2015.9.2
 
Books (環境と健康Vol.28 No. 3より)

 

アントニオ・タブッキ 著(和田忠彦 訳)

イザベルに・ある曼荼羅


(株)河出書房新社 ¥2,000+税
2015 年 3 月 25 日発行 ISBN978-4-309-20671-4

 

 

 本誌のような理系の雑誌に文芸作品を紹介するのはいささか気が引けるが、息抜きにと思って本書を紹介する次第である。

 イタリアの著名な作家であるタブッキの遺作であり、彼の死後発見された完成ノートをもとに最近出版された幻想的な作品である。多くの著作を持つタブッキの作品の中で、私はポルトガルの独裁政権下で追われる若者をかくまった男の運命を描いた「供述によるとペレイラは……」を高く評価しているが、今回の遺作もポルトガルのサラザール体制下の抵抗運動で投獄され、脱獄の後に消息を絶った美しいイザベラの行方を追って一人称の私がマカオ、スイス、ナポリ、インドと曼荼羅の円を縮めるように核心に迫ってゆく物語である。しかしそのたびに物語は少しずつ現実を離れて変容してゆく。そして語り手はシリウス星から来たといい、イザベラもすでにこの世の人ではないことが明らかになってゆく。生の終りを予感したタブッキ自身の心境であろうか。最後にリヴィエラの海岸にイザベラは現れる。白いヴェールの帽子の彼女は彼の手をとって船に誘い、ポルトガルの港町の夜景の中でかつて二人がしたように最後の別れをする。このシーンは鳥肌立つような幻想的な美しさで、一夜で砂に描いたチベットの曼荼羅が突然かき消されて無に還るさまは東洋的ですらある。

本庄 巌(編集委員)