2007.3.15
 
Editorial (環境と健康Vol.20 No. 1より)


科学と社会:受容から見た3つのパターン


菅原 努 *

 

 

 本誌編集の根拠地である百万遍北にあるパストゥールビル(正確にはルイ・パストゥール医学研究所の建物)の5階にあるイメリタスクラブ(財)体質研究会では、協力して幾つかの科学と社会とを繋ぐ試みを続けてきました。本誌が20巻に達したのを機会にその中の対照的な3つについてその比較検討を試みます。

 対照的なというのは、一つは比較的すんなりと社会に受け容れられたもの、もう一つは反対に永年の努力にも関わらず社会は一向に受け容れようとはしないもの、第三はその中間で一時学会も社会も注目したのに、途中で学会がそっぽを向き、悲観していたら最近になって社会から再び注目されるようになったもの、の3つです。皆さんはこれを読んで私が何を言わんとしているか、おわかりになりますか。残念ながら今本誌のバックナンバーをひもといてみると、これらの活動は必ずしもはっきりと課題をかかげて掲載されていません。しかし、それぞれ幾つか関連の記事を載せていますので、以下に順次それらを参考までにお示しすることにします。(その詳細は末尾に示します)

 さてこの3つとは、太陽紫外線防御と放射線(正確には電離放射線)リスク、最後はがん温熱療法です。放射線リスクについてはそもそもその検討結果を報告するのがこの雑誌を出版する目的であったのですから、第1巻の調査報告「放射線リスクとその認知」からはじまり、連続講座「放射線リスク論」が1巻から2巻につづいて掲載されています。その後も次々と報告や講座が掲載されています。さらに単に理論的な議論だけでなく実際に放射線を少し余分に浴び続けるとどうなるかを、実地について調査しようと中国(菅原 努:自然放射線と健康)1)、インド(菅原 努:写真と文で綴る インド・ケララ探訪記)2)などを調査し、その後それらの国の研究者と共同研究を進めています。(中国調査研究についてはその成果に対して2006年中国科学技術賞を受けました) 

 2005年には、これらの20年余の成果をもとに「安全のためのリスク学入門(昭和堂)」という本も書きました。でもこのような理論、実際両面の努力にかかわらず、「放射線はどんな僅かでも怖い」という国民感情は一向に変ったようには思えません。地球温暖化に対して、化石燃料に代わる新エネルギー源の開発の難しさが、原子力を見直す機運を作っていますが、やはり問題は放射線への怖れであるようです。政府も食の安全にリスクアセスメントの手法を取り入れるなどと言いながら、牛肉のリスクと自動車事故死のリスクとの比較を、リスク論としてその適否を論じるのではなく、ジャーナリストが国民に迎合してただ「けしからん」と非難するのを放置しているのでは、リスク論はとても根づきそうにありません。勿論リスク論にも私の本でも指摘したような問題点があり、万全ではありません。我が国としてのリスク論の検討が必要でしょう。

 太陽紫外線については、野津敬一:紫外線の話〜重要な環境因子として〜に始まり3)、同氏の記事がメラノーマ・この不可解な皮膚がん4)、UVB紫外線と免疫5)と続きます。これらを踏まえて1990年12月に有志が集まり太陽紫外線防御研究委員会というのを立ち上げ、学術的なシンポジュウムを毎年、5年後の1995年からはその翌日に公開セミナーを開催してきました。単に研究だけを進めるのではなく、社会への勧告を目指すのだという意味をこめてこれを研究委員会と名付けたのです。神戸で初めて開いた公開セミナーでは、「学校の先生はプールではうんと焼け」と言われますが、今日のお話ではなるべく紫外線には曝さないようにということですが、私たち父兄は一体どうすればようのですか」と言った質問が出ました。この公開セミナーのその後の例を本誌第9巻(太陽紫外線との正しいつきあい方)6〜9)に紹介しています。また一応の成果のまとめを「太陽紫外線と健康:菅原 努・野津敬一共著(裳華房、1998)」として出版しました。始めた頃とは違い、今では紫外線カットは化粧品の常識になり、帽子や衣類にまで及んでいます。これだけビジネスになるのなら、大いに研究費でも稼げればよいのですが、そちらの方は当て外れで研究費もろくに集まらず、最近も止むを得ず(財)慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団が若干の研究費を出して、太陽紫外線の人体影響について最近の研究のまとめを進めてもらっているところです。でも我々としては社会への働きかけとしての成功例と考えたいと思います。

 最後のがん温熱療法(ハイパーサーミア)は本誌を始めるはるか前1975年に遡るのです。それから10数年間次第に人々の注目を集め、本誌の発刊の年1988年に我が国で開催した第五回国際ハイパーサーミアシンポジウムをピークに、がん治療の新しい方法として注目されるようになりました。したがって国の健康保険でもみとめられました。ところがそれがその後次第に下火になり、国内外で10社近くあった装置メーカーも段々と減って最後には1社が残るだけになってしまいました。この状態をどうしたら脱出できるか、議論した状況が本誌第10巻1号に「新春放談:がん温熱療法は何故もっとひろがらないのか」として掲載されています10)。幸いしばらく時を経て、医師の側ではなくむしろ患者さんの側からの要望で、再浮揚しつつかる状況を本誌(NPOのページ:菅原 努 がん温熱療法の盛衰と新しい流れ11)で述べ、其の背景の分析をまた本誌(近藤元治 癌難民に救いの手を)12)で論じて頂きました。

 このがん温熱療法の見直しは医学そのもののあり方への新しい示唆を与えるものでもあるので、このでは詳しくは論じている余裕はありませんが、これからみると行き詰まっている放射線リスクの問題についても今までのリスク論とは違った観点の導入が必要ではないかと考えさされます。このように私たちのささやかな社会との結びつきの試みも、こうして比較検討してみると何かこれからの活動に示唆を与えてくれるのではないかと思えます。

 

文 献

1)菅原 努:自然放射線と健康、本誌3 (5)、 7 (1990)

2)菅原 努:写真と文で綴る インド・ケララ、本誌8 (1) 、9 (1995)

3)野津敬一:紫外線の話 本誌2 (2)、 1 (1989)

4)野津敬一:メラノーマ・この不可解な皮膚がん、本誌3 (3)、1 (1990)

6)花田勝美:「太陽光を知る」−紫外線と地球環境、本誌9 (1) 、24 (1996)

7)宮地良樹:「紫外線と皮膚」、本誌9 (2) 、68 (1996).

8)市橋正光:「紫外線と子供」−健康な皮膚のための提言、本誌9 (3)、91 (1996)

9)尾沢達也:「紫外線と生活」−サンスクリーン製品、本誌9 (5)、201 (1996)

10)新春放談:がん温熱療法は何故もっとひろがらないのか、本誌10 (1)、12 (1997)

11)菅原 努:がん温熱療法の盛衰と新しい流れ、本誌19 (2)、211(2006)

12)近藤元治:癌難民救いの手を、本誌19 (3)、336 (2006)

 

 


 *(財)慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団理事長、
京都大学名誉教授(放射線基礎医学)