2010.5.28
 
Books (環境と健康Vol.23 No. 2より)

 

正村俊之 著

グローバリゼーション−現代はいかなる時代なのか


(株)有斐閣 ¥1,500+税
2009 年 9 月10 日発行 ISBN978-4-641-17804-5

 

 

 本誌前号 Books「原っぱが消えた−遊ぶ子ども達の戦後史」で、評者は、「約 600 万年以前に共通祖先から分かれた森のチンパンジーには見られないヒト特有の歴史的習慣は集団遊びで、外敵に無防備の原っぱは互いに助け合う社会的練習の場であった」との西田利貞氏の見解を紹介した。「裸のサル」は人の間でしか生きていけない社会性動物なのである。

 ところが本書の巻頭に、「社会などというものは存在しない。存在するものは、男、女という個人と家族だけだ」との、1980 年代の英国のM.H. サッチャー首相のショッキングな発言が掲げられている。これは社会と国家を同一視し、当時「福祉国家」と呼ばれた英国国家に対する批判をこめた「新自由主義」からの発言である。丁度時を同じくして、政治、経済、文化、環境問題が、国境の存在を越えて、地球(グローブ)規模で一体化していく「グローバリゼーション」が急速に進展したのである。

 本書の前半では、その歴史的展開を明確な国境の確定していないヨーロッパ中世国家に遡り、大航海時代の近代主権国家の確立と、その国家間の「国際化」(インターナリゼーション)の歴史から始めて、第2 次世界大戦後の「超国際化」、すなわち「グローバリゼーション」の現状を述べている。金融の国際化に代表されるように、「グローバリゼーション」の決定的要因となったのは、コンピュータ・ネットワークとしての情報化技術の発展である。

 本書の後半では、グローバル社会の変容として、(1)米国やイスラム諸国の原理主義運動に見られるような政治と宗教の融合、(2)軍事請負企業に見られるような政治と経済の融合、(3)創造主体の脱個人化(近代芸術の終焉)に見られるような芸術と経済の融合などが取り上げられている。その結果、中世キリスト教世界に類似の「新中世主義」として、(1)ヨーロッパ経済共同体に見られる国家の地域統合、(2)ユーゴスラヴィア崩壊などに見られた国家の分裂の加速、(3)国際的テロリズムに象徴される私的な国際的暴力の復活、(4)多国籍企業などの国境横断的な機構の台頭、(5)地球を収縮化(時間的距離の短縮)する世界的な技術の均一化をもたらし、ネットワーク権力としての新帝国の到来をきたしたとのことである。

 最終章では、「グローバリゼーション」の行方として、(1)政治的次元では、外部の影響を排除できない国家主権と民主主義の危機、(2)経済的次元では、金融自由化の合理性の追求の結果としての資本主義の自壊作用、(3)文化的次元では、生物多様性の減少を上回る言語的多様性の減少に見られる文化的同質化、(4)環境的次元では、地球環境の温暖化と水資源の危機などが取り上げられている。しかし望ましい社会創出への提言はない。

 評者の知る著名な免疫学者の多田冨雄氏*は脳梗塞の後遺症で、筆記と会話が出来なくなり、車椅子生活を余儀なくされているが、「グローバリゼーション」の元凶とされる情報化技術のおかげで、コンピュータのキーボードの操作が可能である。最近、生前親交のあった随筆家の白州正子さんをシテとして、多田さんがワキとして登場する新作能「花供養」の脚本をキーボード操作で完成され、その作成から上演(没後 10 年追悼公演)に至るまでの演出家や能楽師との打ち合わせの過程を単行本として出版された(藤原書店、2009 年 12 月 26 日発行、¥2,800+税)。地球上のみならず、霊界と現世の新しい橋渡しを初めて可能にしたのは、ほかならぬこの情報化技術の進歩である。「グローバリゼーション」という新しい革袋に入れられる新しい文化の行方に注目したい。

山岸秀夫(編集委員)

 

 *本Books 執筆後の4 月21 日、長い闘病の末76 歳にて逝去された。合掌