2008.6.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  61. アロウスミス
 

 

 Q:「アロウスミス」とは一体誰のこと?聞いたこともない名前ですが。

 A:そうです。皆さんは聞いたことがないでしょう。これは 1920 年代のベストセラーの題名であり、主人公の名前なのです。

 Q:では何故今頃 1920 年の古い話が話題になるのですか。

 A:実は私も驚いたのですが、最近の Nature(2008 年 5 月 1 日号)の書評欄に珍しく「古きを顧みて」と別記して、シンクレア・ルイス著「アロウスミス」1925年版の紹介があったのです。実は私にとってはこの本は忘れられない思い出の篭ったもので、この主人公マーテイン・アロウスミスが、医師から医学者になり、その間にお金儲けと名誉欲にしか関心のない周りの人々に反発しながら、医学者として当時最大の疾病だった伝染病との闘いに命を懸けて生きていく姿に、70 年前の高校生だった私はこころを惹かれたものです。この本の影響もあって私はその後、医学部にすすみ医師になりました。しかし、臨床医として 10 年も過ごした後に、学閥のしめつけから逃れて自分自身の学問をするべく医学者に転向した実際と照合しながら、懐かしくこの書評欄を読みました(本欄 45:反骨の人生、平成 19 年 2 月)。

 Q:一体 Nature はどうゆう意図で、そんなに古い本を今になって紹介したのでしょう。

 A:それは、書評欄のタイトルに書かれている次の言葉が示唆しているのではないかと思います。

“ビジネスが生物学の流行病になるとき:危うげな学園資本主義と初期のファージ治療をめぐる 1920 年代のベストセラーは、今もなお同感させるものがある。”

 私は、今この本を紹介した Nature の批判精神を高く評価したいと思います。

 Q:でも先生ばかり独りで、感慨にふけっておられても、その本を読んだことのない私にはもう一つピンときませんね。

 A:ごもっとも。この書評でもそう考えてでしょう、要領よくお話をまとめて紹介しています。この梗概は、私の記憶をNature の記事で補って書きました。間違いも多いと思います。後にこの本の現在の入手について書きますから、どうぞ、自分で読んでください。

 アロウスミスが最初に赴任した病院では、大掛かりな、しかし効果の確かでない治療装置を並べて患者を威圧する様子が描かれています。ここに著者は医療の商業主義を批判しているのです。次に移った研究所では、世界的な名声とお金とに目のない所長の姿が描かれています。そこでそのような医学研究のあり方に批判的な論文を書いた主人公はそこを首になり、アフリカの現地での伝染病との戦い、細菌を殺すウイルスであるバクテリオファージ(当時ウイルスという言葉はありませんでしたが)の研究に没頭します。しかし、不幸にもそこで最愛の妻が伝染病に感染して死亡するのです。絶望した彼は母国に帰り、静かな森の中に抗血清をつくる研究所を作り、最後の夢を追うのです。

 Q:私も読んでみたいものですね。そんな古い本が今でも手に入りますか。

 A:私も古本屋でないと手に入らないと思っていたのですが、私の秘書が、比較的最近に再版されていることを教えてくれました。私もこれからそれを読んでみるつもりです。私の記憶では、「アロウスミスの生涯」というタイトルだったと思うのですが、1997 年 8 月に「地球人ライブラリー」のなかにシンクレア・ルイス(内野 儀訳)「ドクター アロウスミス」(¥ 1,600 +税。ISBN4-09-251036-5)として出版されています。帯や解説の記事を読むと、私と違って主人公個人の人生観を中心にした読み方をしている人も多いようです。その点Nature の紹介の方がもっと広く医学界そのものへの現状批判的ですし、私もそれに同感します。

 Q:ところで、前回書かれていた先生の貧血やがんの話はどうなりました。

 A:有難う。がんの方は一応疑いが薄れたのだが、貧血は相変わらずで、仕方なくスローなところを一層スローに仕事をしているので、この本も書いてから読むという変則な順番になったのです。悪しからず。

 

追記:この原稿を書いてから、上に紹介した「地球人ライブラリー」出版の本を読みました。その結果、先ず私の記憶違いで、アロウスミスが病院を批判したのではなく、自分が医院を開業した経験での批判でした。そしてこの本はこの小説の前半、開業を止めて夢をいだいて研究所に移るところで、終わっています。この後に、研究生活の葛藤が描かれているはずです。インターネットで調べると、古い翻訳は上下2巻になっているようです。

 

 

 

 
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