2008.9.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  64. 私の対がん戦略
 

 

 戦略などと言う怪しげな言葉を使うのは如何にも戦中派の老人の言いそうなことだと思われるでしょう。先日も昼食を摂りながら「このごろの日本には戦略がない」と言ったら、一緒に食事をしている秘書から早速「戦略て何です?」と質問されました。「戦いには、その場その場の戦術と大局をみた戦略とが必要なのだ。今の人はその区別も分かってないのではないか」というのがわたしの返事でした。私は戦時中軍医として従軍しましたが、その訓練中に野外で戦術訓練(?)というのがありました。戦況の説明があってから、現地の状況を観察し、さて我々に出された質問は「師団長の決心如何?」というものだったのです。大隊長でも連隊長でもなく、その上の師団長なのです。士官候補生への質問が師団長であることは、今でいえば一社員に「社長の決心如何?」と聞くようなものではないでしょうか。でもその位のスケールで物事を考えておくことの大切さを教えられました。これは未だ戦術ですが、もっと全体を見て将来の方向性まで考えたものが戦略です。

 今こんなことを書き出したのは、一つには現在北京オリンピックが開催されていて、その実況を毎日新聞やテレビで見ていて、北京に出かける前には、選手の誰もがメダルをとるような、励ましを言っていて、実際は限られた者だけしかメダルは取れませんでした。それは当然としても、そこに戦術だけでなく戦略の存在の有無を強く感じたからです。そのことを強く意識させられたのは、テレビ観戦の間に読んだ「戦略の本質:戦史に学ぶ逆転のリーダーシップ」(日経ビジネス人文庫)という本によるところが大きいのです。私たちは戦中、戦後に沢山の戦争を見てきました。それらを思い出しながら、この本で幾つかの負け戦を逆転して勝利に導いた緻密に練られた戦略を知ることができました。その例として第4 次中東戦争と第二次世界大戦中のスターリングラード攻防戦をご紹介します。

 先ずスターリングラードの攻防ですが、私はこれを篭城戦で、強力なドイツ軍に包囲されたスターリングラードがよく耐えた、のがその功績であると思っていました。しかし、この本によると、ドイツ軍は航空機と戦車による電撃作戦を黒海の北に展開し、ソ連と米国との連絡を絶ち、石油資源を獲得しようと黒海の北、ボルガ河の要衝をおさえようとしたのです。でもその航空機と戦車による破壊戦術がスターリングラードの市街では逆に働いてしまったのです。ソ連軍はそこを突いて少人数の歩兵のグループを沢山作り、白兵戦に持ち込んだのです。市街は破壊されて道がふさがれドイツ軍得意の戦車は身動きもなりません。結局占領できない間に、ソ連はシベリヤから大軍を輸送してドイツ軍の包囲に成功したのです。敵の得意な点を反対に弱点に変えたというのがその戦略です。

 第 4 次中東戦争は、大統領サダトの率いるエジプトという劣勢な国がイスラエルという優勢な国にどうして勝利をおさめるか、実によく練られた成功した限定戦争です。それまでエジプトのナセル大統領はアラブの盟主としてソ連の援助を得て、対イスラエルの戦争を指導し、多額の国費を使っていつも敗北を喫していました。そしてスエズ運河の東岸以東をイスラエルに占拠されてしまったのです。そのナセルが心臓病で急死し、副大統領のサダトがあとを継いだのです。幸いサダトにはアラブの盟主などという期待はありません。密かにアメリカとのパイプを繋ぐとともに、イスラエルに対する限定戦争を計画したのです。限定戦争という意味は、今までの対イスラエル戦争のように、イスラエルを滅ぼすことを目指すのではなく、スエズ運河の東岸 100 〜 150m を占領し、スエズ運河を取り戻すことだけに絞った戦争です。その計画は実に綿密にねられ、反対する軍人は全部免職し、新しい軍の組織で秘密裏に作戦が準備されたのです。エジプト軍がスエズ運河を渡って攻めてくれば、イスラエルは当然それが本国へ攻め込むものと考え、航空機と戦車の機動部隊を動員して迎え撃ってくるでしょう。サダトはそれを逆にとったのです。地空対ミサイル、高射砲など、耐空兵器、対戦車砲などを多数用意して渡河したのです。イスラエルから迎え撃つ機動部隊が到達するまでの時間も予測し、その間に陣を作ってしまいました。この地対空の戦闘でイスラエルはその保有機の 23 %にあたる 114 機を失いました。また歩兵の対戦車戦でイスラエルはその保有戦車 290 両の約 7 割を失ったのです。そこでサダトはアメリカの仲介を得て、スエズ運河を自分の手に取り戻すことに成功したのです。そしてエジプトとイスラエルとは平和に共存しています。

 でも悲しいことに、1981 年 10 月 6 日、第四次中東戦争勃発 8 周年を記念する観閲式の最中にイスラエルとの和平に反対する狂信的なイスラム原理主義者達の凶弾によってサダトは非業の死をとげたのです。

 

 さて今私たち医学に携わる者にとっての大きな戦いの一つは対がん戦争です。いまの我が国の現実は、丁度爆撃機や戦車を次々と増強して攻め立てて結局は勝利をもたらしえなかった戦略のない国のように思えます。がんセンターは次々充実されますが、現に沢山のがん難民を生み出し、その大元は国立がんセンターかも知れないとセンター総長が言っているくらいです。製薬企業は爆撃機や戦車に相当する新薬を狙っています。放射線も大型機器が次々と作られています。でも上の戦史の分析は最後の勝利は歩兵による地道な占領にあることを示しています。それをがん治療に置き返れば、日々患者に接する臨床医を十分に支援すること、それに出来るだけ多くの治療手段を提供することではないでしょうか。その意味で今までの手術、放射線、化学療法に加えて、免疫療法、温熱療法などをもっと力をこめて普及させることが大切ではないかと訴えたいと思います。特に適応の広い温熱療法はもっと普及させるべきではないでしょうか。もう一度みんなで対がん戦略を練り直す必要性を、これらの戦史を読んで痛感しました。

 

 

 
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