2004.7.7
 
Books (環境と健康Vol.17 No. 2より)
確率的発想法―数学を日常に生かす

小島寛之 著
NHKブックス991 ¥920+税
2004年2月25日発行 ISBN4-14-001991-3 C1333
 



 私はこの本を帯に大きく書かれた「予想的中!」という文字ではなく、その下に小さく書かれた「リスク論まで」という文字に惹かれて手にしました。読んでみてもう一つ表紙の印象と大きく違ったのが経済学者の人の見方です。勿論確率論の最新の知識を手軽に学ぶのには大変よいものだと思いますが、それは当然としてここでは日常生活のリスク論を中心として紹介したいと思います。というのはリスク論(リスク評価・リスクコミュニケーション・リスクマネージメントなど)に関心のある方々には是非読んで頂きたいと思うからです。

 私の古い頭では、経済学というのは人々を合理的で経済的(お金のことしか考えない)者と決め付けている、だから現実に一向に役立たないのだと、思い込んでいました。ところがこの本では人にはいろんな性向があるということを認めて考えようとしています。例えば 77 頁あたりには、リスク愛好的かリスク回避的かで態度がかわるという話が出てきます。また集団としては統計的な確率が意味を持つが、個人としてはそれは内蔓的な主観を表現するものにすぎないのではないかと、インフォームドコンセントを例に引いて説明しています(87-88 頁)。くじ引きでは、当たる確率はそれを引く順番には関係がないはずですが、一箱には「クジを引く順番にこだわる性向」があります。これは「自分の運命は自分で決めたい」という「意志」の問題として解釈しています(122 頁)。また公的情報というものは、総ての人が知っているということを誰もが確認できると言う意味で、個人がもっている情報と意味が違うのだという指摘もあります(144 頁)。これは情報公開ということの意味について注目するべき点ではないでしょうか。

 リスク論については、私たちはリスク評価は可能な限り自然科学的に行い、それを人々がよく理解し納得のいく規制を作ることをめざして、双方向のリスクコミュニケーションが大切でそれが社会心理学の大きな課題である、と思ってきました。勿論その中には一部すでに社会心理学者が指摘しているものもありますが、1、2 拾い上げてみます。

 先ずリスク受容についてです。専門家と人々とで何をリスクが高いと見るかが大きく違う事はリスク受容のギャップとしてよく知られています。これについて次の文章が書かれています。

 “この「恐怖因子」「不可知因子」を基準としてリスクを捉える人々の性向を、不合理なものと見るか、合理的なものと見るかは、自然科学者と社会科学者で意見の腹れるところでしょう。自然科学者は、自分たちが受けた教育のせいか、期待値という基準を信奉するようです。社会科学者は、期待値を信頼しない人々を不合理だと切って捨てるほどには、期待値に信任を置いていないのが一箱的なのです(89-90 頁)。”

 リスク・ベネフィットを論じたところではもっと厳しいです。リスクとベネフィットとを個腹に求めて比較している仕事に対して次のように批判しています。

 “自然科学者の大部分は、どんな財も市場で評価され、生産者と消費者のおもわくの中で取引裏や価格が変化することを忘れがちです。自分が目にしている工場やデータや役所の政策が、市場経済という巨大な動学システムの中のほんのわずかなパーツにすぎないことに想像が及んでいないのです(97 頁)。”

 後半には最近の数学、私には何が数学か良く分からない群論と確率論の組み合わせのように思われますが、を使って確率を社会に生かすすべを説いておられます。わたしにはそれを解説する力はありません。しかし、私に理解できた前半だけでも十分に読む値打ちがあり、我々自然科学者がその理解を正すのに役立つと思い推薦する次第です。

(Tom)