2010.2.15
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  81. いよいよ八十路の最後の1年(前編)
 

 

 私は 2010 年 2 月 5 日に満 89 歳の誕生日を迎えました。いよいよ八十路のつぶやきも最後の一年になったわけです。このところ病気がちで今も病床にあるだけ、私にとっては一層の喜びであります。これもいつも私を励ましてくださるこのつぶやきの読者のほか、一緒に財団活動などを支えてくださった皆様のおかげと心から感謝しています。

 そこでこの 2 月号では、2 月 1 日までの老人性貧血に対して輸血を受けながら細々と活動を続けていたときに考えた希望編と、2 月 2 日に入院し心不全・腎不全の現実を見せられて以後の現実編という形で2編に分けてこのつぶやきをまとめたいと思います。

 

 前編・・希望編

 昨年 11 月に腹部大動脈瘤の手術を受け、その後いろいろと紆余曲折がありましたが、1月からは週に 1 回はオフィスに顔を出して少しずつ業務を開始していました。そこへ飛び込んできたのが財団の庶務担当をしてくれている鈴木智雄君からの新しい財団の名称についての検討結果の報告でした。今までの財団の名称、慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団はあまりにも長いし、内容的にも必ずしも現状に適さないので、このたびの新公益財団法人への申請にあたって思い切って名称を変更しようとかねてから議論しているものでした。鈴木氏からは 3 つの提案がありましたが、私はその中で「ひと・健康・未来財団」というのを取り上げました。「ひと」「健康」には多少の重複があって、思い切って「健康」を「環境」に変えてはどうかということも考えましたが、それでは余りにも範囲が広くなりすぎるので、この際は「健康」で妥協しようと考えました。一番魅力を感じたのは、「未来財団」という言葉です。未来を考えるということについては、最近の地球温暖化で 2050 年にはどうなるかということが議論されていますが、これらはすべて科学的な予想です。実は今から 20 年、あるいはもっと前に、「未来学」という言葉がもてはやされたことがあります。たとえば、ソ連の崩壊をだれが予測したか、というようなことが問題になりました。また、その頃には未来を考えるには想像力を大いに働かせる必要があるという意味で、アメリカなどでは高校のカリキュラムにとりいれようという話もありました。私はここでは未来について科学的のみならず希望や想像ということも交えて、考えていきたいと思います。

 御承知のように今の世の中は、経済的に多くの問題を抱えています。これを単なる目先のことだけでなく、もっと遠くを見て人類のあるべき姿を日本から提案したいと思うのです。そのような形に財団が発展することを願って私の置き土産としてこの新しい名称を残していくことができればと考えました。

 実はこの裏付けになるものとして、この機会に 2 冊の本をお勧めしたいと思います。

 1 冊は、

梅原猛・稲盛和夫著「人類を救う哲学」
PHP 研究所(2009 年 1 月 7 日 第 1 版第 1 刷発行)

 ここで論じられていることは、単純明快で日本人にはなじみの二つの言葉、「草木国土悉皆成仏」と、もうひとつは「足るを知る」を世界中の人々に理解してもらって新しい世界地図を作ろうと、その道ははるかに遠いものと思いますが、八十路の最後に達した私には、その気持ちがよく理解できます。

 この場合に問題になるのは、世界における日本の立場ではないかと思います。これに対してきわめて明快な答えが次の本に記されています。

森安孝夫著「興亡の世界史05 シルクロードと唐帝国」
講談社(2007 年 2 月 16 日 第 1 刷発行)

 大事なのはこの本の序章「本当の「自虐史観」とは何か」で、病身の私にはとても全巻を読みとおしたわけではありませんが、この序章に強く心を打たれました。それは現代の日本人はほとんどすべての人が欧米コンプレックスを持っていて、西洋こそは文明の見本であると考えているようですが、歴史学者の観点からみれば「進んだアジア、遅れたヨーロッパ」なのです。ちょうど唐が栄えた時代、唐の都西安は世界の中心であり、それに比べて当時の西洋はまだまだ未開な状態にありました。世界中の情報はシルクロードを通じて唐の都に集まり、世界第一の大都会ができていたわけです。それからさらに東の方へ支線が伸びて、それが日本であったわけです。遣唐使の派遣や貿易を通じてこれらの文明を取り入れた日本はすでに野蛮国の域を脱していました。それから数百年、幸いにも外国からの侵入を受けない地の利に恵まれて、そこに独自の文化を発展させてきました。今こそ西洋中心の史観を打破して日本の独自性を大いに自覚すべき時ではないでしょうか。

 先の梅原・稲盛の著書とふたつを結び付けるのなら、長い歴史と文化に裏付けられたこの日本から世界に向かっての未来像を提起するのはまさに時期を得たものと考えます。

 残念ながら私は余命いくばくもありませんので、せめてこの新しい財団にその精神的裏付けとしてこの 2 冊の本をお勧めして、私の気持ちの一端をお伝えしたいと思います。

 

 

 
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■