2.放射線のリスク評価に関する調査                              

II:放射線(原子力)の社会的受容における問題点の検討
2.毎日新聞記事「被爆と被曝」に対するコメント
   -2006 年 12 月 3 日毎日新聞 発信箱「被爆と被曝」に対するコメント-
(1)はじめに
(2)放射線のイメージ
(3)恐怖心
(4)啓発活動の難しさ
(5)放射線の人体影響
(6)自然放射線の影響
(7)終りに



II:放射線(原子力)の社会的受容における問題点の検討

2.毎日新聞記事「被爆と被曝」に対するコメント

2006123日毎日新聞 発信箱「被爆と被曝」に対するコメント-

1)はじめに
 2006 12 3 日付毎日新聞の「発信箱」というコラム欄に、編集局記者が「被爆と被曝」というタイトルの記事を載せている。このなかで記者は NHK「東海村臨界事故」取材班による「朽ちていった命被曝治療 83 日間の記録」(新潮文庫)という本の内容を以下のように紹介している。 「核燃料加工施設の事故で致死量の放射線を浴びた作業員は当初、普通に話せた。外見から医師と看護師が、どこが悪いのだろうと不思議に思ったほどである。だが、すべての臓器の検査値は刻々と悪化の一途をたどる。体内に取り込まれた放射線が細胞を容赦なく破壊していったからだ。医師たちは『放射線の恐ろしさは人知の及ぶところではなかった』と振り返る。」(傍点は児玉による) 記者はそれに続いて、原爆で被爆した人も同様な状態であったと指摘し、「地獄の拷問に等しい経過を経て死に至る人々が続出するということだ」というノンフィクション作家の柳田邦男氏の解説を引用している。さらに「その苛酷な事実を知らずに、核武装論などを言い出す言論人に、私は寒気を覚える」といいう柳田氏のコメントを付け加え、「さほど厚くない文庫本だが、とても重く感じられた」という感想とともに記事は終わっている。

 私が中学校か高校の国語教師だったならば、この記事を生徒に読ませて、「なぜ筆者はこの文庫本をとても重く感じたのか、その理由を説明しなさい」という試験問題を出してみたい。記者は、大量の放射線を被曝するということが、「人知の及ばない恐ろしいものである」ことを、原爆被爆者の例を引きながら訴えているようにみえる。被曝の恐ろしさのイメージは、「体内に取り込まれた放射線が細胞を容赦なく破壊していく」という記述に集約されている。これはあたかも、不治の病を引き起こす病原菌、またはウィルスが細胞に感染し、次々と細胞を死滅させていくイメージを重ねているようにみえるが、果たして、記者のイメージは実際にはどうだったのであろうか。さらに、この記事を読んだ一般読者は、この部分の記述をどのように理解したのであろうか。その点に、非常に興味を惹かれる。
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2)放射線のイメージ
 大学で放射線生物学の研究と教育に携わる者の一人として、この記事の傍点部分の記述には違和感を抱かざるを得ない。まず、最初に気になるのは、「体内に取り込まれた放射線」という表現である。この事故は、通常作業では起こるはずのないウランの核分裂連鎖反応が生じたことが原因であった。したがって、放射線被曝というのは、その核分裂連鎖反応に伴うガンマ線と中性子線による外部被曝を意味する。記者も、放射線を出し続ける放射性物質を作業員が吸引したために大量に被曝したと理解したわけではあるまい。さて、記者が、作業員の被曝がガンマ線なり中性子線による外部被曝であることを知っていた上で、なお、「体内に取り込まれた放射線」と表現したとしたら、職業柄、文章表現の的確さにはプロ意識を持って取り組んでいるはずの新聞社記者としては、致命的な誤りを犯したといわざるを得ない。なぜなら、「放射線が体内に取り込まれる」という表現は、放射線を安易に物質的イメージとして捉えていることを意味するからである。
 確かに、放射線に関する専門的知識を持ち得ない一般の人が放射線をイメージすることはかなり難しいことである。人は、放射線のように五感で捉えることができないものをイメージしようとすれば、どうしても自分の知り得るそれに近い代用品でイメージしようとするものである。放射線の場合には、記事中の「細胞を容赦なく破壊する」という表現が示すように、病原菌か毒物とイメージを重ね合わせて、初めて理解されるのかもしれない。この放射線のイメージの捉えがたさが、放射線の人体影響の正しい理解を妨げている。もしかすると、一度被曝するとガンマ線やX線が体内に残留するという誤ったイメージが、一般の人にはそのまま受け入れられているのかも知れない。 マスメデイアによるこれによく似た誤ったイメージの使用例に、「放射能」がある。例えば、「原子力発電所で放射能漏れ事故があった」、あるいは「放射能汚染地域が見つかった」という表現が、新聞記事などでしばしば使用される。放射能とは、「放射性物質が放射線を出す性質」のことを指しており、本来物質をイメージする言葉ではない。しかし、マスメデイアは、放射能を放射性物質や、ときに放射線と同義に使用しており、この点でも放射線が一般に正しくイメージされていないことを感じる。このコラム記事のように、被爆と被曝を区別して使用する意識があるのであれば、放射能、放射性物質、および放射線はきちんと区別して使用することを願う。

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3)恐怖心
 さて、今回の毎日新聞のコラムでもう 1 つ気になる記述は、「医師たちは『放射線の恐ろしさは人知の及ぶところではなかった』と振り返る。」という点である。この言葉は、救命現場で活躍した医師たちの素直な感情の吐露かも知れないが(したがって偽りがあるとは言わないが)、実際には医師たちは、20Gy という急性被曝線量がどのような症状を引き起こすかは理解していたはずである。むしろ、予想通りに症状が進行していくことにある種の畏れを感じていた可能性はある。しかし、それを「放射線の恐ろしさは人知の及ぶところではなかった」と記事として表現するのは、適切ではない。これを読めば、一般読者は、やはり放射線は、人知の及ばぬほどに恐ろしい存在なのだと理解するだろう。これは新聞記事として正確さを欠く表現であり、ことさら放射線に対する恐怖心を煽っている。ここには量の概念が全く欠如している。怖いのは放射線ではなく、放射線を一度に大量に浴びることである。それは滅多に起きることではない。一方で、微量の放射線ならば、だれでも日常的に浴びているのである。それを、「放射線の恐ろしさは人知の及ぶところではなかった」と書いてしまうと、一般読者には、大量も微量も関係なく、ただ放射線の得体の知れない不気味さばかりがイメージされてしまうことになる。
 この記事を私の研究室の大学院生に読ませたところ、はじめの傍点部分、すなわち、「体内に取り込まれた放射線が細胞を容赦なく破壊していく」という記述には、意外にもあまり違和感はないようであった。しかしながら、次の傍点部分、すなわち、「放射線の恐ろしさは人知の及ぶところではなかった」という記述に関しては、恐怖心をいたずらに刺激していると批判的な意見であった。当研究室の大学院生は、一般読者に比べれば、放射線に関してより正しい知識を持っているはずである。その大学院生でも前半の記述に関してはそれほど違和感を抱かないとすると、一般の読者には全く違和感なく受け入れられるであろう。

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4)啓発活動の難しさ
 毎年夏休みに、大阪府立大学教員を中心として組織された「みんなのくらしと放射線」知識普及実行委員会が、夏休み親子勉強博「みんなのくらしと放射線展」を開催している。今年で第 24 回を迎える伝統的イベントであり、昨年は 6 日間で延べ 24,000 人の入場者を集めた。主な参加者は、小学生とその保護者であるが、我々がいつも冷や汗をかく瞬間は、小学生による「放射線ってなに?」という素朴な質問を受けたときである。前述した通り、未知のものを具体的にイメージすることは大人でも非常に難しい。まして、五感で捉えられないものとなれば、これは 100% 観念の世界である。小学生に、「光によく似たエネルギーの流れ」などと説明したところで、言葉だけが空しく通り過ぎていくだけである。さらに、放射線の量や質の概念となると、小学生相手では絶望的になる。果たして、一般の人が誤解無く放射線をイメージするには、どのような解説をしたらいいのだろうか。今回の新聞記事は、そのことを我々放射線に関わる専門家に突きつけている。新聞記者でさえ、誤ったイメージで放射線を捉えているのである。まして、世間一般の人は放射線をイメージしようとしたこともないであろう。それゆえに、マスメデイアの報道の影響は大きいと言わざるを得ない。誤った記事は、誤ったイメージを人々に植え付け、それを増幅させてしまうかも知れない。一度増幅されたイメージを払拭することは、とてつもない労力を必要とする。
 一般の人に放射線に関する正しい知識を持ってもらうためには、啓発活動が重要であるとはよく言われることであり、我々も前述したイベントも含めて日々実践している。しかし、その啓発効果については、客観的な評価システムが確立しているわけでもなく、不明である。果たして、これまでの 10 年間、あるいは 20 年間という長いスパンでみて、日本国民の放射線に対する認識は正しい方向に導かれたのであろうか。ぜひ、知りたいものである。

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5)放射線の人体影響
 大学の「放射線生物学」の講義において、放射線による人体影響は最重要項目である。最初に、生体組織は増殖の仕方によって、定常系組織(非再生系組織)、休止系組織(潜在的再生系組織)、および再生系組織(幹細胞系組織)に分類できることを示す。それを踏まえて、放射線感受性は生体組織によって異なることを教える。ここで、ベルゴニー・トリボンドーの法則が登場する。すなわち、(1)細胞は分裂頻度が高いほど放射線感受性が高い、(2)将来長期にわたって分裂する細胞ほど放射線感受性が高い、(3)形態的あるいは機能的に未分化な細胞ほど放射線感受性が高い、という生体組織の放射線感受性を示す重要な知見である。したがって、再生系組織である造血組織や消化管組織は人体の中でも特に放射線感受性が高い組織となる。 その後に、急性放射線症について解説する。すなわち、東海村臨界事故のように、全身あるいはそれに匹敵する広い身体部分が大量の放射線を短時間に被曝した場合にどのような症状があらわれるかについて概要を示す。1Gy 程度の全身被曝で一部のヒトに、悪心、おう吐、頭痛、倦怠感などの放射線宿酔といわれる症状があらわれ、数時間から数日続くと言われる。3Gy5Gy の被曝では、造血系組織の障害が主因となって、3060 日で死亡する(骨髄死)。5Gy20Gy の被曝では、消化管の障害が主因となって、320 日で死亡する(腸死)。それ以上の被曝では、中枢神経の障害が主因となり、数時間から数日で死に至ると言われている(中枢神経死)。骨髄死や腸死は、それぞれの組織中に存在する幹細胞が障害を受けて分裂を停止することに起因する。死亡までの期間が異なるのは、組織によって細胞の寿命が異なるからである。したがって、東海村臨界事故で致死量の放射線を被曝した作業員の容態が次第に悪化していったのは、「体内に取り込まれた放射線が細胞を容赦なく破壊していった」というより、「放射線が一瞬にして生体組織の幹細胞に障害を与えてしまったからである」と解釈するべきである。再生系組織形成の根幹をなす細胞が死滅してしまえば、組織は脱落する運命をたどらざるを得ない。例え、被曝直後に外傷もなく、普通に話せたとしても、生体組織の幹細胞は回復不可能な傷を負っていたことになる。 以上の急性放射線症に関する情報は、多少の数値の違いこそあれ、「放射線生物学」と名の付く教科書には必ず書いてあることであり、被曝した作業員の治療にあたった医師たちはその情報を熟知していたはずである。したがって、前述したように、記事に書かれた「放射線の恐ろしさは人知の及ぶところではなかった」という医師が発した言葉は、全く予想不能の恐ろしさに襲われたという意味では、たぶんない。予想はしていたが、思った以上に治療現場は壮絶を極めたという意味だろうと私は推測する。しかし、何度も触れるように、一般読者はそうはとらない。医師ですら怯えるほどに、放射線とは恐ろしいものなのだと感じるだろう。
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6)自然放射線の影響
 大量の放射線を短時間に浴びることは確かに危険である。しかし、微量の放射線を浴びることに過度に神経質になることはない。このことを一般の人に理解してもらうには、自然放射線が高い地域住民の健康調査の結果を分かりやすく解説するのが一番良いと思われる。
 (財)体質研究会が中心となり、中国の研究者と行った日中共同研究で得られた中国広東省の高自然放射線地域(HBRA:自然放射線量が対照地域より 35 倍程度高い)住民に関する調査では、がんによる死亡率に関して、HBRA住民と対照地域(CA)住民との間に差はみられなかった。一方、住民の末梢血リンパ球に見られる染色体異常に関する調査では、被ばく線量に応じて染色体異常が直線的に増加することが明らかになった。すなわち、HBRA 住民と CA 住民との間に差が見られたのである。なぜ、がん死亡では差が見られないのに、染色体異常では差が見られたのであろうか。この疑問を解くためには、染色体異常のでき方とそれが細胞に及ぼす運命を考察する必要がある。放射線によって生じる染色体異常は、細胞分裂に障害を与えるか否かによって 2 つに分類できる。細胞分裂の障害にならない染色体異常を安定型異常といい、相互転座がその代表例である。一方、細胞分裂の際に障害となる染色体異常を不安定型異常といい、二動原体染色体がその代表例となる。さて、Hayata らの解析では、前述した HBRA 住民と CA 住民との間で差が見られたのは、不安定型異常である。興味深いことに、安定型異常について調べると、両地域住民の間に全く差が見られないのである。なぜこのような差が生じるのだろうか。
 不安定型異常は、もし、未分化な(すなわち成熟する前の増殖能を持った)リンパ球に生じた場合には、細胞分裂に障害を与えるために淘汰され、子孫細胞に伝達されない。したがって、分化した成熟リンパ球に生じた異常だけが検出される。それに対して、安定型異常は未分化なリンパ球に生じたものも子孫細胞に伝達され、さらに成熟リンパ球に生じたものも残存することになる。したがって、異常形成のメカニズムから考えると、相互転座と二動原体染色体の生成比は 1 1 であるのに、実際にリンパ球に残存する染色体異常の頻度は、安定型異常が不安定型異常の 10 倍ほど高くなる。
 さらに重要なことは、多くの環境変異原物質は二動原体染色体や相互転座を直接形成しないということである。これを直接形成するのは、DNA 二重鎖切断を誘発する電離放射線や一部の化学物質に限られる。多くの化学物質によって生じる染色体異常は、異常が一方の染色分体に限られる染色分体型異常であり、細胞分裂を経て派生的に二動原体染色体や相互転座を生じることになる。
 さて、染色体異常の生成メカニズムについて詳しく論じたのは、以下のことを理解ためである。すなわち、これまでの考察から、成熟した(分裂しない)リンパ球に見られる二動原体染色体は、放射線によって特異的に誘発されたものであると考えてよいことが分かる。ほとんどの環境変異原物質では生じないのである。これに対して、相互転座は、放射線で生じたものも残るが、様々な環境変異原物質によって生じた染色分体型異常から派生的に生じたものが淘汰されないために残存することになる。
 なぜ、安定型異常を指標にすると HBRA 住民と CA 住民で差が無かったのかはこれで理解できる。すなわち、中国広東省の染色体異常調査の結果は、染色体異常形成における放射線の寄与より、その他の環境変異原の寄与の方がはるかに大きいことを示している。不安定型異常を指標にすると、放射線の寄与だけを見ることになるから両地域で差が出たのである。前述したように、安定型異常を指標にすると、そもそも不安定型異常より頻度が 10 倍ほども高いのである。元々、放射線による異常誘発レベルが低いので、放射線の量が 35 倍ほど変動しても、安定型異常の頻度は変わらないのである。 以上の考察は、次のことを意味する。すわなち、我々はすでにある頻度の染色体異常を体内に抱えて生きている。少なくとも、自然放射線(1.5mGy/y)の 5 倍程度の放射線に被曝したとしても、我々の体内の細胞にすでに生じている染色体異常頻度を有意に変動させるほどの寄与はない。したがって、がん死亡率を有意に変えるものでもないのである。
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7)おわりに
 大学のひとりの教員が、自身の講義で納豆がダイエットによいと言った結果、もし、12 人の学生が実際にちょっとそれを試してみたとしたら、講義の効果としては十分満足すべきことと言えるかも知れない。このように、大学における講義が及ぼす影響は受講学生に限定されている。これに対して、マスメデイアによる報道の影響力は桁違いに大きいと言わざるを得ない。納豆がダイエットによいという報道により(その内容の真偽に関係なく)、翌日のスーパーマーケットの売場から、納豆が消えてしまうのである。影響力が大きいだけに、マスメデイアは出来るだけ真実に近い(あるいは真実の)内容を伝える責務を負っている。今回取り上げた毎日新聞の「被爆と被曝」というコラム記事は、一体読者に何を伝えたかったのだろうか。タイトルから察すると、原爆による被爆と臨界事故による被曝を対比しつつ、状況は異なっても大量の放射線が人体に与える影響はどちらの場合も同じように苛酷なものであることを伝えたかったのであろうと推測する。さらに、柳田邦男氏の言葉を借りて、この苛酷な事実を知らずして、安易に核武装論を語るべきではないと警告しているようにも取れる。しかし、核兵器に言及するならば、記者のこの論理(私が推定した前述の論理)は、正しいとは言えない。核兵器の使用によって、「地獄の拷問に等しい経過を経て死に至る人々が続出する」という悲惨な状況を招くことは論をまたない。しかし、原爆被爆と東海村臨界事故による被曝を、大量の放射線被曝だから同様であると考えるのは余りにも乱暴である。20Gy も被曝した原爆被爆者がいたとしたら、無傷であるはずがない。おそらく、熱傷や外傷など、放射線被曝以外の原因によって命を落としていったと推定される。核兵器の恐ろしさは、その爆発力の強大さがまず第一である。目立った外傷がなく大量被曝した臨界事故被曝と原爆被爆は、大量放射線による被曝とは言え、同様であるというのはやはり不正確と言わざるを得ない。
 正確な記事を書くことは容易ではない。今回のコラム記事に対する私のコメントにも、誤りがあるかも知れない。放射線は五感で感じないだけに具体的にイメージすることができない。それゆえ、特にマスメデイアには、放射線に関する情報を正しく読者に伝える努力を怠らないよう望みたい。
 一方、我々放射線に関する研究と教育に携わる関係者は、機会ある毎に正しい情報を分かりやすく一般の人に伝える努力を惜しむべきではない。このコラム記事が私に与えた違和感は、そのような我々の努力が全く足りないことを私に教えている。

放射線リスク評価について 

I. 放射線生物学の成果にもとづく放射線発がんのリスク評価

II. 放射線(原子力)リスクの正しい認識のために

III. 放射線利用の新展開-これからの課題と対応、社会への働きかけ-
   3.専門知識を持った人材を作ろう-EUの大学院教育-
   4.医療従事者および患者の放射線被ばく 


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