2007.9.1
 
八十路のつぶやき
 
菅 原  努
  52. 安楽椅子研究者の夢
 

 

 定年前に大学をやめて国立病院の院長という管理職をやることになった私には暇を見て科学雑誌に目を通すのが楽しみでした。The Science(ニューヨーク科学アカデミーの雑誌)に Test Tube Animal という題をみて何事かと思いました。丁度 1981 年私が 60 歳のときでした。これがきっかけで動物実験代替法の研究グループ作りに奔走することになったのです。欧米では動物実験に対する反対運動が激しく、これに対して科学者として対応するべく動物実験代替法という新しい学問分野が確立されつつある、というものでした。動物実験の結果を細胞培養で解析しようとしていた我々放射線生物学者には、何とか手のつけられそうな課題であり、我が国でもいち早くこのような分野を開発しておく必要があると考えました。

 小さな私的な集まりから、1985 年には資金の援助も得て研究グループができ、それが発展して学会になったのが 1989 年のことでした。この研究の目標は 3 つのR に代表されます。それは Reduction(数を減らす)、Refinement(動物の苦痛をへらし、やさしく扱う)、Replacement(実験動物に代わる方法を確立する)で、1950 年代にRussell とBurch の二人が言い出したものです。前 2 者は順次それなりの工夫が考えられますが、一番科学的な努力が要るのが、Replacement です。その目前の課題としては、目の刺激性を調べるDraize 法と皮膚刺激性とが化粧品開発での大きな宿題と考えられていました。細胞培養を使ってそれを代替せねばなりません。この場合には、新しい方法が提案されると、それを多施設で、既知の薬品を名前を伏せてその方法で刺激性について評価し、それがうまく一致しなければ、動物実験の代わりとして認めるわけにはいきません。多くの方法が提案されたのです、なかなかこの基準を満たすものは見つかりませんでした。私も 1994 年の米国ボルチモアでの第一回世界会議には日本代表として講演しましたが、そのご学会長を若い方にゆずり、名誉会員になっていつの間にか実際の活動からは離れてしまっていました。

 今年のはじめに学会から東京で代替法学会の第六回世界会議を開催することになったので、招待するから出席してほしい、またそのあと京都でサテライト会議をするので、そこでは短い挨拶をしてほしいとの依頼がありました。兎に角ご招待は受けることにして、いったいこの学会は私が離れてから、そんな国際会議が出来るほど大きく発展したのか、喜びながら一抹の不安を持っていました。私がボルチモアへ行った時には、会員は 500 名近かったと思います。ところが最近の学会の予算書をみると会員は 300 名となっています。これでは大変だろうと財団からも幾らか寄付することにしました。

 ところが、当日学会場に着いて驚きました。開会式の大会議場は一杯の人で、少なくとも 400 名は超えている、世話人の話では登録数は 800 名で、最終的には参加者は 900 名をこえた由です。講演も午前と午後の初めにある招待講演の後、8 つの会場に分かれて並行してシンポジュウムが行われ、ポスター発表も 150 題位が 2 回に分けて行われるという盛況です。しかも欧米からの出席者がほとんどで、何か日本が討論の場を提供しているという感じまでしました。話を聞いていて段々と分かったのですが、欧米では皮膚刺激と皮膚光刺激について培養系による代替法が上に述べた Validation 試験に合格し、実用化のめどがついた、と言うことのようでした。それに基づいてEU では 2009 年からそれを用いない化粧品は販売出来なくなります。そのときにどの会社の製品を使うかもこれからの競争になります。(具体的にどれとどれがどうなるかは、私の聞きかじりでは正確でないことをお断りしておきます。)しかし、集まった欧米の科学者ことにEUの人たちの、「我々は遂に困難を突破して成し遂げたぞ」という、激しい心意気を感じたのです。私にはこんな精神の高揚した学会は初めてです。なお中国には私が渡辺正己教授(当時長崎大学、現在京都大学)と一緒に1996 年に北京で、代替法について話したのが役立って、北京でのサテライト会議には 150 名の参加があったそうです。東京にも中国から数名の参加があり、近く学会を設立するということでした。

 国内ではEU に製品を売り込もうとしている大企業は別として、規制当局もマスコミも一向に姿を見せませんでした。毎日ホテルの部屋にほり込まれた日本経済新聞では一回だけ「仏ロレアル:ヒト細胞から人工皮膚:化粧品など動物実験を代替」という記事が載っただけでした。しかもこの記事にはこれが将来規制の対象になると言うことが、指摘されていませんでした。我が国はOECD に加盟しており、いずれこの規制はOECD に及ぶと思うのですが。

 ここで今回の主題に戻ります。私が言い出して始めた学会ですが、私が離れている間にいつの間にか成長して、このような世界的な貢献が出来るようになった。学会の講演でも日本でこれを始めた「すがはら」という声を聞きました。何人かの学会の幹部から「先生のおかげで此処まできました」と感謝の言葉を述べられ、安楽椅子での昼寝から覚めたら、いつの間にか夢が現実になっていたような、嬉しいような妙な気分になりました。

 

 

 
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