2009.12.3
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  79. 病床日記(京大病院)
 

 

11 月 13 日(金)曇り時々雨

 9 月 3 日に外来受診をして腹部大動脈瘤の入院加療をお願いし、一応 10 月 19 日入院予定と言う事で 10 月下旬以来予定を 1 週きざみにして待機していたところ、11 月になってようやく 11 月 6 日に 13 日入院、19 日手術という予定がはいり、ほっとしていました。それが 11 月 11 日に確定という連絡を受け、早速入院準備にかかり、本日 11 時に予定通り入院できました。ただ個室といっても前回の検査入院のときの部屋より狭く、トイレ、風呂が別ということで、慣れるのにしばらく掛かりそうです。私の今度の入院は手術を控えているだけに、幾らか緊張していますが、家内はそれに感染するのか、決まった日から『貴方の入院中は山科の家に帰る。あそこからなら京大病院も近く、毎日見舞いに行ける』と言い張るのには困りました。私はこれを彼女の不安の表現と理解して、何とか聞き流し、またそのことを留守中世話になる京都ヴィラの方々にも伝えてきました。実際にどんな風になるかは、これからの経過をみなければなりません。

 さあ、私は入院後早速採血と X 線撮影です。


11 月 14 日(土)曇りのち晴れ

 「今日は土曜日、どうぞゆっくり休んでください。」と担当の高井医師(女医)は言って出て行かれました。担当の島村看護師が「今日はお風呂に入られますか」と言うので、「是非」とお願いして待っているのですが、午後 4 時現在未だ連絡がありません。

 午後昼寝を済ませて読書に戻ったところに、この島村看護師があらわれて「これから手術を受けられる方への説明をします」と 8 枚もあるパンフを持って呼吸の練習をすること、よく歩いて腸の運動を促進する事などを説明してくれました。そのときにもらった入院計画書には推定される入院期間として 4 週間と書いてあるので、確認したら問題がなければそれで済みますが、という返事でした。早速カレンダーを開いてみましたが、どうも 12 月 5 日、12 日に予定している財団の行事への参加は難しそうです。

 もらったパンフには、ご本人だけでなくご家族の方もお読みください、と書いてありますが、私の場合は私 1 人で頑張らねばならないように思えます。

 ここまで書いたときに、ドアーにノックがあり「菅原さん、お風呂どうぞ」と。丁度 4時 15 分でした。


11 月 15 日(日)晴れのちうす曇で冷える

 昨夜電話で頼んでおいたので、昼前に邦雄が来てくれる。早速昨日渡された「手術を受けられる方へ。ご家族の方もお読みください」というパンフを渡し、必要な買い物と担当の看護師を紹介。幾つか指定されたものを地下の売店で買ってきてもらう。そのなかで、呼気の吐き出し練習器(Coach 2)を使って早速練習を開始。指導書には一日 3 回、1 回あたり 10 回程度、と書かれているのですが、やってみると思いのほか負担が大きく 5 回くらいでダウン。それでも時間をおいて繰り返してやっていると、だんだんと吸気量が増えて行くから楽しい。近頃朝起床時にやっている発声練習(アーット・ミュージックを独りでやっているつもり)が正にこれだったと気がつきました。朝あれをしないとはっきりと目覚められないのは、寝ている間に吸気量が減っているせかもしれないと、気がつきました。

 邦雄はこれから京都ヴィラへお母さんを見舞いに行き、よければ午後見舞いに連れてくる、と言って別れたのですが、とうとう現れませんでした。

 昼食後いつもの昼寝をして目覚めると、急に寒くなり急いで暖房をいれました。丁度血圧を測りにきてくれた看護師さんに尋ねても、今日は昼から寒くなりましたよ、とのことでした。


11 月 16 日(月)うす曇

 今日は待ちの一日でした。兼ねて申し込んであった歯科の受診は「連絡があります」とのメモが来ていました。その他頚動脈の超音波診断が 2 時の予約でした。また今日は入浴を頼んでいました。それが一番先に申し込んだ歯科が待ちに待って最後になり今 5 時 10 分に帰ってきたところです。どうやら私の心配した感染ではないようで、問題の割れた奥歯一部を削って、あとは手術後ということになりました。これで歯茎のういた感じがなくなればしめたものです。

 超音波診断のあとは呼吸法のリハビリということで、どんな所へ連れて行かれるのかと思っていたらそれは普通のリハビリ室でした。そこで昨日邦雄さんに買ってきてもらった Coach 2 の使い方などをおしえてもらいました。試しにリハビリ師の前で試みたところ1,500 の線には軽く到達したので、「これだけできれば十分ですから、毎日 30 回練習して下さい」と励まされたのですが、これがなかなかしんどいことです。まあ、気分転換のためと思ってこの練習に精を出しましょう。これには最近ミュージック・アートの真似をして朝起床時に「アーー」と声を出していたのが役に立っているのです。これで息を出し切るのがコツです。

 4 時半頃看護師さんが「明日どなたか見舞いに来られますか」ときくので、「さー分らない」と答えたら、「実は明日の夕方に先生か手術の説明をしたいとのことです」「それは何時ごろですか」「午後 4 時か 5 時ごろだと思います」「分りました。家族に連絡しておきます」。そこで早速、西大寺に電話したところ明子さんが出たので、その旨連絡を頼みました。そのあと数分して当の邦雄さんがひょっこりと顔を出してくれたのです。「4 時は無理だ、5 時にしてもらえんか」と言うので、看護師さんの名前を言って自分で交渉してもらい 5 時前ということで決まりました。


11 月 17 日(火)雨気温下がる

 今日は寒い一日でした。病院に寝ていて寒さなど問題でないだろうと言われるかも知れません。でもその寒さゆえ体調を崩しそうになったのです。朝目がさめたら喉が少し痛い感じです。これは風邪を引いたか。間もなく手術を受けるのに大変だな、と思ったのです。でもそれは朝の洗面で消えて行きました。次は 10 時 30 分から頭部の MRI を撮るという事で地下の MRI 室へ行きましたが、金属探知機で検査を受けすっかり着替えたまま大分長い時間待たされました。心臓のステントが問題になったようで高磁場のものから低磁場のものに変えるために部屋を移されました。その間に身体がすっかり冷えて気分が悪くなったのです。それでも検査を終えて病室に戻って急いで置いてあった昼食を食べ、横になって一眠りをしたら、気分はよくなり、未だ回復力があったと嬉しくなったのです。

 5 時ころに邦雄が来てくれて一緒に三和先生(主治医)から手術の説明とそのリスクについて説明を受け、二人で書類に署名をしました。「他に何か質問は?」と言われたのですが、私としては万一のことを含めて覚悟をするより仕方がない、と思っています。問題は頚動脈の硬化が問題になるほどか、明日神経内科を受診して決めることになり、問題があれば手術は当分延期ということです。もうまな板の上の鯉になった積もりで覚悟を決めたところですから、このまま突き進んで行って欲しいところです。

 4 時頃に鳥塚先生が石田さんと一緒に見舞いに来てくださいました。本当の勝負はこれからですと、お引取り願った次第です。


11 月 18 日(水) 晴れ

 もう一つ 4 時頃に看護師さんから明日の予定と準備の書類をもらったところ、8 時 40分に手術室に出発します、と書かれていました。そのことを邦雄に伝えようと西大寺に電話をしたら「邦雄さんが病院へ行くはずです」との明子さんの返事でした。5 時過ぎに看護師さんから急な連絡があり 8 時 40 分は呼び出しに変わった、とのことでした。このことは 6 時頃に来てくれた邦雄に伝えることは出来ましたが、予定が振り回されている感じでした。

 今日の夜 12 時以後は絶食ということで、8 時からテレビも消して読みかけの推理小説を何とか読み終えたところに看護師さんが来て「就寝前にこの薬を飲んでください。では明かりを消します」と言われてそのまま眠りました。下剤を飲まされていたので夜中には何度もトイレに起きましたが。


11 月 27 日(金) 晴れ

 19 日に手術を受けてその晩は ICU で、翌 20 日に元の病室に帰ってきて今日で丁度 1 週間です。朝最後の心電図のモニタリング装置をはずしてもらいやっと自由になりました。でもまだ術後管理からは逃れたものの、本当の回復までにはまだまだ日数がかかるのでしょう。

(つづく)

 

 

 
■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■ ■