2008.11.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  66. 医者は何時の間に医療技術者になってしまったのか
 

 

 最近医療崩壊が大きな問題になっていますが、最近の東京都での脳出血をしていた妊婦のお産をめぐるトラブルは特に注目を集めているようです。このとき問題はもっぱら医師不足に絞られ、そのため医師の増員や医療費の増額が論じられているようです。勿論それも問題ですが、私から言わせるともう一つ大きな問題が見過ごされているように思えてなりません。それは私と私の妻が医療を受けている日頃の経験から考えさされていることなのです。今度の事件では、妊婦の状況について、主治医から救急病院へ連絡をしたという立場と、そのようなことは聞いてなかったという病院側とで、見解が相違するようです。しかし、少なくとも医師である限りは、救急を受け入れた側で、患者の全体を見ないで出産のことしか頭になかったでは済まないのではないでしょうか。それがまかりと通っているところに、今の医療の問題の深淵が潜んではいないでしょうか。

 今の医療技術は大変な進歩をしています。その多くは人体への複雑な操作を必要とします。したがって多くの医師はそれぞれ何か特別の医療技術をマスターしていないと、専門医とは認められないようです。心ある医師はこのような状況に対して自分は医療技術者になってしまったのではないかと自戒しておられます。医療の対象は複雑なヒトの病です。これに技術だけで対応されては患者の方はたまりません。医療技術はあくまで一つの手段に過ぎないはずです。患者の希望しているのはもっと全体的なものの筈ではないでしょうか。それに専門分科の細分化が拍車をかけて、患者の方が各科を巡り歩かなければ自分の悩みを解決してもらえません。一体医師には一人の患者の全体を把握し、指導してもらうことを期待してはいけないのでしょうか。私は基礎医学者ですが、幸い若いときに 10 年ほど内科の臨床をしました。したがってこの状況でも、自分の病を患者として同時に医学の立場からも理解することが出来ると思っています。でも一般の方はとてもそのようにはいかず、右往左往しておられるのではないでしょうか。

 私と家内とは同じ系統の病院で何時も診察を受けています。しかし、私は主に循環器系統の病気が主なので、内科の主治医を、家内は認知症が中心なので精神神経系の主治医をお願いしています。私の主治医は腰痛を起こしても、また貧血を併発しても、専門医と相談しながら全体として対応してくれます。私は上にも述べたように古い内科医ですが、内科こそ医学の中心で、常に患者さんその人について考え、病む原因を探り、それに対処する、のがその役目だと思っていました。私の主治医は正にそのように対応してくれています。

 家内の場合は残念ながらそうはいきません。病気そのものが今のところ治療法がないと言われていることもあり、主治医は私たち介護するものにその対応の仕方をアドバイスしていただくのが精一杯のことのようです。腰が痛んだり、気分が悪かったりすると、すぐにそれぞれの専門科のほうへ回されます。しかし、記憶障害のある患者の訴えは、過去とのつながりがよく分からず、実情の把握が極めて難しいのです。私が毎日一緒に居ても、その痛みの実体を理解することは極めて難しいのです。その痛みが何時どんなときに起こりどのように変化するのか。

 その上最近あるとき気分が悪いと訴えて、内科へ紹介されたのです。内科ではいきなり血液検査、超音波診断、心電図、胸部 X 線写真、最後には胃カメラと調べて何も異状はありません、ということになりました。胃カメラは大変上手らしく家内は全く何も苦情を訴えませんでした。しかし、これで済ますとは、その内科医は一体何を考えていたのかと、不思議に思ったのです。最近聞いていた検査マニアの医師とはこのような人のことかと、驚いたりあきれたりでした。よく話を聞きよく観察しよく考えることをしない医師、これが現在の医学を作っているのでしょうか。私はこの欄で 8 月に戦略のことを書きました。医学で今欠けているのは戦術ばかり取り上げて、戦略が欠けていることではないでしょうか。いくら医者の数を増やしても、これでは骨組みのない家のようなもので、すぐにがたがたになるのではないかと危惧します。「仏作って魂入れず」と言うではありませんか。

 

 

 
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