2000.9.1

 
   
 

19.パラダイムシフトについて世界的な動きはあるのですか:
   放射線防護の生物学的基礎についての検討の経緯と現状

 

 

  ICRPの放射線防護の勧告は1977年のものまでは余り異論もなく世界的に受け入れられてきました。我が国の今の規制もその線にそうものです。ところが1990年勧告は、既にヨーロッパを中心として多くの国で既に取り入れられ、我が国でも取りいれの最終段階にはいっていますが、科学者の間ではいろいろな批判が絶えません。そのうち生物学的な基礎に関する点を拾い上げてみようと思います。批判があるのに一方では規制に取り入れられているというのはおかしいと思われるでしょうが、ICRPとしては以下にも述べますように、それらを順次取り上げて検討しては、やはり今の方針を変更する必要はなかったとして、否定していっているのです。

1) 1980年にアメリカのLuckeyが放射線は害ばかりではなく、生物にとって役に立つこともある、さらに突っ込んで放射線は生物にとてその正常な生活の為には必要なものであると主張する本を出版しました。それにはその説を支持するデータとして数百にのぼる文献が引用されています。この様な効果を放射線ホルミシスと言います。たしかに植物に適量の放射線を照射すると成長が促進されるということは古くから知られていましたし、医学では頑固な関節痛や結核性のリンパ腺炎に放射線が効くことが知られていました。こんな例を沢山集め放射線の生物に取っての有用性を強調したものです。いやLuckeyはそれ以上に生物にとって放射線は必要で、これなくしては生物は育たないとまで主張しているのです。その例としては、ゾウリムシという単細胞生物を使ったフランスの実験があります。これを厚い鉛の箱にいれてそとからの放射線を遮るとその成長が悪くなり、箱の中に放射線源を入れて箱の外と同じ様な放射線量を受けるようにするとその成長阻害は消失したというものです。さて、ICRPはこれを検討し、「現在入手しうるホルミシスに関するデータは、放射線防護において考慮を加えるには十分なものではない」と結論を下しました。そのご放射線ホルミシスを示すという報告は増えていますが、状況は変わりません。

2) 放射線によるDNAの損傷とその修復についての研究がすすみ。1984年に低線量放射線による適応応答と言う現象が見つけられ、その後これに関する多くの報告が発表されました。これは予め数cGyの放射線を細胞に照射しておくと、数時間から数日にわたった細胞は次の放射線に対して強くなるという現象です。染色体異常の出方も、生存率低下も、突然変異率誘発も減るのです。これは高線量では見られない数cGyの線量域だけに見られる現象です。私達は1992年京都で国際会議を開いてこの問題を検討しました。その会議にはICRP側の人も、それを批判する人も居ましたが、この適応応答という現象があるということについて参加者全員のコンセンサスが得られました。そして1994年の国連科学委員会報告には特に適応応答が特別テーマとして取り入れられました。しかしICRPは次のように結論してこれを取り上げませんでした。「細胞におこる損傷と修復のバランスいよびそれに続く防護機構の存在は線量反応関係の形に影響を及ぼすことはできるが、それが真のしきい値を生じさせているとは考えることはできない。」

3) ICRPは1990年勧告で放射線防護の生物学的な基礎としてつぎの様な見解をとっていますが、それは現在も変わっていません。「少ない放射線量でもなんらかの健康に対する悪影響を起こすことがあると仮定しなければならない。(中略) 確率的影響はしきい値を求めえないので、これを完全に避けることはできない。」

4) しかし欧米ではこのICRPの「しきい値なし直線(LNT)仮説」に本当に問題がないのかという検討が行われ1998年頃から順次その結果が報告されました。何れも今のところLNT仮説を変更するべきだとする根拠は見いだされないとしています。ただしアメリカの放射線防護委員会、科学アカデミーのものはあくまで中間報告として調査を継続中という態度を取っています。OECDのもは一応結論でLNT仮説を変更する必要はないとしながらも、実際の場合のリスク推定に当たってはより慎重にするようにと一定の留保をおいています。さらにICRP自身もClarke委員長が基本的にはLNTモデルを取りながらも、今までと全く変わった体系の作り方を提案して意見を求めるというように、学者達の反論に何らかの形で答えようとして来ているところに、新しい動きを感じます。

5) 我が国でもこの問題の重要性は認識され低線量放射線影響研究として研究が進められています。それらはまた順次ご紹介したいと思います。本当はそれをもとにICRPに対案を出す位にしたいのでが、それにはある程度の組織だった検討が必要で、残念ながら我が国にはその様なものがなかなか出来ないのです。

 最後は何となく歯切れが悪くなりましたが、一応この問題をめぐる世界の情勢をご紹介しました。

 

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