1999.10.4
 

放射線を受けるとどんなことが起こるか?
東海村ウラン工場臨界事故の教訓

菅 原 努
(平成11年10月1−3日記)

まえがき
1)外部被曝と体内被曝
2)人の体にどんな事が起こるか
追 記
3)本当に何もないか

 

まえがき
 
このホームページでは謎解き放射線生物学という形で、放射線の人体への影響のわかりやすい解説を始めていますが、9月30日に東海村のウラン処理工場でとんだ事故が起こりてんやわんやの騒ぎになりました。私にはその実体は新聞やテレビの報道しか分からず、それには私達の本当に知りたいことが出てこないので、的確な説明は出来ません。しかし、新聞社の方から一般論として被曝者と言われている人達には一体どんなことが起こると考えられますか、という質問がきました。それに答えても、どうやらこの人たちにはチェルノブイルの記憶が頭にあるようで、私の説明がすっきりとは頭に入らないようです。ことに外部被曝と体内被曝の区別がつかないようです。

 もう一つ、実は私の方にも一つの疑問があるのです。それは10月1日の夜のテレビを見ていると、10km以内の室内待機を解除された人達が沢山放射能の測定に詰めかけられたという報道についてです。この事故はウランが臨界に達して核分裂を起こしたということですが、幸い爆発はしなかったようです。それによっって現場の周辺では揮発性のヨード131などの放射能のもれがあったかもしれませんが、とても10km以内の人達に放射能汚染があるとは考えられません。

 この様なときに必要なことは、人々が事態について正しい理解をするような情報を流すべきで、かえっていたずらに心配をするような報道をしたことが問題ではないでしょうか。そう言えば測定値としては中性子線の値だけが報道されているのに、言葉では放射性物質が云々ということが何度も言われました。このような混乱した情報を流したことは、いわゆるリスクコミュニケイションの誤りではないでしょうか。この際事故の原因、対策については専門家にまかせるとして、むしろ住民の健康について何がどうゆう理由で起こり、何が問題かを正しく理解して住民は何をすべきかを考えてもらうように報道するべきではなかったのではないでしょうか。こんなことは言っても分からんだろうから、議論の結果だけを知らせようと言った姿勢があったのではないでしょうか。

 よく考えてみて下さい。皆さんは家の中に居たのです。放射能で汚れているとすれば、それは家の外回りであるはずです。その量は既に測定されているはずで、それを住民の皆さんにお知らせすれば、長い行列を作らなくても安心出来た筈です。いやそれでも心配だと言われるのは、今度は皆さんの勉強不足です。自分で良く考えることをしないで、不安だけをぶつけるのは先進国日本としては恥ずかしいことではないでしょうか。

 放射線をめぐるいろんな事が現実に我々のまわりで起こり、これからも被曝された方々の経過が日々報道されるでしょう。これを教材に放射線の事を勉強すれば、それは本当に身についたものになるでしょう。謎解き放射線生物学の話の順序が乱れますが、今度の事故を中心に考えてみたいと思います。

1)外部被曝と体内被曝

 先ず、外部被曝と体内被曝の区別です。今度の事故ではどうやらウラニウムが臨界に達したということで、そこで核分裂が起こったと考えられます。即ち原子炉の中で起こっているのと同じことが一時的に起こったわけです。原子炉のように遮蔽がしてないとすると、そこからガンマ線中性子線とが外へ遠くまで出て行きます。これが人の体に外部から浴びせられるので、それを外部被曝と言います。

 もう一つ核分裂が起こるとヨード、ストロンチュウム、セシウムなどのいろんな核分裂生成物が出来ます。爆発でもすればこれらが一挙にまき散らされるわけですが、今度の場合は精々外部へは少し漏れる程度ではないかと思います。これが体の中に入ると内部被曝になるわけですが、これは極く僅かではないでしょうか。よく話題になるヨードは体の中では甲状腺に集まるので、それの中からの被曝が問題になります。

 体内被曝の場合はその放射性元素がどれくらい体内に留まっているか、またそれがどのくらいの時間で消滅するか、が問題です。しかし、今回は特に問題が生じない限りこれはないものとして略しておきます。何か起こればその時に説明を加える事にします。今度の事故で10km以内の人に屋内待機をお願いしたのは、私は臨界状態が続くと爆発のおそれがあるかもしれないという、万一を慮ってなされたものと思っていたのですが。従って臨界状態が無事に終わればそれで安心で無事待避は終了ということではないでしょうか。それで後の測定騒ぎに驚いた次第です。勿論若干の人はなお心配で測定を希望するにしても。

 外部被曝では今度の場合ガンマ線中性子線とがあります。中性子線の作用の仕方と強さとはそのエネルギーによって異なりますので、複雑になりますが、これをガンマ線等価に換算し両方を一緒にしてシーベルトSv単位で表します。それが何mSvとか何Svとかいわれているものです。この時中性子線はエネルギーによって一部の元素を放射化することがあります。血液中のナトリウムなどが主なもので、極めて短寿命のものです。線量への寄与は少ないと考えられます。今度の場合、科学技術庁の発表の中に、患者さんの吐瀉物、携帯電話からナトリウム24が検出されたとありますが、それは多分この放射化によるのでしょう。しかし、一般には臨界が終わって放射線が出なくばればそれでお仕舞いのはずです。

 この外部被曝の場合の放射線は、臨界に達した容器から四方八方に飛び出す訳ですから、それは線源である容器からの距離の自乗に反比例して減ります。1mの所で死ぬ位の大線量あったとしても、100m離れれば1万分に1に、1km離れれば100万分の1に減ります。10Gyのものが、0.1mGyさらに1μGyと僅かなものになります。これは一般住民には心配が要らないということですが、臨界に達していた間、村内でも0.2mSvの値が示されたと言うことは、容器の所では線量が極めて高かったということでもあります。そこで水をぬいたり、硼素をいれることが大変難しかったと思われます。

2)人の体にどんな事が起こるか

 今回の事故では被曝者は49人と発表されていますが、その線量は公表されていません。これはこれから述べますように、線量が分かると大体どんなことが起こるか、生死を含めて今後のことが予想されるので、プライバシーを考えて公表されないのだと思います。

 私達は1960年代にネズミに放射線を当ててどんな変化が起こるか、最後にどのようにして死ぬかを盛んに研究したものです。日米が中心になり、欧州の科学者も交えて国際セミナーを開いたのは1968年のことでした。それ以後チェルノブイリ事故までは、幸い致死量の放射線を受けるようなことはなく、研究の関心ももっと低い線量での発がんのほうに向かっていました。最近兵庫南部大地震があって、緊急事態に対する関心が高まり、放射線についても急性傷害の治療や緊急時体制の準備などが進みつつあったところです。皆さんは準備が不足ではないかと非難されますが、研究や準備を進めようとすると、では事故は起こるのですかと変な目でみられてきたのですよ。

 いや、話がそれました。ここで本論に戻りましょう。Svのオーダーの放射線を受けた時の何よりの特徴は、すぐには殆ど症状が出ないということです。そして何日か経ってから急に症状が悪化します。その基本はつぎのようなことです。人の体は細胞で出来ていますが、その中で大切な血液、腸、皮膚などの細胞は一生分裂して新しく置き換わっています。放射線はこの細胞の分裂を止め、または最近の知識では分裂の元になる細胞を自殺に追いやり、細胞の置き換わりを止めてしまうのです。放射線の症状はこの細胞の置き換わりの早いものから出てきます。それは腸、血液を作る骨髄の細胞、皮膚の順です。人では実験が出来ないので正確なことは分かりませんが、腸の粘膜細胞の枯渇で死ぬ腸死は7,8日にピークがあり、造血傷害による骨髄死は20−40日にピークがあると考えられています。実験動物ではこれらがもっと早くしかしこの順で起こります。

 これの例外は脳の細胞で脳細胞は生後分裂しないことで有名です。従って放射線が脳を壊して死ぬというのは本当に大線量で脳細胞の中の分子がバラバラに壊れて初めて起こり、それは1,2日という早期におこります。しかし、線量の少ない時にも吐き気や嘔吐、頭痛という神経症状だけは早期に現れます。それからしばらく小康状態を保ちその後上に述べた腸死が起こります。もし線量がもう少し少ないと胃腸症状は何とか切り抜けることが出来ますが、つぎに骨髄死の時期がやってきます。これを骨髄移植や造血因子の投与で切り抜けられたら幸いです。2ケ月を切り抜けることが出来れば何とか急性死は免れたことになります。腸死の危険、骨髄死の危険は線量によりますから、線量が分かればどんな危険があるかの予想がつくので、線量の推定が急がれるわけです。

 線量が少なくて250mSv以下では何の症状もなく、血球の減少もありません。今度の場合、一般住民の方は全部これに相当します。被曝者と言われている人達で放射線綜合医学研究所へ入院された3名は別ですが、その他の方は致死線量に達していないと考えられているのではないでしょうか。

追記:
 ここまでは10月1日夜に一気に書き、2日の新聞の住民測定の記事をみて書き足しました。今3日の新聞を見て若干の補足をしておきたいと思います。どうしてこの事故が起こつたかについては、「独自のマニュアル 会社ぐるみの違法作業 前日から二重の工程違反」などの見出しで分かるように、どうやら1960年頃の事故かと疑うようなことが実際にあったのだということが分かりました。しかし、これはここでの私の問題ではないので、これ以上深入りはしません。

 3日の新聞には幾つか識者の言葉が載っています。“野口邦和・日大歯学部講師(放射線防護学)は「今回の事故では、放射線を出すちりなど、放射性物質は飛び散っておらず影響はないと考えられる」と話すが、これだけでは一般の人には分かりにくい。”同講師はこの点を詳しく説明しておられると記事にはありますが、“住民にしてみれば、家や家具などに放射能が付着しているというイメージがあり、村教委の「屋外の遊具にさわらないように」という指示にちながっている。”と正に私が指摘した誤解が問題を生んでいるようです。また、“館野淳・中央大教授(化学)も「放射線量だけでなく、ちりの量も公表しないと、安全かどうかだれも判断出来ない」と情報提供の不十分さを指摘している。”と私と同じ点を指摘しています。

 3日の新聞で一番の問題は入院した3人の被曝量が公表されたことです。私は初めにこれはプライバシーの問題であると書きました。これが分からないと治療の方針が立ちません。しかし、これによって本論の2)のところに書いたように、その予後も可成り予測が出来ます。これがプライバシーである所以です。多分外部からはその公表をせまられて、担当の方々はこのことを考えて苦慮されたことと思います。読者のみなさんはこのことを頭においてこれからの記事を追跡して下さい。そうすれば、後になって私の言っていることの意味がお分かりになるでしょう。

3)本当に何もないか

 これで市民の方は安心と思うのですが、現実はどうやらそれでは済まないようです。放射線はどんなに少しでも危険と言はれているではないか、どおしてそれが大丈夫かという質問が残りそうです。新聞記事によると工場の内部は大分汚染されているようですので、それは除いて一般住民の問題を考えてみることにします。

 先ず、今までの情報から住民には外部被曝だけを考慮すればよいと思います。その中に中性子がはいっているので体内での放射化を一応考慮しなければなりませんが、実際にはその影響は無視できると思います。すると住民の受けた線量は1mSvかそれより遙かに少ない量でしょう。その時にどんなことが考えられるかということです。

 国際放射線防護委員会ICRPは「放射線はどんなに微量でも危険である」と言っているではないか、だからこれも危険ではないかという疑問があるでしょう。実はICRPはこれは人々を放射線から護るための防護の基準を決める為の考え方で、出来るだけ無駄に放射線を受けないようにと考えてこのように表現しているのである、と言っています。実際に放射線を受けてがんが増えたとする証拠は100mSv以下では見られないということが1997年アメリカの諸学会会長会議の結論です。また、アメリカの放射線防護委員会NCRPやヨーロッパを中心とするOECDの放射線グループが昨年それぞれ低線量放射線のリスクを検討した報告書(案)を出しています。その中でOECDは防護の基準には今の考え方をとるが、実際に被曝が生じた時のリスクをより具体的なデータに基づいて行うように勧告しています。

 100mSv以下の線量のところで何が起こるかは学者の間では議論の分かれる大問題ですが、それは人について証拠の見られない僅かの放射線の影響を理論的にどう考えるかというメカニズム論争なのです。私も年を忘れてこの論争には参加して大いに気炎を上げています。この議論の詳しいことを出来るだけ噛み砕いて分かりやすく私の講座で論じたいと思つていますので、暫く待って下さい。

  実際には現在の線量限度年間50mSvで管理されている放射線作業従事者について国内外で大規模な調査が行われていますが、がんは増えるどころか却って減っています。また私たちは10年にわたって中国の広東省にある自然高放射線地域の住民対照を含めて10万人の健康について中国の研究者と共同して調査をしていますが、がんの増加は見られません。これを更に確認するために昨年からインドの、又今年からはブラジル、イランなどの同様の所を研究の対象に加えるべく調査を始めています。

 結論をずばり言いましょう。住民のみなさんは何も心配は要りません。