2001.6.1
 

2001年6月のトピックス
低線量放射線の影響をめぐって

菅原 努

 

 低線量の放射線の影響については、かねてから国際放射線防護委員会ICRPのとるしきい値なしの直線(LNT)仮説をめぐり、賛否両論の討論が続いている。ことにわが国では一昨年の東海村でのJCOの臨界事故での住民の受けた線量をめぐって具体的な問題になっている。(財)電力中央研究所では昨年10月に低線量放射線研究センターを創設したが、その創設を記念して去る5月16日に国際シンポジュウム「低線量放射線防護の科学的根拠を求めて」を開催した。そこにはICRPの委員長Clarke博士、フランス科学アカデミー会長で1995年にICRP批判の声明を発表したTubiana博士が招待され、私も中国の高自然放射線地域研究の成果を話すようによばれた。放射線防護に関係のある学協会としてはこの機会に両氏をはさんで討論の機会を持とうということになった。こうして私ははからずも前日の15日夕食から17日夕方まで、このお二人と行動を共にすることになった。これはその時の私の低線量問題をめぐっての印象記である。なお上記国際シンポジュウムではわれわれ3名のほかに、電力中央研究所での関係の研究成果がセンターの上席研究員の酒井一夫博士によって報告された。

 日本のわれわれの関心の中心は、ICRPはLNT仮説をとっており、これによると放射線はどんなに微量でも発ガンのリスクがることになり、これをICRPが主張するからみんなが放射線を怖がるのだ、ということにある。このLNT仮説が正しいかどうかを調べようというのがこの新しいセンターの設立趣旨であり、大部分の参加者の関心もそこにあるように思われた。残念ながらその点についてのはっきりとした展開は見られなかった。しかし私の個人的な感想としては、ICRPのClarke博士もバックグラウンド程度の低線量については、私たちと同じようにLNT仮説の直線的外挿は考えていないようであると理解した。パネル討論で田ノ岡座長の「しきい値があるか」という質問に対して、彼は「もっと研究が必要である。現実的に放射線は発ガン因子としては弱いものであるので低線量ではリスクは極めて小さいのではないか。」という趣旨の発言をした。

 そのClarke博士も防護体系の話になると、もしLNTモデルを使わないとすれば線量の加算性も実効線量の概念も使えず、防護体系が作れなくなるとつめよる。それでは最近提案しているバックグラウンドレベルを基準にする考えではそこでもリスクが直線的に線量に比例してあると考えるのかと聞くと、そこではむしろリスクないと考えていると答える。むしろLNTでなく曲線をほのめかす。今彼らはバックグラウンドの10倍までを問題のない範囲と考えそれを基本に体系を作ろうとしている。さらに言えば、線量限度という言葉は誤解されやすいので、止めて代わりにレベル、Reference level、Action levelといった表現をしようとしている。
またTubiana博士はLNTモデルでは説明出来ない実験的、疫学的データを多く示したが、LNTモデルに代わる新しいモデルは提示しなかった。お二人の激しいやり取りを期待した聴衆はいささか落胆したようであった。しかしそのような討論は既に何度も行われて、ある程度相互理解に達しているのだろう。結論としてどうやらClarke博士に押し切られたというところであろうか。

 もう一つICRPがLNT仮説にこだわるから人々が放射線を怖がるのだというわれわれの主張に対しては、残念ながらこの二人から賛成は得られなかった。私には不満だが、ICRPとしてはLNT仮説はあくまで防護体系のためのもので、微量の放射線を怖がるのは他に原因があるという立場をとっている。Tubiana博士がヨーロッパにおけるひとびとの放射線に対する態度の変遷を調べた委員会の報告を紹介した。そこではその変遷を新聞論調の移り変わりから追跡することが出来たそうである。残念ながらわれわれは放射線恐怖症の原因について、それに対抗しうる理論的な根拠を示すことができなかった。

 それでもこの二人を囲んで日本の放射線防護に関心をもつ50人ばかりの専門家が大いに議論を闘わしたことは初めてではなかろうか。松原原子力安全委員のほか1、2の具体的な提案もなされた。これが出発点になってこの方面の議論が活発になり、国際的に受け入れられるような提案も出来るようになればと希望を持って東京を離れた。