2005.2.1
 
Books (環境と健康Vol.17 No. 6より)
栗山茂久・北沢一利 編著
近代日本の身体感覚

青弓社 ¥3,000+税
2004年8月20日 第一刷発行
ISBN4-7872-3236-3 C0036
 



 副題に、“社会や文化の影響を受けて、身体の深層で絶えず更新されつづける感覚。

 転換期の近代日本に剥き出しになる感覚変容の様相を、「近代医療」「身体美」「視覚」「身体化」「こころ」の五つの座標で捉える。”とあります。正にその帳りですが、西洋医学の線から、何とか幅を拡げたいと文理融合を提唱している私には、なるほどこんなやり方もあるかと感じいった次第です。

 第一部の「苦痛の伝統と近代医療」は主に資料にもとづいて明治期から昭和初期にかけて病気がどのように取り扱われ対処されてきたかを示す実証的な研究です。ところが第二部の「身体の美をきそう論理」では明治期の「黄色人種への劣等感」、「理想の佳人の変遷」と今では考えられない、いや今でも潜在意識のなかにはあるかもしれない日本人の身体美への感情を、小説や雑誌を帳じて示しています。皆さんも夏目漱石の「三四郎」にこんな文章があったのを覚えていますか。

 「三四郎は一生懸命みとれていた。これではいばるのももっともだと思った。自分が西洋へ行って、こんな人のなかにはいったらさだめし肩身の狭いことだろうと思った。**」

 第三部「視覚が芽生えた近代」では全く異質のふたつの話題が取り上げられています。二つとも私には興味のあるものですが、ことに「眼で見るお弁当」には驚きました。日の丸弁当から次第に栄養重視に変ってきたと思っていたのですが、それが色の鮮やかさを競い、さらに母親の愛情表現の競争に発展しているとは。日本画の特徴についてはかねてから関心がありましたが、ここでは「動く襖絵ム日本の伝統的空間認識」として見事に示されています。

 第四部「近代社会の身体化と抵抗」では、過労死と栄養ドリンクという全く異質のものが取り上げられています。過労死はとにかく、栄養ドリンクというのは全く不思議なものですね。私などは全く無縁ですが、高校野球の選手に応援として健康ドリンクの差し入れがされ、それを飲んで元気づけられるというのは、全く心理的なものなのでしょうか。テレビのコマーシャルがそこまで人のこころを動かすものなのでしょうか。いわゆる健康食品とは全く違った理解が必要なようです。第十章の舞踏家・土方巽さんの「肉体の反乱」の話と、第十一章の「欝の病」とは、私には十分に理解はできませんでした。しかし、最後の第 12 章「ストレスの謎と刺戟革命」はなかなか示唆に富んだものです。ストレスというのは一つの解釈なのか、最近になって新しく現れたものなのか。ストレスの苦痛と、ストレスが全くないとかえって悪いということとの関係はどのように考えればよいのか。いろいろと考えさされます。

 未だ多分に不消化の気味がありますが、編著者の意気だけは大いに感じられました。その意気を参考にしたいものだと思って紹介しました。

(Tom)