2011.9.1
 
Books (環境と健康Vol.24 No. 3より)

 

西井涼子 編

時間の人類学−情動・自然・社会空間


世界思想社 ¥3,900+税
2011 年 3 月 31 日発行 ISBN978-4-7907-1521-4

 

 

 地球上に住む人間にとって、空間も時間も、現実的には自明であるが、実際に定義するとなると大難問である。本書は「時間とは何か」を問うことを意図したものでなく、地球上の異なる「社会空間」に住む人間の生に接近するために、「時間的視座」という補助線を引いてみて、現実のフィールドワークから肉薄した方法論の模索であり、実際には東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所の共同研究の成果である。内容は、第 1 部:時間をめぐる人類学的視座、第 2 部:自然の時間と人間の時間、第 3 部:想起・記憶・歴史−現在から過去へ、第 4 部:別の未来の可能性へ−生と死、からなっている。

 本書の人類学の時間モデルでは、(1)時間は不可逆である、(2)生は自然現象の一部であり、時間はリズム性として捉えられる、(3)時間は、過去から、現在、未来へと流れるのではなく、過去も未来も現在において生成し、胚胎する、(4)現在は不確定で、目に見える現実とは異なりつつも繋がり、出来事が生成していくとする。

 多くのフィールドワークの事例の中から医療に関するものを取り上げると、タイ北部での民間治療師は独自の学習経験を経て得た知識に基づき生薬を作り、患者との対話の中で薬を選んでいく。そこでは薬は病気を治すものというよりも患者との持続的な関係性を媒介する代替医療として働いている。現代文明との対比として特に興味を引いたもう一つの事例は、アフリカ・ガーナ南部のエウェ民族の占いである。占い師による過去の多様な物語製作の過程で時間構造を秩序化し、未来の偶然と不確定性が「必然」へと転換されている。複数の解が可能な複雑系理論における時間モデルに近い。古典力学的時間モデルでは、適切な初期条件が与えられれば、確実に未来を予測し、過去も遡って推測可能であったのと対比される。すなわち前者は偶然性や不確定性を取り入れた物語的時間であるのに対して、後者は偶然性や不確定性を排する線形的時間である。勿論近代文明は、後者の線形的時間の中で再現可能な自然科学の成果によって、発展してきた。しかし今回の東日本大震災に見られるように、偶然性や不確定なゆらぎのある複雑系に対応するには、物語的因果性(歴史性)に基づく多重選択の知恵を取り入れた新しい文化の構築が求められているのではあるまいか。

山岸秀夫(編集委員)