2009.4.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  71. 短期記憶がなくなると
 

 

 家内の認知症は、「朝、今日は何日?」という質問から始まりました。それが最近では「今、何月?」という質問になりました。先日以来頭の髪の毛が伸びすぎて、「早くパーマをかけないと」と催促するので、自分で決めている三月ごとに掛けるという丁度その三月目の 3 月 3 日にいつもお願いしているパーマ屋さんに予約をしてその手配をしました。ところがその翌日にはパーマを掛けたことを忘れているので、「一度自分でカガミを見てごらん。頭の髪の様子が変わったのが分かるでしょう」と言ったのですが、「前のを覚えていないから、変わったかどうか分からない」と言われて愕然としました。色んな出来事をすぐに忘れるのは永く経験しているので、よく理解しているつもりでしたが、これには意表を突かれたのです。

 この病気が始まった頃、今、長男が来ていたといったことも、帰った途端に忘れてしまって、誰かが来ていたことも分からないのです。そこで私が言って、すぐにメモに書かせるようにしました。それがもう何年もつづいているものですから、今では過去のことはメモを見て確認して安心するようになりました。遠い昔のことはよく覚えていましたが、それも最近では少々怪しくなり、自分でもそれに気づいたのか、あちこちに昔の転居の場所を順番に書いています。

 でも人間実際に数分前のことが思い出せないという状態ではきっと大変不安になるのではないかと思います。主治医は簡単に「このような患者さんは、現在の瞬間に生きておられるのです」と言われるのですが、それはどんな心境だろうと想像するだけで、こころが寒くなるのです。でもそれがこの病気の現実なのです。今のところこの“現在の瞬間”そのものはまだ健在なようで、初めての方とは世間話など何とかこなしているようです。ですから初対面の方は、よほど気のつく方以外は家内の病気に気づかれないようです。よこでは私が同じことを繰り返して、病気がバレないかと、ひやひやしているのですが。

 今のところ実際に困るのは、すぐに「物がない」と騒ぐのと、昔の元気なときのことがそのまま出来るように思い込んで、自宅で独りでも暮らせると頑張ることです。探し物は、今は老人ホームの 3 室しかありませんから、割りに簡単に置き忘れたのを見つけられます。困るのは後者の、「老人ホームに閉じ込められてるのはいやだから、自分の家に帰る」と言い張ることです。こればかりは「食事ひとつ今はうまく出来ないだろう」と言っても、「いや帰れば出来る」と頑張られると、それ以上は話し合いになりません。私はそこでこれには聞こえない顔をして黙殺することにしています。幸いそこで記憶障害が役に立つのです。普通の人なら黙殺されたのを根に持つかもしれないところですが、みんな忘れてくれるのです。しばらく時間をおいて別の話をすれば、前に主張したことなどすっかり忘れています。そうでないと高血圧の私など、とても毎日一緒に暮らせません。

 ここまで書いてから 2 週間ほど経ちました。

 最近は太り気味で、朝ズボンが止まらない、と騒ぎます。そこで少し減食をし、出来るだけ歩くように、勧めているのですが、中々計画的に自分で健康管理をするというようなことは出来ません。でもやっとホームのなかの廊下を早足で歩くことだけは、「私はゆっくりとしか歩けないから、先に早く行きなさい」と言うと、それを実行するようになり、未だ何とかなりそうだと、一息ついているところです。でもそれ以外は、体操をするとか、階段を歩いて上がるとか、全く駄目です。先日も私も無理をしてお寺参りにつれて行きました。その機会に少し歩こうという魂胆だったのですが、タクシーを降りて歩き出す途端に「足が痛い」と私の腕にすがるのです。これで計画していた散歩は無理になりました。これらを総合すると丁度反抗期の子供と同じように思われます。

 今のところ何とか自宅へ帰ること以外の話題で、何とか出来るのはテレビのニュースで見る事件くらいです。それも私達には何度も同じニュースを繰り返し見せられて面倒くさいものですが、彼女にはそのたびに新鮮で、時には隣室にいる私をわざわざ呼びに来ることがあります。「何々」と見に行ってみると、もう一時間前のニュースで見た事件の繰り返しであったりするのです。

 今私は「認知症のある人とコミュニケーションは可能か」という本を読んでいるのですが、少し前まではそれはこちらの姿勢で可能であると思っていましたが、最近一寸自信をなくしてきました。兎に角何を言っても、「こんなところに閉じ込められているから、何も出来なくなった。兎に角家に帰ります」とばかり繰り返すのですから。

 家内は軽度認知障害があると言われてからもう 5、6 年になります。このような形で病気は徐々に進行しています。

 


マルコム・ゴールドスミス著
私の声が聞こえますか
ーー認知症がある人とのコミュニケーションの可能性を探る
雲母書院
2008年 11 月 30 日発行

 

 

 
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