2008.2.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  57. 最後のひと踏ん張り
 

 

 私もあちこちに病気を持ちながらこの 2 月でとうとう 87 歳になりました。でも段々と体力が衰えていくのは日々実感せざるをえません。相変わらず財団の理事長としての活動は続けていますが、何時までも同じ調子では続けられないと思います。多くのことはそれぞれの担当が分担して順調に発展させてくれると安心していますが、唯一気がかりなのはがん治療における温熱療法の普及です。特にその優れた特性ががん治療に当たる専門医の大多数によく理解されていないことです。学者としては、基礎研究から積み上げて最後には国の健康保険でも認められ、段々と臨床利用も進んでいるので、やるべきことは十分にやったと言うことかも知れません。でもこれでは私は満足できません。しかし自分の年齢を考えると、これから新しい研究計画を立ち上げることも出来ません。そこでもう一年だけ歳を与えてもらって出来るだけのことをやってみたいと考えているところです。今までは患者さんたちにインターネットや雑誌などを通じて働きかけ、そのためのNPO 法人(さきがけ技術振興会)も創りました。でもこの一年は医師、それも世界の医師を対象に頑張ってみよう、と言うことです。

 先ず私が始めた日本ハイパーサーミア学会が、温熱療法についてのガイドブックを出版するというので、その序文に医師への訴えを書きました。また今年は同じ学会の第 10 回国際会議がドイツで開催されることになっています。この国際会議は第5回を私が京都で開催し、ちょうどそれから 20 年になります。学会参加者数もあのときがピークで、そのご段々に減少しています。何とかこれに参加して、世界の学会に新しい考えを植え込みたいと考えています。ただこのところもう何年も海外旅行はしたことがないので、体がどこまでこの気持についていけるか、疑問ですが。

 最後にこのようなことを進めるのには、しっかりとした基金が必要だということです。がんの新薬がつぎつぎと開発されますが、それは莫大な資金を持つ世界企業が手掛け、従ってその宣伝力も極めて強力で、また出来た新薬も極めて高価であるということに気をつけて下さい。貧乏学者が徒手空拳で、この大企業を相手にせねばならないのです。この点はハイパーサーミアを進めようとしている世界の学者がみな一様に憂いているところです。残念ながら、このために作った私たちのNPO 法人は今のところ余りにも弱体です。これをなんとかより強力なものにしたいものです。皆様のご理解とご協力を切にお願いいたします。

 

 以下に上述した学会のガイドブック(本年春出版予定)への私の序文を転記しておきます。少し専門的ですが、何が本当に問題かを考えていただくのに、ご参考になれば幸いです。

 

ハイパーサーミア学会ガイドブック序文

      序文:ハイパーサーミアをがん治療に役立てよう

 人生の巡りあわせで、内科医から放射線生物学者に転向した私は、最後にはやはり医療に戻って社会に直接役立つことをしようと、がん治療の向上をめざして「貧乏人のサイクロトロン」計画を始めたのは 1975 年のことでした。サイクロトロンというのは最近では粒子線加速器と言われているものの代表のつもりで、ご承知のようにこの装置は極めて高価で、それによる治療費もきわめて高額になります。それ以上の、少なくとも同じ程度の治療成績をもっと安価な、誰でも受けられる治療費でえることを目指したのがこの研究計画です。しかし、生物学の理論は出来て、それに基づいて沢山の化合物を合成し、その中から選び出した物について培養細胞で成功し、動物実験でもうまくいっても、最後の臨床試験で合格するものにはなかなか到達できませんでした。また改良を重ねてこれはと思うものができた時には、今度はそれを取り上げてくれる製薬企業がありませんでした。

 この中で、唯一つ臨床利用まで達したのが、この本でご紹介するハイパーサーミアなのです。それは物理的な方法であり、また正常の人の耐えられる温度範囲での使用ということが大きく寄与していると思います。今までの医学では熱が出るというのは病気の症状としてしかとらえられていませんでしたが、その熱をたくみに使うことで、がんを治そうというのがこの方法の基本です。

 この分野の研究を始めたのは私を始めほとんどが放射線に関係した人たちでした。そこでの発想はどうしても放射線に代えて熱を使う、すなわち熱を腫瘍に集中することに熱中しました。我が国だけは、私が初代会長として、出来るだけ自分の枠に閉じこもらないように心掛け、広く臨床家の参加を求めました。でも諸外国では依然として放射線科中心です。これがその後の発展に大きく影響しているで、欧米より我が国で注目されるようになった理由であろうと思っています。すなわち広い分野の研究者、臨床医がいろんな立場からこのハイパーサーミアを考え、あるいは試み、これに私たちが最初に考えた範囲を遙かに超えたいろんな働きがあることを見出してくれました。いやまだまだもっと新しい働きが見出されることでしょう。従来の放射線治療との併用などについては既にいくつかの Randomized study が行われその有効性が示されていますが、このように複雑、多様な作用があるとすればその有効性は、単純な二項比較では出来ないので、臨床データの積み上げで示していくことにならねばならないと思います。

 この本は学会の専門家がそれぞれの得意の分野について最新の知見を述べています。そこには残された問題についても正直に記されています。普通はそこでしまいです。抗がん剤では製薬会社の示す、指針に従って治療することになるでしょう。でもハイパーサーミアでは逆にこれが出発点なのです。現在使われている装置は、もちろん完全とは言えませんが、使い方に習熟さえすれば、副作用なく繰り返し治療できます。そこでこれを如何に使い、がん治療の成績を向上させるかについて、臨床医各自の創意と工夫を取り入れる余地があり、私はそれによって学問も発展し、個々の患者の治療にも貢献して頂けるものと期待しています。

 新しいがん治療法は、粒子線治療も次々と開発される抗がん剤も、どんどん高価になります。またそれを作る大企業は大きな宣伝力を持っていて、人々を引きつけます。最近ある国際科学雑誌にこんな記事がありました。新しい抗がん剤が次々と開発されるがそれがどんどん高価になることを問題にしているのです。

 進行した大腸癌の患者が来ました。それに対して医師の言った言葉です。「患者さん、今の薬では大体 11 月のいのちです。これは 12 年前から標準的に使っているものですが$ 500 位です。しかし、最近新しい薬が出来ました。これだと今までの倍 22 月の生存が期待できます、しかし、これには$ 250,000 必要です。」

 どうです、ハイパーサーミアを抗がん剤とうまく併用して、$ 500 +αで$ 250,000の相当する効果を目指しませんか。それは患者のためでもあり、医療費の削減にもなり、なにより医師としての貴方の創意が生かされるのではないでしょうか。

 

  平成 20 年 1 月 15 日

87 歳を目前にして、京北山の寓居にて
菅 原  努

 

 
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