放射線のリスク評価について             

  

 

ICRPにおける放射線防護指針の枠組みについて


目次

 1. 放射線防護に関わる国際機関

 2. ICRPの概要と役割

 3. 放射線リスクの歴史的背景

 4. ICRP Publication 26について

 5. ICRP Publication 60について

 6. ICRP Publication 103について

 7. おわりに

   
「放射線リスク評価について」indexに戻る
     

1. 放射線防護に関わる国際機関

 放射線防護に関わる国際機関はいくつかあり、それぞれ役割分担があります。UNSCEARUnited Nations Scientific Committee on the Effects of Atomic Radiation)は「原子放射線の影響に関する国連科学委員会」という名称のもので、これが国連機関として最も基本となるものです。ここが行っている作業は、「線源と影響」に関する放射線影響に関する全ての科学的データの取りまとめです。そして取りまとめたデータに基づいてICRPが防護の枠組みを「ICRP勧告」という形で発表します。UNSCEARの方は、国連の科学委員会で各国政府の代表が参加しますが、ICRPはイギリスに本部がある単なる民間の“ボランティア団体”で、日本のNGO的なものと考えられます。しかし、この活動が国際的に重要視されており、その勧告に基づいてIAEAInternational Atomic Energy Agency:国際原子力機関)が、国際基本安全基準を作成してきました。

↑Page TOP

2. ICRPの概要と役割

 ICRPの母体は1928年に設立された「国際X線ラジウム防護委員会」(International X-ray Radium ProtectionIXRP)ですが、設立にはISR (International Society of Radiology: 国際放射線学会)が関わっていました。これは今も現在する学会ですが、この学会の一つの委員会としできたという経緯があります。IXRP1950年になって現在のICRPという形に組織再編が行われ、イギリスのチャリティ団体という区分で英国において登録されていますが、事務局はその時の事務局長の国籍の国にあります。

 構成は主委員会が中心になっており、その議長(Chair)は現在、イギリスのClaire Cousins博士がつとめています(2011年現在)。さらに主委員会のもとに5つの専門委員会があります。第1専門委員会は放射線の影響(effects)について、第2専門委員会については放射線の線量 (doses)について、第3専門委員会については医療全般(medicine)についての議論をそれぞれするとされています。第4専門委員会については適用(implementation)というふうに書かれおり、実際に勧告をどのように適用していくかという問題を扱います。第5専門委員会は環境(environment)を問題にとりあげますが、これは出来て二期目に入ったばかりの新しい委員会です。

 ICRPでは、4年ごとにメンバーが改訂されていますが、2009年に4年間の新しい構成が決まり、主委員会と各専門委員会に日本人が1名づつ参加しています。ICRPの委員はICRP自身が主委員会の決定事項で決めているようです。そのホームページ(http://www.icrp.org/index.asp)には、誰でもアクセスできて、その活動内容を見る事ができます。


↑Page TOP

3. 放射線リスクの歴史的背景

 ヴィルヘルム•レントゲンがX線を発見後、放射線を利用するようになって100年以上の歴史があります。その間、放射線を利用することによる利益を享受する一方で、放射線の害をいかに防ぐかが問題とされてきました。初期の放射線防護では、皮膚などの急性傷害を防ぐための方策として、傷害に至らない線量を推定し、それを超えないように放射線防護を行うことが実施され、急性傷害を防止することに、ほぼ成功するようになりました。そのときに決めた線量は、耐用線量と呼ばれ、1934年には一日あたり0.2R(レントゲンを守るようにICRPは勧告しました。

 大きな転機が現れたのは、1950年以後です。1945年に広島長崎で原爆が投下され、その被災者を原爆被ばく生存者として、およそ12万人を登録して疫学調査が開始されたのは1950年です。この調査から比較的早期に明らかになったのが、原爆被ばく生存者の間で白血病発症率の増加が認められたことでした。一方、医療領域においても、急性傷害は抑えることができたのですが、長い期間にわたる放射線の継続的な使用で線量の増大を招き、結果的に晩発影響である白血病が、放射線科医や診療放射線技師の間で疫学的に増加していることが報告されるようになっていました。

 それまでは白血病を対象とした放射線防護は行われていなかったので、ICRPは、Publication 1(1958年勧告で、白血病と放射線の関係について次のように述べています。

 「あるしきい線量よりも被ばく線量が低ければ白血病は生じないと想定することができる。この場合、しきい線量を推定することが必要であり、被ばくからの回復も存在すれば考慮する必要があろう。最も控えめな方法はしきい値がない、回復がないと仮定することである。この場合、低線量であっても感受性の高い人に白血病を生じる可能性があり、その発生率は累積線量に比例する可能性がある。」

 白血病についても従来と同じ方法で、しきい値を探し、それを基に線量基準を設定することもできたはずです。しかし、上記に述べるように、ICRPは、「リスク」の概念を初めて導入し、それを基礎に放射線防護を行うべきことを勧告しました。この背景には、放射線の影響がまだ十分に解明されていないために慎重な姿勢をとったという事ですが、社会的理由として、医療や原子力領域で放射線の利用が拡大し、放射線に被ばくする人々が世界的に多くなることを予想していたからです。このとき、リスクという概念は、白血病以外に遺伝的影響も念頭においていました。     

 遺伝的影響はマーラーによるショウジョウバエの突然変異の発見以後、放射線によって生物に生じる影響として確認されていました。遺伝的影響を防護するために必要な対策として、子どもを生む期待値を考慮した生殖腺での集団平均の線量(遺伝有意線量と呼ばれた)を最大許容線量に抑えることが必要と考えられました。1950年代以後、放射線防護の関心は急性傷害から晩発影響にシフトしていったのです。1977年に刊行されたICRP Publication 26は、リスクを中心とした放射線防護の基礎を築き、今日に至っています。


↑Page TOP

4. ICRP Publication 26について

 1977年に勧告されたPublication 26で、現在の放射線防護の基本的な枠組みが出されました。がんと遺伝的影響のリスク評価が行われ、それを基礎にして、実効線量当量(現在の実効線量)と線量限度についてリスク概念をベースにした議論が行われるようになりました。


4-1)実効線量当量

 実効線量当量が登場するまでは、臓器組織線量当量や全身平均線量当量などが使用され、放射線防護上、重要と考えられる臓器を「決定臓器(critical organ)」と呼び、線量評価の対象として、決定臓器の線量を線量限度以下に抑えることを目標としていました。外部被ばくの場合、全身と生殖腺が決定臓器でした。内部被ばくの場合、全身が圴一に被ばくすることはまれで、放射性核種の化学形に依存して骨や肝臓などの一部の臓器に集積して被ばく源となります。そのために、放射性核種ごとに決定臓器を決め、その臓器の線量を評価することが行われました。外部被ばくであっても、身体への入射方向が偏った場合は全身が均一に被ばくするわけではないが、線量限度と比べる上で、被ばくの不均一性を放射線防護の上で考慮することはありませんでした。

 決定臓器の概念には、それぞれの感受性の異なる臓器のリスクを加算することができず、臓器のリスクを一定レベルに抑えるという考え方に限界がありました。

 実効線量当量の考え方は、被ばくした臓器のそれぞれの放射線感受性を考慮して、それらの相対的感受性で加重した臓器線量を加算し、全身等価な線量を評価するものです。最初に、ラドンの吸入による呼吸気道の不均一な被ばく線量を扱う方法として提唱されました。

 実効線量当量の導入は、外部被ばくと内部被ばくに関係なく、全身等価な線量として評価され、全身のリスクを代表する指標として、線量限度と比較できる単一の数値で表すことのできる線量として利用されるようになります。

 実効線量当量は次のように定義されます。

      


 

 ここで、wTは、臓器Tの組織加重係数、HTは臓器Tの線量当量です。実は、ICRP Publication 26では、実効線量当量(Effective dose equivalent)という名称は登場しません。加重平均線量当量(weighted mean dose equivalent)と記載されていました。実効線量当量という新しい名称がICRPに登場するのは、1978年のストックホルム声明です。

 放射線防護における実効線量当量の導入は、放射線防護の合理性を高め、その基礎となるリスク評価と線量評価の科学が注目されるようになります。線量評価の対象が明確となり、放射線防護をより科学的な基礎の上に構築するための契機となりました。

 

4-2)リスク評価

 実効線量当量の概念の導入は、新たな課題を生みました。すべての臓器のリスクを評価することが要求されたからです。Publication 26が勧告された1977年には同時に、国連科学委員会1977年報告が刊行され、そこでは広島や長崎の原爆被ばく生存者の疫学調査結果を受けて、全身被ばくに伴う、白血病を含めた放射線誘発がんのリスク評価が初めて行われました。各臓器のリスクを定量化した単位線量あたりの確率をリスク係数(risk factor)と呼びます。例えば、肺がん、乳がんのリスク係数は、それぞれ、2.5x10-3 Sv-12x10-3 Sv-1 と評価されます。このリスク係数は、肺の線量当量が1 Sv被ばくしたときに、1,000人あたり2人の肺がん死亡が生涯において生じることを示しています。

 表 1 に示すように各臓器のリスク係数の相対値(合計を1で規格した数値)を組織加重係数として勧告しました。


表1 ICRP Publication 26 で勧告されたリスク係数と組織加重係数


 実効線量当量の導入は、それを評価するための組織加重係数の定義を要求し、その値を誘導するためのリスク係数が基礎となっています。ここで注意しなければならないのは、生殖線はがんを誘発しないので、問題としているのは遺伝的影響です。全身で合計しているのはがん死亡の生涯確率の総計ではありません。遺伝的影響は、被ばくした本人のこどもを含めた子孫に重篤な遺伝性の疾患が発生する確率で定義されるものとICRPは考えました。ただし、がんと違って原爆被ばく生存者の疫学調査結果では、子ども(被ばく2世と呼ばれる人々)には、被ばくしていない人の子どもと比べて統計的に過剰の増加は観察されておらず、すなわち人のデータが存在しないために、動物実験データを基礎にした倍加線量法(自然発生の突然変異率を2倍にするのに必要な線量を倍加線量というが、ヒトの遺伝的疾患の自然発生率と動物実験による倍加線量を比較して推定する方法)によってリスク評価されました。

 ICRPは、放射線防護の目的とした低線量での有害の影響を発がんと遺伝的影響に注目し、がんの生涯死亡率と重篤な遺伝的影響の子孫における合計の発生率を加算したものを損害(detriment)と定義しました。損害は、放射線防護が目標とする定量化されたリスクの指標として使用されるようになります。

 表 1 に示したリスク係数には臓器ごとに単一の数値になっていますが、実際には、被ばく時年齢や性によって異なることが明らかになっています。ICRP Publication 27では、図 1 に示す年齢別および性別ごとのリスク係数が評価されています。この変動は、放射線防護上、男女および年齢で平均化したリスクの数値を1.65 x 10-2 Sv-1と評価しました。この数値をICRPは名目リスク(nominal risk)と呼んでいます。名目リスクの考え方は、年齢と性で異なるリスク係数を単一の数値で扱うことで放射線防護の目的に使用する実効線量当量を合理的に導入するためでした。


4-3)線量限度

 Pub.26では、それまでに使用されてきた線量限度が安全を損なったという証拠はありませんが、限度の考え方と最新の知見に基づいて数値を検証しました。

 線量限度には、閾値のある確定的影響(注:Pub.26では非確率的影響と呼ばれていた)防止するための限度と、閾値がないと仮定している確率的影響を制限するための限度の2種類に分けられます。線量限度は線源が制御されている状況に適用される限度であり、事故のように線源が制御されていない状況には適用されません。また、職業被ばくと公衆被ばくに限度を設けるのであって、医療被ばくのように、正当化と最適化は適用されるが、被ばくを伴う診療行為の便益を損なうことがないように、数値の上限値である限度は適用されません。自然放射線からの被ばくにも線量限度は適用されません。

 職業被ばくに対する線量限度は、確定的影響を防止するために、水晶体を0.3Sv/年、その他のすべての組織を0.5Sv/年とし、確率的影響を制限するために、実効線量当量を50mSv/年としています。Pub.26で勧告した限度は、Pub.1から20年以上にわたって放射線防護に使用されてきたものです。この線量の妥当性を判断するために、この線量に相当するリスクレベルを、社会的に安全とされる職業のリスクと比較することを行っています。



図1 がん及び遺伝的影響のリスクの性別、年齢別の変動

ICRP Pub.27


4-4)リスク比較

 線量限度の妥当性を考えるために、社会的に高い安全水準にあるとされる職業のリスクを推定し比較することを実施しました。リスク比較をICRPが行ったのは、Pub.26(詳細はPub.27)が初めてです。

 放射線以外の産業での非致死的な事故による時間損失を考慮しても、死亡率の頻度が100万人あたり200人を超えなければ、欧米での放射線以外の産業でのリスクを超えないことになるとICRPは判断しました。

 線量限度を適用すると、集団全体の平均線量は限度の10分の1程度になるので、これを考慮すると、放射線を利用する産業では、集団全体のリスクは、50 mSv/y × 0.1 × 1.6510-5 /mSv = 82.510-6/y となります。この推論から、他の安全な産業と比べても十分にリスクは小さいと判断したのです。

 Pub.26では、放射線の発がんと遺伝的影響のリスク評価に基づいて、線量限度がもたらすリスクと、放射線以外の他の安全とされる産業の致死リスクを比較した結果、線量限度の数値は妥当なものであるとしたリスク論を展開しました。これはPub.60に大きな影響を与えることになります。



↑Page TOP

5. ICRP Publication 60について

 Pub.26では、制御可能な線源を対象に放射線防護の体系を組み立ていましたが、1990年勧告(Pub.60)では、線源の制御の可能性と被ばくの制御の可能性に着目し、自然放射線被ばくと事故時の被ばくに対しても放射線防護の枠組みを示したことが大きな変更となりました。


5-1)実効線量

 Pub.26で定義された実効線量当量は、基本的な概念に変更はありませんが、実効線量と名称を変え、新たな実効線量の時代に入りました。各組織Tの平均吸収線量をDとするときに、実効線量 Eは、次の式で表されます。



 
 wT
は、組織Tの組織加重係数、wRは、放射線Rの放射線加重係数で、1990年勧告で新しい放射線影響の知見をもとに再検討し決定されました。複数の種類の放射線が被ばく源となるときを想定した式となっています。


  

5-2)リスク評価

 1977年以降、リスク評価の主たる基礎情報となっている原爆被ばく生存者の追跡期間が延びたことでデータの追加が行われたこと、原爆線量の再評価(DS86)が行われたことが、がん死亡確率評価に影響を与えました。

 原爆を中心とした疫学や動物実験データは、高線量・高線量率のデータが多くを占めるために、低線量・低線量率のリスクを推定することが直接はできません。そこで、高線量・高線量率の線量反応関係から低線量・低線量率に外挿するときに用いるべき補正係数を線量・線量率効果係数(DDREF)と定義して、放射線防護に用いるべきリスク(がん死亡確率)を推定することにしました。この値を直接、低線量・低線量率のデータから導くには基礎となるデータが十分でないために、線量反応関係として直線二次曲線モデルを適合したときの一次項と二次項の比の推定値を参考にする理論的な方法を基本にして、Pub.60ではDDREF=2を採用しました。

 1990年勧告で1977年勧告とは数値的に最も大きな影響を与えたのは、リスク予測モデルの扱いです。放射線によって誘発される白血病以外のがんは10年以上の潜伏期が存在し、生涯にわたって発現すると予想されました。そのために、原爆被ばく者の追跡期間を超えて生涯に生じるがん死亡確率を推定するには、リスク予測モデルを用いる必要があります。このリスク予測モデルとして、相加的リスク予測モデルと相乗的リスク予測モデルを利用しました。相加的リスク予測モデルは、観察期間で放射線被ばくによって増加したがん死亡確率の年あたりの平均値を生涯継続すると仮定したモデルです。これに対して、相乗的リスク予測モデルは、観察期間で放射線被ばくによって増加したがん死亡率の自然がん死亡率に対する比(相対リスク)が生涯継続すると仮定したモデルです。両者のモデルの根本的な違いは、相乗的リスク予測モデルが自然がん死亡率は年齢と増加することを反映して推定するのに対して、相加的リスク予測モデルは放射線誘発がんの年齢変化は自然がん死亡率とは独立に扱うものです。モデルの違いによって、自然がん死亡率の異なる国別の放射線リスク推定が異なってきます。日本人では、全年齢を対象にした計算では、放射線被ばくによって、相乗的リスク予測は相加的リスク予測モデルよりも男性で約2倍、女性で約3倍大きい評価値を与えました。リスク予測モデルが白血病以外のがんの生涯がん死亡確率の推定値に大きな影響を与えることを表 2 に示します。


5-3)名目致死確率係数

 Pub.60では、放射線防護の目的のために、男女区別なく、広い範囲の年齢を含んだ集団に一律に適用できる単一の数値を名目致死確率係数(nominal fatality probability coefficients)と定義しました。Pub.26まではリスク係数と呼ばれていたものに相当します。名目致死確率係数の評価において、原爆被ばく生存者データの傾向に近いことから相乗的リスク予測モデルを採用し、年齢分布の異なる作業者集団と一般公衆とを区別して求めました。

 名目致死確率係数は、性、年齢および国による違いを考慮せず、一律に適用できる単一の数値として定義されるものです。そのため、相乗的リスク予測モデルを適用すると国による自然がん死亡率が放射線リスクの推定に影響します。ICRPは、5つの自然がん死亡率の異なる集団(日本、米国、英国、プエルトリコ、中国)における生涯がん死亡確率を計算し、その平均値を名目致死確率係数としました。全年齢を対象にした一般人の場合10% /Sv、作業者集団の場合 8% /Svですが、DDREFの値 2 を適用して、名目致死確率係数は、作業者で4% /Sv、一般人で5% /Svです。


5-4)デトリメント(損害)

 ICRPは、致死性でないがん、放射線誘発がんの潜伏期および遺伝的影響の発生確率を考慮するために、名目致死確率係数を基礎にして、集合的な量としてデトリメント(損害)を定義しました。デトリメントは、

1) 致死がんの発生確率

2) 非致死がんの発生確率

3) 重篤な遺伝的影響の発生確率

4) 余命損失の相対的な大きさ

の 4 つの因子を考慮して定量的に求められます。

 致死がんの発生確率Fは名目致死確率係数に等しく、がんの致死割合をkとするとき、致死がんおよび非致死がんを含めたすべてのがんの発生率は、F/kで推定できます。非致死がんの発生率は、(1-k)F/kとなります。デトリメントでは、非致死がんの致死的な発生確率を致死がんの発生確率に加算します。この結果、疫学調査ではがん死亡で評価している致死がんの発生確率(F)をデトリメントでは、(2-k)Fとして、非致死がんを考慮するために補正しました。この結果、致死がんの発生確率が30%を上回る組織は、結腸(45%)、乳房(50%)、甲状腺(90%)、皮膚(100%)です。

 余命損失の相対的大きさは、余命損失年数をl、すべての致死がんの余命損失年数を  (15)とすると、() で表されます。この数値が30%を上回るのは潜伏期の短い白血病で2.06です。

 デトリメントは、次の式で定義され、計算されました。


 Pub.60で求められた名目致死確率係数およびデトリメントを表 3 に示します。


5-5)線量限度とリスク比較

 Pub.60では、それまでの職業人に対する50mSv/年の線量限度をリスク論から見直しました。ICRPは、1958年に勧告されたPub.1以来、50mSv/年に相当する数値を1977年勧告まで踏襲してきました。広島と長崎の原爆線量再評価とそれに伴うリスク評価の見直しが行われたこと、リスクの容認性や害の指標に関する分析が進んできたことが線量限度の見直しの直接の背景にありました。

 Pub.26では、安全な産業のリスクと比較することで放射線のリスクが容認できるかどうかの検討を行っています。この比較には、次のような問題点があることがPub.60で示されました。

1) 産業の安全水準は一定でなく、国によって異なります。

2) 産業における死亡率は、職業集団の平均値であるが、線量限度は個人の上限値を意味します。

3) 死亡率のみに基づくデータに限定されています。

4) 異なる産業に対して同一の安全水準を社会が期待するとは考えにくい。

 Pub.60では、18歳から65歳までの就業期間、一様に連続して、10mSv/年、20mSv/年、30mSv/年、50mSv/年を被ばくするとする4ケースについて、デトリメント、生涯死亡確率、死亡による時間損失、18歳の平均余命損失を計算しました。50mSv/年の生涯死亡確率は8%を超え、平均余命損失が 1 年を超えます。死亡年齢での確率が10-3を超えないのは20mSv/年以下の線量でした。1983年の英国Royal Societyの報告「リスクアセスメント」においても、年間死亡確率 10-3が社会的に容認できないレベルの下限値を示すことなどを根拠として、20mSv/年を超えて生涯にわたって被ばくするべきでないと判断しました。この結果から、ICRPは、生涯連続した被ばくの管理期間として、5 年間を単位として、5 年平均で100mSvを上限値として制限することが実務的に弾力性があると考えました。ただし、いかなる1年間も50mSvを超えてはならないとしています。


↑Page TOP

6. ICRP Publication 103について

 2007年に発刊されたPub.103新勧告は、基本的にPub.60を継続しながらも、すべての被ばくを計画被ばく状況、緊急時被ばく状況、及び現存被ばく状況に大別し、それぞれに応じた放射線防護を行う考え方に進展しました(このPub103の日本語訳は、日本アイソトープ協会の発行[発売丸善]で、20099月に出版されており、同協会のホームページへアクセスすると誰でも購入できます)。これによって、自然放射線や事故時を除いた制御された線源を対象にしたPub.26での放射線防護は、線量の大小に関係なくすべての被ばくを対象にします。ただし、除外と免除の概念を適切に利用することで合理的な放射線防護を実施するという考え方を重視するようになっています。これは、事故や自然起源の放射線被ばくに対する社会的な関心の増大と、線量の大きさから見ると人工放射線源に比べて無視できない被ばくであることが、制御された線源のみを対象とした線量限度を中心とした防護の考え方に影響を与えてきたと考えられます。

 線量限度はPub.60と変更なく、職業人に対しては5年平均20mSv/年、一般公衆は1mSv/年です。最新の情報に基づいたリスク推定値がPub.60と大きな変更がないことから(表4)、基本的な基準値の見直しはありませんが、実効線量を定義する組織加重係数および放射線加重係数はリスク評価の見直しによって変更となりました。


6-1)リスク評価

 2007年のICRP新勧告では、2007年に発表された原爆被ばく者の最新の疫学データがリスク評価に利用されています(Preston,2007)。基礎になっている原爆被ばく者の疫学データ解析に利用されてきた線量評価DS86DS02に改訂されました。この影響は10%程度とされています。解析の対象になった原爆被ばく生存者データは、放射線影響研究所が実施している1958年から1998年までのがん罹患数が対象となっています。従来の評価に比べて、原爆被ばく者の追跡調査期間が延長したことで、過剰相対リスクや過剰絶対リスクの解析の対象となるデータ数が増加し、各がんの詳細なモデル解析が可能になりました。被ばく時年齢だけでなく、到達年齢の影響を含めたモデル解析が行われるようになりました。リスク評価上注目されがちである低線量での線量反応関係やDDREFは変更されていません。 

 損害に調整して評価された名目リスク係数(全年齢集団)は、がんの場合、1990年勧告が6.0% Sv-12007年勧告が5.5% Sv-1と有意な変化ではありません。しかし、遺伝的影響の場合、1990年勧告が1.3% Sv-12007年勧告が0.2% Sv-1と約6分の1に減少しました。人の自然発生遺伝病頻度とマウスから得られる倍加線量を用いた推定方法に変更はありませんが、潜在的回復可能性修正係数の導入など遺伝リスクに関する理論的な理解が進んだことで、放射線誘発突然変異の遺伝病発症への寄与は最初の2世代に限定されることに変更されたことが低減への影響をもたらしました。この結果、生殖腺の組織荷重係数は、0.2から0.08に低下しました。

 がんの組織荷重係数で大きな変更点は、乳房と残りの組織に与えられた係数が大きくなったことです(それぞれ0.05から0.12へ増加)。乳房は、若年齢被ばくの乳がん症例数の増加と共に、被ばく年齢集団全体を記述するモデルが被ばく時年齢モデルではなく、到達年齢モデルになった(被ばく時年齢効果は有意ではない)ことの影響が大きいと考えられます。

6-2)ラドンの防護

 ラドン発がんの科学は、疫学と動物実験を証拠として成り立ちますが、直接のデータがありません。濃度が低いラドンの吸入においても発がん性があるのか、あるとすればその確率はどのくらいか。これらの問いはがんを予防するためにどうしたらよいかという問題意識、すなわち放射線防護の問いです。

 ラドンは自然起源の放射性核種であることから、従来は放射線防護の対象ではありませでした。屋外ラドンは制御が困難ですが、屋内ラドンであれば比較的制御が可能であるので被ばく低減のための対策が求められます。住居の場合、ラドンのような自然起源の放射性核種を人工放射性核種と異なって規制当局が単に基準を守れといったトップダウンで規制することは難しく、住居のラドンをどこまで低減するか、基準を超えた住居はどのような対策をとるべきなのか、ラドンの放射線防護は公衆衛生上の課題です。

 ラドンの放射線防護のためにはラドンのリスク評価が基礎となります。放射線は測定が可能であることからラドンの濃度測定に基づいて、呼吸気道の線量評価が試みられてきました。ラドンの壊変生成物である子孫核種の動態といった線源側の情報とα線の標的細胞とそのRBEなどの生体側に関する情報の不確かさから、線量評価法は未だ放射線防護の基礎にはなっていません。ラドンの疫学から推定される濃度あたりの肺がんリスクと同じ大きさのγ線のリスクに相当する線量をもってラドンの線量を推定する疫学的アプローチがとられてきました。近年は、ICRPPubl.66で開発した呼吸気道モデルをラドン吸入に適用して呼吸気道の線量を直接推定する方法と比べても両者の値が接近してきているという研究が報告されていますが、ラドンの線量評価法としてまだ十分な評価を得ているわけではありません。いずれの方法によるにしても、ラドンの被ばくは線量に換算してリスクを表示してきました。ラドンの線量が10mSvに相当する濃度を参考レベルとする放射線防護の規準が設定されました。

 ラドンの健康影響の科学は、ウラン鉱夫の疫学が中心となってラドン被ばくと肺がんとの関係を論証してきました。鉱山のようなラドン濃度の高い環境がそうであっても、ラドンの濃度の低い居住環境ではどうなのか。居住ラドンの健康影響に対する多くのケースコントロール研究が実施されましたが、結論は明確ではありません。そこで、すでに実施されているヨーロッパの複数のケースコントロール研究の生データを集めて解析する研究(プール解析)が英国のDarbyのグループによって、北アメリカではKrewskiのグループによって行われ、100Bq/m3レベルの濃度でも統計的に有意な結果が導かれました。プール解析は、単独のケースコントロール研究ではサンプルサイズが小さいために検出力が十分でなかった問題を解決するために採用された方法です。居住環境におけるラドンの科学は、これによって一歩前進したように見えました。

 ラドンと肺がんとの関係において、喫煙が交絡することは鉱夫のコホート研究注:疫学の手法のひとつで被ばく線量の異なる集団を長期に追跡調査してその死亡率などを統計的に比較するやラットでの実験研究からも知られています。ラドンと喫煙は複合的に影響することは明らかとなっていましたが、その仕組みや定量性には不確かさがありました。上記のプール解析は、居住環境のラドンと肺がんとの関係を明らかにすると同時に、喫煙とラドンとの複合影響を立証することになりました。つまり、ラドンの影響は喫煙者と非喫煙者では大きく異なりました。このラドンの科学をいかにリスク評価に反映するのか。しかし、放射線防護は放射線のみに注目し、喫煙習慣の有無は集団を構成する年齢などと同じ特性の一つとして平均化してしまいました。

 ラドンと喫煙の相互作用は、相乗的か相加的かが古くから議論されてきた問題ですが、放射線防護の問題として取り上げられることはありませんでした。居住環境のラドンを対象としたヨーロッパのプール解析の研究から明らかになった注目点は、ラドン被ばくのコントロールに対する相対リスク係数は、喫煙者の場合と非喫煙者の場合で統計的に有意な違いがなかったことです。喫煙者はラドンの曝露がなくても、もともと喫煙による肺がんリスクが大きいために、喫煙習慣の有無はラドンの絶対リスクに大きく影響することになります。ラドンの相対リスクが喫煙者と非喫煙者とで同じだとすると、絶対リスクは、ラドンの曝露がないとき、ベースとなる肺がん確率が喫煙者で比較的大きいために、ラドンの絶対リスクが非喫煙者に比べて大きくなることを意味しています。

 相対リスクと絶対リスクを簡単に説明しておきますと、相対リスクは被ばくのない集団に対する比で、1 であれば影響がないことを意味します。絶対リスクは被ばくのない集団との死亡率(あるいは罹患率)の差で、死亡率の過剰分です。

 放射線防護のリスクには、絶対リスクとしての生涯死亡確率(あるいは罹患確率)を用いてきました。Darbyらの計算では、85歳までの生涯死亡確率は、非喫煙者は、WLM 当り1.2x10-4であるのに対して、喫煙者はWLM当り24x10-4と推定されます。一般の集団では喫煙者と非喫煙者が一定の割合で含まれているので、平均化されてWLM当り5x10-4 となります。つまり、一般集団で見ると、喫煙者は過小評価され、非喫煙者は過大評価されたことになります。(注:WLMは、ラドンの曝露量として古くから使用されている単位で、1WLのラドン濃度で170時間(1ヶ月の作業時間)曝露を受けること。1WLは、7,400Bq/m3の平衡等価ラドン濃度)

 そうなると、ICRPPub.65 で生涯絶対リスクで 10 mSv に相当する累積被ばくをもたらすラドン濃度を参考レベルとして設定する考え方は、喫煙習慣によって異なることになります。同じラドン濃度を吸入してもリスク換算で誘導されている線量が異なるということになります。

 ICRP は、従来、性や年齢あるいは民族で異なるリスクを平均して nominal(名目的リスクとして扱ってきました。ICRPは、線量限度や組織加重係数の決定において、世界どこでも適用できる唯一の数値を導くために、リスク推定においてnominal riskの考え方をとりました。喫煙習慣も年齢と同じ仮想的な集団の修飾要因の一つであるという認識で、ラドンの放射線防護は仮想的集団の平均リスクを対象にしました。

 性、年齢および民族(国)は、私達が制御できない属性ですが、喫煙は放射線以上に強力な発がん物質であり,公衆衛生上の重要なリスク因子です。世界的にも喫煙はがん対策の最大の標的とされています。このがんリスク対策上、最大の標的である喫煙がラドンの健康影響に影響することに対し放射線防護はいかに対応すべきでしょうか。喫煙習慣ごとに参考レベルを設定することは確かに実際的ではありません。屋内環境のラドンの濃度を管理するためには、リスクを基礎にした代表値をあてることが最も合理的でしょう。非喫煙者のリスクを基礎に考えると、喫煙者のラドンリスクは非喫煙者に比べてより高いリスクを許容することになり、逆に、喫煙者のラドンリスクに注目すると、非喫煙者のリスクを厳しく管理することになり、過大なコストをかけることにつながります。いずれの考え方もラドンのリスク管理だけに注目する限り、明解な回答は出てこないように見えます。この問題に解決の展望を与えるのは喫煙とラドンのリスクを冷静に比べてみることです。プール解析から得られたラドンの過剰相対リスクは、ヨーロッパのプール解析では8%(95%信頼限界:3-16%)、北米のプール解析では11%(95%信頼限界:0-28%)、であり、喫煙習慣の有無に関係なく、過剰相対リスクには有意な違いがありません。一方、喫煙は、我が国の研究によると、肺がんリスクは喫煙本数(箱)と年数の積で決まり、20箱年以上では相対リスクがおよそ10-20と報告されている。生涯リスクに注目すると、喫煙者と非喫煙者のラドン、喫煙、それ以外の原因にわけて肺がんのリスクを比較すると、喫煙者の喫煙のリスクが圧倒的に大きいものであることがわかります。このようなリスクの基礎情報をもとに放射線防護は考えるべき時代になってきたと思われます。がん死亡率を低減するための効果的な方策を考えると、優先すべきは喫煙対策です。ラドン対策は、喫煙を無視しては効果的ながんリスク対策にはならないことを強調しておきます。

 以上、ラドンと喫煙の問題を考察してきましたが、喫煙の問題は科学の問題ではあっても放射線防護の問題とは別の次元として扱われてきました。この原因は、放射線防護の初期に確立したリスクの概念が現実の問題に対応しなくなってきているのではないかと思えます。放射線のリスクとして対象としてきた生涯死亡確率(生涯過剰絶対リスク)及び名目リスクなどの概念が放射線防護の基礎にあることを認識し、放射線防護が確率的影響(がん)をどのような考え方で制限するのが適切なのかが今問われています。


↑Page TOP

7. おわりに
 ここでは、Pub.103までのICRP勧告の歴史を振り返り、その考え方と背景にあるリスク評価について解説しました。

 実効線量は、線量限度などの放射線防護基準値と比較する際に利用する指標として1977年に導入されました。放射線防護における最も基本的な量として利用されています。しかし、実効線量が名目デトリメント係数を利用してリスク評価に安易に利用されるなど、本来の実効線量の目的とは違った誤用が認められます。実効線量が名目リスクの考え方を利用し、ユニバーサルに適用するための指標であることが、逆に様々な問題を生じつつあります。例えば、ラドンの基準を考慮するときに、喫煙者と非喫煙者のリスクを平均化して扱うことが果たして放射線防護として妥当であるのかなど、今後、議論が必要です。

 放射線防護においてICRPが果たした役割は大きく、とくに、リスクの概念を他分野に先んじて導入し、適切に放射線防護が実際されれば晩発影響の発生を抑制し、実際的には影響をもたらさない管理の方策を勧告してきたからです。ICRP勧告は、産業界からは厳しすぎるという批判を受ける一方で、リスクを過小に評価しているという、別の団体(放射線リスク欧州委員会(ECRR))からの批判もあります。低線量放射線の問題は科学的な実証が難しいだけに、今後もリスク評価の不確かさからくる論争は続くと予想されます。

 放射線防護の基礎にあるのは、むろん「科学」ですが、科学だけでは対応できない現実の判断に社会的な価値が伴っていることを理解する必要があるようです。ICRPは、この点について、「科学的推定と価値判断の基礎及びそれらの間の区別は、どのように決定がなされているかの透明性を高め、決定へのその理解を増すために可能であればいつでも明らかにすべきである(ICRP Pub.103,27項)」と述べています。放射線防護に関わるすべての関係者の共通の認識とするべきでしょう。

↑Page TOP
「放射線リスク評価について」indexに戻る


   
   
 

体質研究会のTOPに戻る