2009.10.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  77. 近頃一寸嬉しい話
 

 

 先日私の住んでいる老人ホームで敬老の日のパーテイーが開かれたときに、特に紹介されてお祝いの品を頂いたのは、100 歳を越しているお二人と、今年米寿になる私を含めた 6 名でした。でも同じテーブルで私の前に座っておられる方に、「失礼ですがお幾つですか」と訊ねたら「92 歳です」というお返事で、その方のご夫人が米寿なので同じテーブルに座っておられたのでした。そこで私の理解は、この老人ホームでは米寿以上の方が沢山居られるので、米寿が先ず老人の入門なのでお祝いし、これでようやく老人の仲間に入れてもらえるのだ、ということです。

 ところが社会では、全く違います。私のオフィスへ訪ねて来る方々とお話をしていて、「ところで、先生はお幾つですか?」と聞かれて「88 です」と答えると、「えー、とてもそんなお年とは思いませんでした」と驚かれるのです。即ち社会ではやはり 65 歳から老人ということで、80 過ぎたら引退するのが当然ということのようです。今度今居るオフィスビルの都合で 6 階の部屋に移る事になりました。そのために引越しをしなければなりませんので、この機会に学者としての引退も考えて、少しでも身辺整理をしようと思い立ったのです。私の周りには昔集めた研究用の資料が未だ沢山残っているのです。私の机のよこに私が部屋を移っても持ち歩いているファイリング・キャビネットが二つあります。そのうち一番古いものには 3 段の引き出しに私が大学の現役時代に論文を読んでは作った論文カードがぎっちりと詰まっています。折角苦労して作り上げたもので、捨てるに忍びずオフィスの引越しのたびに持ち歩いてきたのですが、もう 10 年以上それのお世話になったことはありません。何でもコンピューター(IT)のこの時代にカード方式はいかにも時代遅れでもあります。そこでこの際それを処分しようと決心したのです。しかし、ただ捨てるのは何となく寂しいので、せめて枚数だけでも数えてみることにしました。秘書に暇をみては数えてもらうように頼んでおきました。その結果は、ただのカードでカードそのものを分類してあるのが 2,116 枚、その後採用したパンチカードが 3,793 枚ありました。

 これをやりながら、日進月歩の変化にもう追いつけなくなった、老科学者の寂しさをしみじみと味わわされていたところに、思いがけない話が飛び込んだのです。9 月 17 日に日本の放射線腫瘍学会の招待講演に招かれた旧友のアメリカ・ミネソタ大学の Prof.C.W.Song がご夫妻で立ち寄ってくれました。彼はそこで自分の講演の内容を私のパソコンを使って説明してくれたのです。その初めに私が昔に編集した英文の本の表紙の写真が出てきたので驚きました。彼曰く“最近重粒子治療などが行なわれるようになって、今までの放射線の分割照射の原理が崩れてきている。このことを古く取上げた貴方の本が出発点になるのです”と。探してみると私のオフィスの本棚にその本があり、開いてみると 1973 年発行となっていました。本の題名は Fraction size in Cancer treatment(がん治療における線量分割)でした。そのなかの田中敬正博士(当時天理病院、関西医大名誉教授)の分割照射と腫瘍内血流との関係についての論文が引用されていました。これは 1969 年から私が欧米の研究者の協力を得て日本の医学書院から出版した英文医科学書のシリーズ 3 冊の最後のものです。医学書院もこれらは可なり国際的にも販売されたので、喜んで出版を引き受けてくれたのです。1970 年代に初めてソ連(当時)を訪ねたときに、私の名前を知っている若い研究者がいるので、驚いたら彼はロシヤ語に翻訳された私の本を持っていました。勿論無断の翻訳なので、私は知るべくもなかったのです。

 1961 年に京大に開設された我が国で初めての放射線基礎医学の講座を担当することになった私は、我が国のこの分野でのレベルアップに必死でした。そのために次々と国際会議を開催しそれを本にして出版することを心がけていたのです。それもすっかり過去のものになったかと諦めていたのですが、それが思いがけないところでまた陽の目を見ることになったのは全く嬉しいことです。学問は日進月歩ですが、35 年以上前の学術書がもう一度日の目を見るとことになり、私自身が嬉しいとともに、またそれを掘り起こしてくれた Prof.Song にも心から敬意を示したいと思います。どうもありがとう。

 

 

 
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