当アイバンクの活動実績 当アイバンクの活動実績



 アイバンクとは、ドナー(角膜を提供する人)とレシピエント(角膜移植を待つ人)のかけ橋の役目をするところです。そして、レシピエントの手術が円滑に行われるよう眼球の提供をしてくださるドナーの登録を行っております。

 昭和33年4月に厚生省により、「角膜移植法」が施行されましたが、それから5年間はアイバンクが発足できずにいました。それは、当時「売血者が常連をつくり、それが低所得者層の生活の手段ともなった血液銀行の二の舞を踏むことを恐れ、厚生省、日本眼科医学会など関係者の間で慎重に基準案が検討されていたため」とされていました。それまでの角膜移植は、組織的な眼球提供機関がなく、各地の大病院などが独自に提供者を見つけては手術をしているという状況にありました。これらのことから、法律の整備がはかられ、ようやく昭和38年10月8日にわが国初のアイバンク(眼球あっせん銀行)の開設が決まったのでした。
 当財団は、京都大学附属病院の外郭団体として(当時の理事長が病院長だったこともあり)アイバンク設立を検討し、昭和38年9月21日に厚生省に申請の結果、昭和39年8月24日に眼球あっせん業を許可され眼球銀行の発足となりました。
 現在の全国アイバンクは、主にライオンズクラブのご支援に頼っています。昭和45年9月、ライオンズクラブ国際会長のL.ロバート.D.マッカローが日本を訪問された際、『アメリカでは全ライオンズクラブが1942年、聖女ヘレンケラー女史が「見えず、聞こえず、話せず」の三重苦を訴えられたのを契機に「視力保護、盲人構成委員会」を設立し、55年の歴史を重ねつつ、今日世界に誇るアクティビティとして、全米各地で熱心にアイバンク推進運動が展開されているので、日本でも今後、この運動を画期的に飛躍向上させて欲しい』と要望されました。
 これを機に日本でもライオンズクラブの「アイバンク推進運動」が始まり、全国的な拡大運動が展開されました。昭和45年以降、ライオンズクラブからの助成金も徐々に増え、設立以来の献眼登録者の伸び悩みも解消し、多くの人達の視力を回復させることができました。また、日本眼球銀行協会の設立もあり、ポスター、ちらし等の共同制作等啓蒙活動を活発にできるようになった上、全国ネットワークがくまれ、緊急時に眼球を融通しあう等、アイバンクとしての活動がスムーズにいくようになりました。
 現在、全国に54のアイバンクがあります。