2010.2.25
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  82. いよいよ八十路の最後の1年( 後編 )
 

 

 後編・・現実編

 1 月 31 日(日)は正月の締めくくりということで、京都ヴィラでもちつき大会がありました。私も家内と一緒に見物席に座って出来たてのあずきのお雑煮を頂きました。翌日の 2 月 1 日(月)には朝食はいつものように食堂へ行って頂きましたが、少なめに取ってきたつもりのサラダを食べきるのがやっとで、なんとなく食欲が落ちたと感じていました。それで普通ならばオフィスに出かける予定でしたが、それを断り、昼食を軽い果物で済ませました。午後になってどうしても疲れが強いので看護婦さんに相談したところ、主治医の冨田先生に連絡を取ってくれて、採血をして病院に届けて検査をしてもらうようにとのことでした。5 時ごろに看護婦さんが部屋に来てまず酸素吸入をしましょう、そして明日から最低 1 日場合によっては 3 泊 4日ぐらいで入院して、その間に輸血のほか 2、3 の検査をしましょうと言われました。翌 2 日に入院しましたが、胸部のX 線で今胸水がたまっており、尿の検査でたんぱくが 3+で心不全と腎不全が起こっていると診断されました。それを聞いて貧血のことしか考えていない私に対して臨床家の優れた観察力に感心しました。その言葉は翌 3 日の朝にはっきりと表れ、洗面所の前に立った私は、自分の顔が見分けがつかないくらい膨れ上がっているのに驚いた次第です。とりあえず緊急の輸血をして 6.9 まで下がっていた血中ヘモグロビンを 8.1 まで上げたのちは、もっぱら利尿促進に努力して頂きました。そのおかげで 60 キロまであった体重が、4 日で 56 キロまで下がり、顔や体のむくみも大きくとれました。しかし、胸水は依然として残っており、尿中のたんぱくは 1 日に 5 グラムのままで、減少の傾向は見られません。このような状態のときに主治医が、容態急変のときの処置についての書類を持ってこられました。高齢者の場合にはこのような状態からいつ容態が急変して呼吸困難・意識喪失に至ることがあるかもしれないので、その場合の処置について本人の意思を聞きたいということです。すでにそのような用紙ができており、「1.そのまま放置する」から「人工呼吸を含めできるだけ手当てをする」という 5 項目でした。私はその中かから「2.酸素吸入や鎮痛などの苦痛を取る処置はするが、それ以外のことは何もしないでください」という方に印をつけました。これは高齢者をたくさん扱ってこられた主治医の患者への予告の意味もあったと思います。そういえば京都ヴィラで元気に一緒に食事をしていた 88 歳から 92 歳までの方が、3 名亡くなられたのを思い出しましたが、一人は元気に食事をして帰ったその晩に亡くなり、もう一人の方は 1 週間後に、一番長い方でひと月ぐらいであったと思います。それで自分も人生の終わりを迎える覚悟ができました。

 私たちは今まで、老化の研究をしてきましたが、今から考えるとこれは老化と老衰の二つに分けるべきではなかったかと思います。老化の研究の対象としていたのは、年とともに衰えるいろいろの機能をどのように助け、なんとか日常生活を送るための術を研究することでした。しかし、その間にいろいろの臓器の働きが衰えて私のように心不全と腎不全(ネフローゼ)がともに起こるという状況になれば、もはや回復は望めません。その人たちがどのような経過で容体の急変を経て死に至るのか、その過程を老衰として区別したいと思います。残念ながらこの老衰の問題は、プライバシーに属することであるためか、老人ホームにいて次々と亡くなっていく方についてその詳細は決して公表されていません。たぶんこのような人をたくさん患者として処置してこられた主治医は豊富な経験をお持ちでしょうが、それを何らかの形で発表して頂ければ幸いだと思います。

 こうして今日で入院して 10 日になりました。心不全と腎不全は一向に改善されたようでありませんが、少しずつ元気が衰えながらもなおこうしてこのような原稿を口述筆記できる状態が続いています。主治医もちょっと首をかしげて尿のたんぱくについて今専門家と相談をしていますが、必要があればそちらの病院に移ることも考えられますか?という御提案がありました。私の老衰論がどう展開するのか、私自身にもよくわかりません。

 2 月 11 日(祝)には子供たちを含め家族がたくさん集まって主のいない 89 歳の誕生祝いをしてそのあとそろって見舞いに来てくれました。私はその一人一人と握手をしてもうこれでいついなくなってもいいと喜んだのですが、子供たちは「お父さんがんばって 90 歳まで生きてください」と言ってくれました。

 

 今日は2 月22 日(月)です。どうやら私の老衰との斗いも持久戦になったようです。主治医も京大に新設された腎臓内科の専門家とも連絡をとりながら治療に力を入れて下さっています。主治医からも「寝たきりにならないよう時々歩いて下さいよ」と言われて、保護具の助けをかりながら時々院内を散策しています。病院の廊下の窓から賀茂川の土手がよく見え、桜の木が一杯あって春を待っています。

 何とか今程度の体力が続けば病院からこの「つぶやき」を続いてお送りしたいと思います。どうぞよろしく。

 最後に嬉しいニュースを一つ。昼食を食べていると主治医の冨田先生が嬉しそうな顔をして入って来て曰く、「菅原さん、胸水が消えましたよ」。2 月2 日に見つかって以来、20 日振りのことでした。一つ病状改善の印が出来ました。

 

 

 
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