2009.8.20
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  75. 八十路も終わりに近づくと
 

 

 残念ながら 8 月号が 8 月下旬のお届けになってしいました。その理由も兼ねて近況報告です。

 私は 40 歳で母校の京大に帰ってきて以来、京都に住んでいるということで医学部の同級会(甲申会と呼んでいる)のお世話をさせてもらっています。若い頃には 5 年に一度の会でご健在な恩師の先生方もご招待して賑やかにやったものです。卒業 60 年までは何とか盛大にやることが出来ましたが、65 周年はとても無理だということで、総会的なものはそれで終わりということになりました。しかし、その後も有志だけでも集まろうということになって、毎年 10 月にホテルで昼食会をすることにしました。今年もその手配をするべき時期になってきました。そこで昨年は生憎他の会合と重なって残念ながら欠席と言ってきた高松の Y 君を是非引っ張り出そう。彼は最近 90 歳記念の記録集を送ってきて、その序文に「ふと気がついたら90歳になっていました」と書いていたのだから元気に違いない。そこで彼を誘い出すべく日程を決める前に電話で確約を取ろうと思いついたのです。ところがやっと連絡がついたら何と「Y 先生は 3 ケ月前から入院中でとても出席はできません」と言うことでした。そうか、90 歳というのは一見元気そうでも、突然何が起こるか分からない危ない状態なのか、私もその歳がもうすぐだ、と思い知らされたのです。

 実は私自身も、かねてから問題であった腹部大動脈瘤が最近のCT検査で遂に問題の 5cm を超えてしまったのです。早速主治医の指示で心臓血管外科を受診し、治療方針を決めるために先ず 1 週間の検査入院になったのです。それは 7 月 17 日の予定なので、その結果をふまえてこの文章をまとめる積もりでここまで書いて入院しました。その入院が病院側の都合で 7 月 21 日にのび、8 月 8 日にようやく退院出来たのです。入院の初めの間は院内でなかなか予約が取れないせいか、余り検査はなく、それでも久し振りに認知症の家内からの質問攻めから逃れてほっと一息ついていました。しかし心臓カテーテルで心臓についてもっと詳しく調べる必要があると、2 週目は毎日検査が続き、それですっかりくたびれて退院してから 4 日目の今日ようやくこの続きを書く余裕が出来た次第です。

 でもこれから大きな問題を抱えてるのです。「貴方の動脈瘤は放置すると破裂の危険があります。幸い諸検査の結果心臓は十分手術に耐えられる事がわかりました。手術そのもののリスク、その後の健康上の問題点を説明しますから、それに基づいてご家族で良く相談して次の 9 月 2 日の診察までに手術を受けるかどうか、決めてきてください。」と言われて退院してきました。先のことは分らないことばかりですが、確実なのは手術後には今より体力が落ちる事です。今の体力を確認するべく退院の前後に輸血を受け貧血を改善してもらいました。でも体力もようやく回復しましたが、まだ一寸散歩に出てみようと言う元気がありません。この文章も何となく迫力がありません。「手術に代わる方法として血管内に筒のような物を入れるステントグラフトという方法もあるが、貴方の場合にそれが適用できるかどうか、一様検討しておきますが」という話があったので、早速インターネットで調べてみましたが、提示されている条件からみて中々難しそうです。8 月 15 日には忙しい子供達が集まって元気を出して手術を受けるように勧めてくれました。兎に角 88 歳の老人が難しい手術を受けるのです。今日も朝のうちに私が一寸銀行へ行って留守をしている間に、私達の居る老人ホームの室内煙探知機の検査にきた人が、私のパソコンを見て驚いて「こうゆうことをしているとボケへんのやなあ」と言ったと家内がメモしていましたが、この頭がボケるのが恐いのです。そこで未だ 10 日ほどあるので一応手術を受ける準備をしながら、その時期について熟慮中です。

 この手術についての結論は 9 月にゆずるとして、迷える子羊の心境を語る事で8月号のつぶやきとさせていただきます。

 

 

 
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