2000.2.1
 

トランス・サイエンス再訪
2000年2月

菅 原 努

 

 これから皆さんには聞き慣れない言葉であるトランス・サイエンス強いて訳すると超科学とでもなりますが、これから説明しますようにそれも適当ではないように思われますのでカタカナで済まさせて頂くことにさせて下さい。再訪としたのは、わたしはこの言葉をこのイメリタスクラブの広報誌である「百万遍通信」に二度、1990年の3月(No.9)と9月(No.12)に、書かせて頂いたからです。

 さて私がこの言葉を最初に見、最初に紹介させてもらったのは、アメリカでRisk Analysisというリスク研究の雑誌が発刊された時の創刊号のEditorialに当時の編集委員長のR.B.Cummingが「リスク評価は科学か」と題して書いておりそのなかに次の様な説明があったからです。

 彼は次のようにリスク解析または評価と科学を対比しました。

  • リスク解析には当然科学及び科学的方法が使われ、多くの科学者が関与している。
  • 科学では分析的方法が主体になり、その結果、分科、専門化が進み、狭い特定の問題に集中することによって初めて成功が得られる。また科学では作業仮説を立て、それを実験的検証によって確かめていくという方法で今まで成功してきた。
  • リスク評価はこのように選択的にはなし得ない。それは元来特別の目的のためにあるもので、また個人、地域、社会、国家、国際間での意志決定に役立つものでなければならない。その為に、本来の科学に見られる確実さ、完成さに欠けざるを得ない。しかし、それでも社会に反映する重大な活動として必要なものである。
  • 科学の世界では品質保証ということが極めて大切であって、リスク評価でも同じであるが、後者ではその点が十分でないところに問題がある。
  • リスク評価は個々の科学の分科の枠内では解けない問題を含んでいるので、そのようなものをWeinberg(1972)に従ってトランス・サイエンス的要素と呼ぼう。

 これに対していろんな意見が寄せられたのに私が答える形で9月号に続編を書きました。そこでは主に品質管理のことについて、トランス・サイエンスではyesかnoかといった明確な答えは出せないので結論は、証拠は十分とか、非常に有りそうである、その可能性はなくもないとか、とても証拠は足りないとか、言ったような表現にならざるを得ないであろう、と書きました。

 ところが、最近A.M.Weinbergの原著「サイエンスとトランス・サイエンス」(Minerva、10:209-222, 1972)を入手する事が出来、読んでみて私の誤解が明らかになると共に、彼の先見の明に感嘆したのです。今から30年近く前に書かれたものですが、私達が最近問題にしている低線量のリスクについて考えさされるところが多いのであえてご紹介しようと思い立った次第です。以下はWeinbergの話の私なりの要約です。途中から私見が交じりますがご容赦下さい。

 新しい科学技術が現れたときに、今まではその利害の取り扱いについて、科学の世界と政治の世界とがあり、科学の世界で出された問題で科学だけで決着の付かないものは、政治的判断にゆだねるという形で解決がはかられた。しかし、現在のように問題が複雑になってくるとこの様な単純な2分法では解決が難しく、この科学と政治との間にtrans-scienceの世界を挿むことを提唱する。ここでは問題は科学から出されるが科学では解答を出すことが出来ないものである。その例として低線量の問題や希に起こる事故などが考えられる。このような領域は何も科学の隣にあるばかりでなく、ものつくりの工学にも、社会科学にも、科学であってもその価値とか倫理的、審美的な判断を含むようなものには当てはまる。

 さて問題はどこで科学が終わりtrans-scienceが始まるかということである。この境界を明確にするのが科学者の何よりの責務である。これを混同しているから、科学者の間でもいらざる混乱した議論が起こるのである。――こう言われると、私は昨年暮れに参加した放射線政策と科学を結ぶ国際会議での「100mSv以下では放射線によってがんが増えたという証拠は得られていない」という声明は、この限界を明確にするという点で大きな意味があったのだと気付きました。

 彼はこの科学の世界の限界を出来るだけ拡げる努力をするべきであるとして、その例を挙げている。かつて原子炉の周辺住民個人の被ばく線量として原子力委員会は平均年間170mrem*までを認めていて論争の種になっていた、しかし技術が進んで実際の被ばくを100分の1以下に下げることが出来るようになり、基準もこれに準じて下げられそのリスクはすべての科学者に問題のないものと認められ、科学の領域に入るようになった。また将来は生物学的な障害を防止する技術が発達すれば、そちらから問題を科学の領域に戻すことが出来るようになるであろうとして、がん免疫の可能性や倫理的に問題があるが遺伝的障害の除去についての出生前診断の進歩を挙げている。

 またこのようにすれば、科学の共和国の市民として科学者の身分も独立して確立され、市民や政治家と交わるのはtrans-scienceの国ということになる。勿論このtrans-scienceの国ではいろいろの国の人達が交わるので、その様子は米国、西欧、その他で異なり、また必ずしも科学者には好ましいものでないかも知れないが、科学者はその境界を明確にすることによって随分とやりやすくなるのではなかろうか。

 このWeinbergの提案は今でも貴重なものとして、頭に止めてサイエンスの世界とトランス・サイエンスの世界の区別を明確にして議論すればいろんな問題例えば低線量放射線のリスクもずっと話がしやすくなりそうな気がします。トランス・サイエンスの世界では科学者も余り科学を振り回さないように注意しなけらばならないのではないでしょうか。

(* remは古い単位で今のcSvに相当するものです。古い文献にだけ出てきます。)