2008.5.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  60. 強い貧血を患って
 

 

 可なり前から、「貧血が強いですね。この原因を解明する必要がありますね。」と主治医の T 先生から言われていたのですが、自分では別に異状は感じないし、原因解明は先生にお任せして、と余り気にしていませんでした。しかし、4 月になって 8 日から 1 週間ほど国際会議でドイツへ行きたい、と T 先生に相談したところ、「それでは輸血でもしますか」と言われたのです。私にとって輸血と言うと血清肝炎などがすぐに頭に浮かび、とてもすぐに「はい」と言う気になりませんでした。貧血が強いと言っても軽度ではなく、普通 1ml あたり 450 万から 500 万個あるべき赤血球が 200 万個しかないのですが。

 それでもこの状態でとうとう 4 月 8 日に関空をたってドイツに向かいました。飛行機が少しおくれてフランクフルトに着いたので、予定のミュンヘン行きの乗り継ぎ便はすでに出発してしまっています。フランクフルトの空港はとても広いので、乗り換えに歩くだけでも何十分も掛かるのです。やっと乗り換えの窓口に着いた頃には私はすっかり疲れ果てていました。同行の仲間がそれを見かねて車椅子をかりてくれました。それから私には快適な車椅子の生活が始まったのです。勿論それは空港の中だけですが、車椅子は総てに優先で、パスポートの検査でも、他の人を押しとどめて私を先に通してくれました。乗り継ぎ便も多分「あの老人を何時まで待たすのか」と言った文句が役立ったのではないかと思います。待席リストの先頭に我々を入れてくれ、何とか無事目的地のミュンヘンに夕方に到着することが出来ました。

 4 月 14 日に関空に帰って来て、見ると車椅子の通路の入り口に張り紙があって、ここを通れる者は、特別許可証を持参するものに限る、といったことが書いてあるではないですか。車椅子に乗っている人は、それだけで困っている人と信頼して、特別待遇をするヨーロッパと、仲間内以外は何でも疑って証明書がないと信用しない安心の国日本、という最近読んだ社会心理学者の山岸俊男の議論を思い出しました。

 でも学会で来たミュンヘンでは、少し歩くと足が重く、ホテルから前の中央駅の建物の周辺を歩くのがやっとで、タクシーで通った学会場のほかは何処にも行けませんでした。そこで感じたのは老衰ということです。最近老衰死という言葉は新聞の死亡広告でもめったに見ませんが、身体は弱り、何時も眠くてうとうとしている自分は正に老衰の第一歩ではないかと思ったのです。むしろこのまま、何時の間にか永の眠りにつくとすれば、それが昔曽祖母の 94 歳の死を見送ったのに当るのではないか、など考えていました。

 しかし現実はもっと厳しいものです。帰国後の血液検査で更に貧血が進んでいることが分かり、遂に輸血を受けました。その効果は覿面で、翌日から足が軽くなりまた前のように少しの距離なら苦痛無く歩けるようになりました。そこまでよかったのですが、検査はさらに原因探求に向かい、がん検診の PET 検査を受けることになりました。その結果出てきたものはがんの疑いです。老衰死で眠りながら死んでいくなど夢物語でした。これから苦しい検査、がん告知と、多くの人と同じ道を歩まねばなりません。それはこれからはじまる物語として次の号にゆずることにします。

 


山岸俊男著 日本の「安心」はなぜ、消えたか
集英社インターナショナル
2008年2月発行

 

 

 
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