2008.1.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  56. 奇妙な老夫婦
 

 

 このページも 2003 年 6 月から始め、今度で5 年目を迎えることになりました。この間に幾つか病気をしながらも、何とか元気に生き延びてきました。今のことですから、子供達も居ても、それぞれ忙しく働いていて、結局は老夫婦二人での日常です。それがそれぞれ違う能力の欠損を持つようになって、理屈ではうまく足し合わせることができれば、お互いに補ってうまくいくはずですが、実際はばらばらで理屈通りには行きません。

 簡単に言うと次のようになります。夫である私は耳が遠くて会話がうまく出来ない。妻である家内は短期記憶が悪く、何でもすぐに忘れる。そこで、会話では家内が私の通訳をして話を取り次ぐ、その代わり私が家内のメモ代わりをする。こうすれば二人合わせて一人前と言うことで、万事 OK の筈です。ところがこうはうまく行かないのが現実です。

 家内については主治医の先生が、うまいことを言われました。「奥さんは、瞬間を生きておられるのです。」今話し掛けられたことに対しては的確な返事をする。次々とそれの繰り返しであるから、初めて会った人はなにもおかしいとは思わない。しかし、会話を続けていると、同じ話題が何度も出てくるので、よく気のつく人には、一寸変だと思われる。私に話を取り次いで、話題を回すなどということはとても出来ない。私は横ではらはらしながら、よく聞こえない話を黙って聞いているが、その内容は何も分からない。ただぼろがでないことを内心密かに祈っている。

 私との間では「今日何日?」を数回繰り返すところから一日が始まります。そのうちに「でももうすぐ暖かくなるから」と言うので、あわてて「いや今12 月だよ。これからいよいよ冬になるのだから、寒くなるよ」と否定しなければなりません。他人との会話では私が「今何と言われた」と聞くと、初めて「この人耳が遠いものですから」と断って、「これこれですよ、と言っておられます」と教えてくれます。通訳的なことなど、とても望めません。

 私の方は、先日も家内を出来るだけ人々と話す機会に連れ出そうと、住んでいる老人ホームでのクリスマス・パーティに連れ出しました。はじめにホームの有志のコーラスがあり、懐かしい歌の数々を聞かせてもらいました。しかし、私にはそれがガーガーという雑音にしか聞こえず、昔この欄に書いた「歌を忘れたカナリア」の記事を思い出していました。主催者としては入居の老人たちに懐かしい歌を聞いてもらって、楽しんでもらおうと企画されたのでしょうが、私にはこんな昔なじんだ歌もまともに聞けなくなったのかと、密かに涙を流していました。

 先日私たちの主催する市民公開講座で歌人の道浦母都子さんの挙げられた歌のなかに、

「どなたかのう」
「あなたのむすめ」
 アッハッハ
 寝起きの母は
 ご機嫌よろし

井倉 道代

 というのがありました。これが「どなたかのう」「あなたの夫」などとなっては大変だと、未だそれにならないのを喜んで新しい歳を迎えました。お正月には狭いホームの部屋に、子供と孫達が集まってくれます。でも孫たちもお祖母さんから、何度も「あなたは、どこの大学」などと何度もきかれて、まごつくことでしょう。

 

 

 
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