2009.12.1
 
Books (環境と健康Vol.22 No. 4より)

 

佐伯啓思 著

大転換−脱成長社会へ


(NTT 出版(株) ¥ 1,600 +税
2009 年 3 月 26 日発行 ISBN978-4-7571-2229-1

 

 

 2008 年のアメリカ発世界大金融恐慌に直面して、本誌ではサロン談義 6「資本主義の行方」と題して自由な意見の場を提供してきた。もちろん当初より出番であるはずの数人の経済学者にもコメントをお願いしてきたが、概して沈黙を守っておられる。本書はそれに代わる経済学者の一つの回答である。

 評者が本書から学んだ新鮮な知識は、「資本主義(Capitalism)の資本(Capital)とは頭金あるいは先端と言う意味で、常に新たなフロンティア(先端部分)を求め、そのフロンティアのリスクに対する報酬として利潤を求める運動が資本主義である」ということである。まさにアメリカの西部劇に出てくる開拓者精神の経済版である。今まで信じてきた「資本主義とは経済における自由主義と民主主義の実現である」との理解とはかなり異なるが、現在の評者にはより分かりやすい説明である。元々の市場経済の出発点は物々交換で、山の民と海の民が同時に出会って、そこでイモとサカナを交換するのが基本形であるが、3 人以上が別々に出会う場合の交換の便宜のために貨幣が発生するのであって、貨幣自身に価値は無く、「信用」こそがその母体である。したがって貨幣を取引する金融市場では、将来に向けての信頼あるいは信用という要素が現出する。すなわち、物のような具体的な価値を持たない一種のヴァーチャルな市場であり、確かに「無」から利益が生み出されている。各種格付け機関がレストランを開いて証券と言うヴァーチャルな食物を世界に売り出し、国家間の摩擦を惹き起こしている。しかしその根底には「豊かな社会」を目指す「物づくり」を軸にした「産業資本主義」の発展、すなわち大量生産、大量消費が無ければならない。本書の著者は今回の世界恐慌の本質は、「先進国が産業段階として殆ど成熟化してしまい、生産能力が過剰になり、(大量の貧困庶民の)物質的消費が追いつかない」ところにあるとしている。そこで本書の題名にあるような、豊かな社会に対する考え方の「大転換」が求められている。それでもまだ産業資本主義は人々の欲望を刺激して、高性能パソコン、ケイタイ、ゲームを市場化し、過剰なまでに「新奇なもの」を開発して、「先端部分」で利潤を生み出し、金融資本が公共的活動から、「先端部分」へと流れ出し、医療、教育、福祉、環境保全といった部分が空洞化しようとしている。そこで、現在「豊かな社会」に要求されているのは、「成長中心主義」でなく「脱成長社会、脱工業社会への提言」である。

 著者の具体的な 7 項目の提言を以下に示す。(1)医療の質・量の充実とその効果的で公正なシステムの構築および研究機関の設置、(2)日本的経営システムの再構築による地方中核都市の整備、(3)自由経済の枠組みの中での領域ごとの管理貿易の運用、(4)食糧、自然資源など基本的生活物質の自給に向けての部分的産業保護、(5)京都議定書の枠組みをベースにした環境戦略による世界の過度な開発的競争の抑止、(6)高齢化社会に向けた住宅環境と公共交通システムの構築、(7)確かな判断力と総合的な知識を持った人材教育などである。

 大衆迎合の人気主義的政策から脱却して、「豊かな社会」の構築へと政治、経済を大転換させるのは、我々自身の「価値の枠組み」の意識変革であると結んでいる。

 

山岸秀夫(編集委員)