2000.4.1
 

最近の世相を歴史から考える
2000年4月

菅 原 努

 先ず次の文章を読んでみて下さい。

 “当時の**人は、豊かになった「中流」、つまりぼう大な下層中産階級の人々が、競って海外旅行に出かけ始め、あの有名な名門旅行社「****社」が飛躍的に大きくなったのもこの時期であった。また、この時代の**における前代未聞の「健康ブーム」が取り上げられ、「新聞や雑誌は健康のための食品や薬品の広告で一杯だ」という嘆きの声も聞かれた。さらに、高い教育をうけた青年が、イラスト(つまりマンガ)入りの雑誌しか手にとらなくなった、と憤慨する知識人がいたし、「聞いたこともない」新興宗教が次々と生まれ、若者や女性の間にまん延しつつあったことも伝えられている。そしてきめつけは「温泉」であった。ローマ時代の一大流行だった、「温泉ブーム」が、つい**にも到来したか、とため息をもらす、老人もいた。”

 “実際、当時**は、数十年にわたる前例のない平和と一本調子の繁栄が続き、人々の生活水準はまさに「右肩上がり」で推移してきた。そのような繁栄の中で生まれ育った新しい時代の人々は、必然的に「やさしく」なり、何ものにも束縛されない「自然な生き方こそ人間らしい」と考えるようになっていた。また貧しい人々や弱者に対する、「いたわり」こそ、この「人間らしい」社会の努めと考えるようになり、各種の福祉立法が積極的に制定せれるようになってゆく。”

 実はこの**は20世紀初頭の英国のことなのです。これは中西輝政著「国まさに滅びんとす:英国史にみる日本の未来」(集英社1998.3.31発行)の初めの方の一節です。**を今の日本と置き換えても通用するのではないでしょうか。いやもう少し前の1980年代と言った方がぴったりとするかもしれません。日の没するところを知らなかった大英帝国がこのあと第一次世界大戦を経て次第に没落して一英国になってしまったことを忘れてはなりません。

 次のものは歴史そのものではありませんが、歴史的に有名な経済学者のケインズの予言です。彼は成熟社会の宿命について「不吉な予言」をしているそうです。即ち、“豊かであるがゆえにこそ停滞に陥る時代には、経済問題ではなく、「退屈」こそが最大の問題となるだろう。「退屈」の中で人々は規律を失い、倫理を失い、生の確かな手ごたえをもつことができず、ある人たちは神経症に陥り、ある人たちは退屈しのぎにゲームやギャンブルにうつつをぬかす。”と言っている由です。これは佐伯啓思著「ケインズの予言:幻想のグローバル資本主義(下)」(PHP新書1999.7発行)からの引用です。

 さてここで問題は、余りにも今のわれわれの見聞きする日本と似ているので成る程と感心ばかりはしてはおれないということです。このままでは次は没落であることは歴史が示しています。では何をすべきでしょうか。上に引用した2冊の本もそのことを警告して書かれた物です。それらも参照しながら、私なりの提案をしてみたいと思います。

 先ず国として、場合によっては企業などの組織にも同様に当てはまるとおもいますが、今まで良くて繁栄に役立ってきた機構や運営が、反対に没落への道を進ませるということです。このことを中西もこの著書で指摘しています。しかし、人々はなかなか今までうまくいっていたやり方を変えようとはしないものです。ここで思い切った方向の転換が必要です。今はやりのリストラは単に細身になるだけでは十分ではないのではないでしょうか。新しい発想に基づく思い切った方向転換が期待されます。これは大蔵省、銀行さらには警察まで、最近の事件を見て国民の誰もが感じていることではないでしょうか。これは何もそこの誰それが悪いだけで済む問題ではなく、システムとして根本的にやり変える必要があるのではないかと言うのが一般的な意見ではないでしょうか。私の専門の放射線防護にしても、国際放射線防護委員会は放射線を安全に使うために線量限度などの勧告をし、必要に応じてそれを改訂しているのに、人々はそれで安心するどころか、かえって益々心配を増すという結果になってしまっています。その為に本来放射線が役立つ分野でもその使用が制約をうけているというのが実状です。これも根本的な発想の転換が必要でしょう。

 もう一つは個々の人の考え方の問題です。物やお金に対する欲をほどほどにして、もっと心や体の充実に気持ちを向けることが必要ではないでしょうか。確かにこの世は便利になりました。私も最近運転免許証の更新をしてもらおうとしたら、高齢者は3で10数年ぶりに友人の車をかりて運転をしてみると、驚くほど軽く運転が出来、これでは一旦乗りだしたら止められないなと感じました。でも思い直して矢張りバスで通勤することにしました。それが環境に優しく、健康にも良く、経済的でもあるからです。

 今頃の若い人は物のなかった頃の苦労をしらないで、と嘆く言葉をよく聞きますが、私は決して悲観していません。上に紹介した2冊の本の著者は、丁度私の子供に相当する50歳前後です.その後この二人に吉田和男、筒井清忠というほぼ同年代の京大教授を加えた座談会の記録が出版されています(「優雅なる衰退の世紀」文芸春秋刊2000年1月20日発行)が、私などより遙かに優れた提案をしておられますのでご一読をお勧めします。また先日は今後の情報化社会のあり方についての二人の講演*をきいてその豊富な発想と行動力に感激しましたが、その人達は何と30歳前後でした。ただこの二つのグループでの違いは前者のは矢張り国という考えがはっきりとあるのに、後者には自分の活躍する場としての地域社会はあるが、国という概念がやや薄いようであるということです。

 いや気楽なお話のつもりが、いつの間にかとんだお説教になってしまいました。矢張り長年身に付いた教師気質が抜けないようです。ご勘弁下さい。兎に角、歴史は盛者必滅を示し、日本もこのままで流れに乗っていると急激に没落の方に流れ落ちていくことになりそうです。もう少し質素にしかし心豊かに生きていく為に、思い切った方向転換をはかろうではありませんか。

*新技術予測研究会(会長:城阪俊吉)第43回研究会
平成12年3月24日 テーマ:EC(電子商取引)ビジネス最前線
藤元健太郎(32歳) 株式会社 フロントライン・ドット・ジェーピー代表取締役社長
玉舎[たまや]直人(29歳) 株式会社 アスキーイーシー 代表取締役社長