2009.1.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  68. 数えで 89 歳になりました
 

 

新年おめでとうございます。

 私のように大正にうまれて昭和の初めに小学校、中学校を過ごした者には、今の正月は何か物足りないのです。考えてみると年齢を満で数えるようになって正月の大きな一つの意味が失われたせいではないかと思うようになりました。数え年では正月元旦に家族みんなが一斉に一つ歳を取ることになります。ことに若いときは正月がくると一つ歳を取って大きくなったと、嬉しい気持ちになったものです。心からおめでとうと言えたような気がします。89 と言うと 80 代最後の歳ですから、我ながらよく此処まで来れたものと感心します。

 しかし、今では注目はもっぱら誕生日に集中することになりますが、家族みんな誕生日は違うので、それを覚えておくのは大変です。私の誕生日は 2 月なので、みんな寒くて相手にしてくれません。忘れている間に何時の間にか誕生日も済んでいます。しかし、家内のは 10 月 10 日でかつては体育の日で休み、また何時も天気がよいので、我が家の芝生の庭で孫を集めて家族全部でバーバキューをするのが楽しみでした。今は体育の日も連休になるように変わったので、昨年は 10 月 12 日に行いました。集まれるのも家族みんなとはいきませんでしたが。

 でも昔から学校は満年齢でした。4 月に満 6 歳になれば小学校へ入学します。満年齢ですから数え年では 8 歳の子と 7 歳の子とが混じっているわけです。そこで面白いことが起こります。7 歳の子、即ちその年の 1 月から 3 月までに生まれたものは、早生まれ、その前に生まれた者は、遅生まれ、と呼ばれたのです。生まれた時から考えると何だか反対のような気がしますが、早生まれとは早々と入学できたという意味でしょう。ここでは早生まれは、一寸大きな顔をしていました。ところがそれが中学校に入ると逆転するのです。私が入った中学校では一学年 300 名で、一年生ではそれを生まれた順に 6 つのクラスに分けられました。早生まれは皆 6 組です。それには 5 終(5 年生終了で飛び級で中学へ入学してきた者)も居ましたから、兎に角幼いのです。1 組や 2 組の連中がやってきて「何だこの赤ん坊みたいなやつ」と言って馬鹿にするのです。2 年生になると、今度は成績順で 1 から6 組まで割り振っていくので、やっとクラス毎の歳の違いがなくなってほっとしたものです。

 最近読んだ本に書かれていたので気がついたのですが、満年齢しか認めないのはプライバシーの侵害ではないかと、言うことです。選挙の投票所に行き、窓口で「**町の**です」と言うと、必ず「生年月日は?」と聞かれます。これで個人を確認するわけですから、生年月日というのはそれほど大切なプライバシーなのです。でも満年齢は生年月日が分からないと決まりません。ましてや有名人では満年齢は簡単には分かりません。例えば森鴎外が何歳で亡くなったか、などというときには彼の生年月日と死亡年月日の両方が正確に分からないと決まりません。これは簡単なことではありません。大抵の人について分かるのは、何年に生まれて何年に亡くなった位が、精一杯のところではないでしょうか。私の経験では満年齢の使い方はアメリカではもっと徹底しています。1950 年代のアメリカでの経験ですが、ある大学町で日本人の知人に連れられてビヤホールへ行きました。そうしたら入り口でパスポートを見せろと言うのです。見ているとアメリカの学生も皆ID カードをチェックされていました。これは飲酒の認められている 20 歳になっているかどうかを調べているのだと聞かされました。当時 30 代だった日本人の私はよっぽど若くみられたのか、と笑ったのでした。中が次第ににぎやかのなってくると、突然テーブルの上に女の子が立ち上がって乾杯をするではありませんか。「あれは一体何?」と訊ねたら、彼女が今日 20 歳になって大っぴらに酒が飲めるのを祝っているのだ、ということでした。最近日本でも喫煙についてやっと年齢チェクが問題になってきましたが。

 では西洋では皆満年齢かと思っていましたが、西暦というのはどうやら数え年ではないかと思えます。21 世紀になろうとするとき、私が一番気にしたので 21 世紀は 2000 年から始まるのか、2001 年から始まるのかと言うことでした。私は 1921 年生まれですから、後者だと丁度 21 世紀の始まりに満 80 歳になるということです。どうやら 2001 年から 21 世紀というのが正しいようでしたが、そうするとこれは数え年ではないか、と言うことです。21 世紀からさかのぼって考えると、キリストの生まれた歳が紀元元年ということになり、これは正に数え年です。

 初めにも書きましたように、私も今年は数えで 89 歳になりました。しかしこの八十路の連載は、2001 年私が満 80 歳になった正月に始めたので、出来れば来年一杯は続けたいものです。そこから先は生きているとしても九十路では“くそじ”で余り語呂がよくありません。それよりそれまで続けられるかどうかの方が問題です。その心境は数え年の古き時代の有名な俳句(一茶の句ではなかったかと思いますが)で代弁させていただきます。

正月や冥土の旅の一里塚

 

 

 
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