射線」に対する恐怖心を共有していたからに違いない。
 しかし、これらの委員会がテーマにしたのは「電離放射線」であった。UNSCEAR は最初の報告書ですでに「委員会が取り上げる放射線とは X 線、中性子、陽子、宇宙線および放射性物質からでる放射線である」と宣言して、調査対象が電離放射線であることを明確にしている。また後年の報告書には全部「電離放射線の・・」というタイトルを付けている。
 BEAR 委員会はもっと積極的に、委員会の名まで BEIR に変えた。略称の中の A I に変わったのは atomic radiation ionizing radiation に変わったためである。
 この問題はまた、国際連合を動かし、1955 12 3 日の総会決議「人体とその環境に対する原子放射線の影響に関する情報の調整と普及」によって設けられた国際連合・原子放射線の影響に関する科学委員会 United Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic RadiationUNSCEAR)は、その最初の報告書を 1958 7 月、総会へ提出した。ここで重要なことは、「原子放射線」(原子爆弾の爆発に伴って発生する放射線のことを考えていたのであろう)の調査をするはずだったこれらの委員会が実際に調査したのは「電離放射線」であったことである。健康影響を問題にするなら「原子放射線」だけを取り上げても不十分であるからであろう。UNSCEAR は最初の報告書ですでに「委員会が取り上げる放射線とはX線、中性子、陽子、宇宙線および放射性物質からでる放射線である」と宣言して、調査対象が電離放射線であることを明確にしており、後年の報告書には全部「電離放射線の・・」というタイトルを付けている。BEAR 委員会はもっと積極的に、委員会の名まで BEIR に変えた。略称の中の A I に変わったのは atomic radiationionizing radiation に変わったためである。 (注:私見では、核兵器反対の重要な武器であった「原子放射線反対」がいつの間にか「電離放射線反対」になってしまったところに放射線問題の悲劇があるように思われる)。
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4)自然放射線との付き合い方
1)クラーク博士の問題提起
 国際放射線防護委員会のクラーク委員長(当時)は、1999 年の論文(Control of low-level radiation exposure : time for a change?)で、次のように述べている。
 「多くの国で土地の放射能汚染がかなり問題になっている。チェルノブイリのように事故放出によるものもあれば、大気中核実験によるものもある。また過去のラジウムの夜光塗料施設によるものや廃液の過度の放出によるものがある。
 現在とくに問題なのは原子力施設(古い原子炉や兵器製造工場)の廃止措置である。それには費用がかさむ。そして残留汚染を低レベルに抑えるのにあまりにも金を掛け過ぎると考える人たちがいる。汚染した土地をそのままにしておくと社会問題になって、国によっては環境リスクが大きすぎるという理由で訴訟になるだろう。
 このような問題があるので、出費を減らすために線量−反応関係にしきい値が あると主張する人たちからの圧力が増しつつある。この場合の問題は主に公衆被ばくであって職業被ばくではない。
 
いま一つの問題は、集団線量の問題であって、それは極微な線量を、事実上無限大の人口につき、かつ地質学的な長時間にわたって総和することであり、将来を守るために今日、莫大な資材を当てるだけの価値があることなのかが議論されている。この問題には ICRP はすでに取り組んでいて、Pub. 77 を出して、集団線量を 1 本に纏めないで、個人線量の大きさと被ばく時間によって、いくつかに区分することを勧告している」。
 クラーク博士の問題提起はまだある。
 「単純な比例関係は実用上重要な意味をもつ。というのは、ある臓器や組織中の線量について、その臓器や組織の全体にわたって平均値を出すことが可能であり、異なった時点に受けた線量を足しあわせることができ、一つの線源からの線量を他のいくつかの線源と切り離して扱うことができるからである。
 このような実用上の意義は、放射線防護上、とくに重要であって、それは、線量には場所的時間的に分布するゆえの複雑さがあり、また自然放射線源は至る所に存在するからである。仮にしきい値をもったいくつかの関係式が放射線防護の世界に広く適用されるとすると、非常な困難が持ち込まれるはずである。
 確定的影響に関してはいくつかのしきい値が存在するけれども、防護で問題にされる線量レベルは一般にそのようなしきい値よりも十分に低い。
 そうではない場合、例えば放射線治療の場合には、一つの線源が圧倒的に強いので、他の線源との関わりは無視することができる。
 広くしきい値関係があるとした場合に起こるであろう複雑さの一例を擧げれば、職業被ばくと自然線源による非職業被ばくとの間の結びつきが出てこようし、また個々の作業者の診断のための医療被ばくがあろう。
 リスクを抑えるためにはその人が受けた線量のすべてを記録する必要が出てこようし、しきい値があれば、計画によって防護することはほとんど不可能である。  
 ここにきてますます科学は国の科学アカデミーではなく、むしろ法廷で裁かれるようになった。判事と陪審員こそが問題の決着をつけるようになり、従って、しきい値が存在するので低線量でのリスクは存在しないということについて説得しなければならない相手はそのような人たちである。
 すでに述べたように、リスク評価に当たっては、生物学上の理由と疫学的理由により不確かさが存在する。もちろん、どんな被ばくも、自然バックグラウンド放射線 による年間 23 mSv の線量の上に追加されるものであることを忘れてはならない。
 決定的な科学的証拠がない状態がつづく中にあって、防護に対する新しい道を考え出すことはできるのではなかろうか」。
2)自然放射線を巡る混乱
 クラーク博士はまた、次のようにも述べている。
 ICRP では、放射線防護体系において、行為(線量とリスクを増やすもの)と介入(線量とリスクを減ずるもの)をはっきり区別してきた。
 線量限度は、ある限られた範囲の線源や条件のもとでの線量の総和に対して適用されるが、それはしばしば、安全と不安全の境界を意味するものと誤解されている。
 とりわけ公衆の被ばくに関しては、家屋内のラドン対策レベルを年間 3 ないし 10move に決めようとする場合に、年間線量限度 1move の適用に関しては混乱が生じる。
 そして事故が起こると、その時公衆は防護されることを期待するだろうが、そのときには線量限度は適用されず、線量が 5 ないし 50 mSv の範囲に入りそうにないうちは、介入は行われない。
 放射性核種の使用に関していえば、個々の線源からの防護規制として、ICRP は個人最大線量拘束値0.3mSv/y を勧告している。そして事故の場合、被ばくを減らすための行動をとるための介入レベル(複数)が提案されているが、介入行動を止めるための国際的手引きはまだない。
 どのあたりの線量レベルになれば通常の暮らしを再開できるのか?確かに 1mSv/y を超えているときに、新しい人たちがその地域の外から移住してきたとき、1mSvという線量限度を適用することができることなのか?事故のあとに、行為のための防護原則を適用しようとすれば、どの時点から適用されるのか?
 同様に、人が自然バックグラウンド放射線の低い地域から高い地域に移ってきたときに家を建てることは行為であって、1mSv 限度が適用されるのか?Publ.60 で与えられた行為の定義を厳密に適用すれば、そういうことになるだろう」。
 そして最後に次のように述べている。「これらのことは、行為や介入の現行の定義に容易に当てはまらない事柄であり、現在使われているものに取ってかわる論理的に辻褄のあった防護の枠組みをつくり出すべく、放射線防護の考え方を再検討するのがよいのかもしれない」。(※訳文はすべて岡田重文、大塚益比古、両氏によるものである)
 生物学的に見れば、放射線の健康影響を議論する枠組みを、原子放射線でなく電離放射線にしたのは、至極当然である。しかし人々の心は違う。「放射線」という語を、原子放射線と考えるか、電離放射線と理解するか、による違いは大きい。これから派生した問題はさまざまに屈折して、現在にもその影を落としている。

放射線リスク評価について 

I. 放射線生物学の成果にもとづく放射線発がんのリスク評価

II. 放射線(原子力)リスクの正しい認識のために

III. 放射線利用の新展開−これからの課題と対応、社会への働きかけ−
   3.専門知識を持った人材を作ろう−EUの大学院教育−
   4.医療従事者および患者の放射線被ばく 


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