1999.10.12

 
   
  8. 何故皮膚は何ともないのにある日に急に毛が抜けるのか
 

 

 前に「100年前に何が起こったか」というところで、X線写真を撮ろうとした人の頭髪が21日目に急にパラパラと抜け落ちたという話を書きました。普通なら頭の皮膚にも何か変化があって、そのせいで毛も抜けたというべきところでしょうが。そうでないところが、当時の人を驚かせましたが、では今の皆さんは何故だか答えられますか。実はこの現象は放射線の生体作用の特徴を実によく表しているのです。

 私達の体は一個の卵から出発し、それが2ケ、4ケと分裂して増え、ある程度大きくなるとそれぞれが神経や筋肉や胃、腸などいろいろの物に分化してこの体を作っていくということは良くご存じでしょう。このようにして一人前の体が出来上がるとそれで細胞の増殖はお仕舞いでしょうか。実はそうではなく細胞分裂という点から見て、成人になってからの組織は大きく3つの系に分かれます。

 頭の毛はどんどんと伸びるので定期的に散髪する必要がありますが、これは毛根のところで細胞分裂が起こっている証拠です。同じことは皮膚でも起こっていて頭にふけがたまったり、体に垢がでるのも、皮膚の細胞が増殖をしている証拠です。同じような事は普通には気がつきませんが、消化管の粘膜や血球を作る骨髄で起こっています。これらでは一生細胞分裂が続くわけです。このようなものを細胞再生系と言います。

 これと反対に出来てしまえば一生分裂をしないと考えられているものがあります。その代表的なものは神経細胞です。いろいろな事を覚えたり、考えたりするのは、細胞が増えるのではなく、細胞と細胞とを繋ぐネットが出来ていく為であると考えられています。むしろ神経細胞は年齢と共に減っていくと言われています。しかし、最近の研究ではこの点に疑問が出され、神経細胞はそれ程減らない、いやむしろ記憶を司る海馬などでは記憶の為に細胞が増えるのだという研究もありますが、一般的には今まで通りでよいでしょう。その意味でこれを細胞静止系と言います。

 これらの中間的なものが、肝臓、腎臓、目のレンズなどです。これらでは細胞分裂は極めてゆっくりと進行します。しかし、一旦事あるとき、即ち肝臓の一部が切り取られたり、一方の腎臓が取られたりしたときには、急に増殖を始め、ある大きさまで回復することが可能です。これがあるから生体肝移植が出来るのです。内分泌腺の多くのものも分泌をする為に細胞分裂が必要と考えられます。こういうものを細胞拡張系と言います。

 さて、ここまで長々と細胞分裂のことを書いたのは、実は放射線の主な作用がこの細胞分裂に傷害を与えることにあるからです。そこで放射線の影響は細胞分裂の盛んな細胞再生系に一番強く出ることになります。そこには、それぞれ皮膚、毛、血球、粘膜細胞を作るもとになる幹細胞があって、それが分裂しては次々と新しい機能細胞を作っているわけです。放射線がある線量以上当たるとこの幹細胞が分裂不能になり、機能細胞の補給が絶たれることになります。最近では感受性の高い幹細胞は自殺死(アポトーシス)を起こすことが分かってきました。

 では何故皮膚に放射線が当たって、皮膚に傷害が見られないのに毛が抜けるのでしょうか。皮膚の幹細胞は上皮の一番下に一層に並んでありますが、毛根の幹細胞はそれより深い真皮の中にあります。皮膚に傷害が見られないのに毛が抜けるといことは毛の幹細胞のほうが皮膚の幹細胞より放射線感受性が高いということです。何故そうなのかは、今のところ分かりませんが、真皮の方が酸素濃度が高く酸素効果が十分あるということがその原因かも知れません。殊に皮膚を圧迫していれば酸素濃度の差は大きいでしょう。何故21日目に急に抜けるか?それは幹細胞の分裂が止まっても、毛根を支える細胞群が残っていてそれが暫くは毛を持ちこたえているが、段々とそれが減り21日目に遂に全くなくなる為だと考えられます。この点、私は毛のことは良く知りませんが、後に述べる腸粘膜では日本の研究者によって詳しく研究されています。

 毛の場合に見たように、放射線の影響は放射線を受けた直後には何もなく、何日か経ってから突然大きな変化が見られるのが特徴です。これが放射線を全身に受けたような時にも起こります。それぞれの幹細胞の増殖が止まって細胞の補給が絶えても、残っている機能細胞が何とか役目を果たしている間は症状が出ないで、機能細胞が全くなくなってしまった時に急に症状が悪化するわけです。この事は項を改めて詳しく説明することにします。

 

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