2001.3.1

 

 

3. 八十路からの健康談議 (3)

 

 

  今日は身と身体ということについて考えてみたいと思います。この二つの言葉はどちらも「からだ」のことを表すものには違いありません。実は同じ「からだ」を表す言葉が明治維新を境に身から身体になったのだと言われて私も驚いたのです。身という言葉は「身を切られる思い」というときは肉体を感じますが、「身にしみて」と言うときには心を、「身のほど知らず」というときには更にひろく社会のなかの自分を感じるのではないでしょうか。この漠然とした身が西洋の合理的な考えがはいってきて心身分離を明確にすることで、肉体を表す身体という言葉が使われるよういなったのだと言うことです。

 そう言うと、私の話のタイトルである健康も、昔の日本にはなく明治になって盛んに使われるようになったのです。この言葉を始めて使ったのは高野長英(1804−1850)と緒方洪庵(1810−1863)の二人だそうです。いずれも蘭学を通じてわが国に西洋の科学を紹介するなかで初めて健康と言う言葉を作ったようです。それまでは主観的な「丈夫」とか「健やかさ」などと言う言葉はありましたが、生理学的にそれを表す言葉はなく、二人は「強壮」、「壮健」、「康健」などいろんな言葉を使っていたようですが、やがてそれがどうゆう訳か「健康」に落ち着いたのです。それに大いに力があったのだと思われるのが、福沢諭吉です。福沢は安政4年(1857)から1年ほど洪庵の適熟の塾頭までつとめていますから当然かもしれませんが、慶応2年(1866)に「西洋事情初編」という本のなかで初めて健康と言う言葉をHealthの訳として使いました。はじめはその意味も正常な身体の状況というものでしたが、やがて運動によって身体を鍛え困難を克服することを目指す健康増進へとその主張が進んでいきました。

 最近健康のために日本食が見直され、日本人の長寿が健康の見本として研究され、私もその尻馬に乗ってここでもそれを大いに唱えたいのですが、今上に述べたような日本人の考え方の移り変わりを教えられると、一度立ち止まって考え直してみることも必要だなあと思うようになりました。何しろ西洋の科学は何事も分析して要素を見つけそれを操作することで人為的に物事を変えていこうとしています。それが行き過ぎて現在の環境破壊、地球破壊へと向かっているとも言えます。これを救う道としてもう一度日本人の昔の知恵に頼ってみてはと思ったのです。身体を鍛える健康は限りなく向上を目指し、それが反対に健康不安を招いているとも言えます。しかし昔にかえって「丈夫」や「健やかさ」を求めるのであれば、人それぞれに主観的に自分は丈夫だと満ち足りた気持ちになって落ち着けるのではないでしょうか。心身分離の問題も「身」について考えれば、広く囲いこんで落ち着けるのではないでしょうか。皆さんと一緒に考えてみようではありませんか。

 


註:ここに述べた歴史的事項は次の本によりました。興味のある方は直接この本を読まれることをお勧めします。
北沢一利著 「健康」の日本史 平凡社新書 068
2000年12月13日発行 ISBN4-582-85068-5 C0221 ¥740+税