2009.3.4
 
Books (環境と健康Vol.22 No. 1より)

 

和田昭允 著

生命とは?物質か!


オーム社 ¥1,800 +税
2008 年 11 月28 日発行 ISBN978-4-274-50158-6

 

 

 2000 年末に、米国のセレラ・ジェノミクス社がヒトゲノム 30 億塩基対の概要配列を読み取り、しばらくして、主として米、英、日の国際共同チームの成果として、2003 年に完全塩基配列の解読が発表され、ヒト設計図の読み取り競争の第 1 段階が終了した。ゲノム全塩基配列情報の企業特許による独占を阻止したのは、国際共同の力であったと思われる。DNA 塩基配列読み取りに関する国際共同チームは、1987 年に岡山市で結成され、著者はその会議を主催し、読み取り作業の自動化を最初に提案した。会議後の懇親ツアーが京都で行われ、評者はそのお手伝いをした。それだけに、昨年末に本書を見かけた時、早速手にした。

 本書は、2 部からなり、第 1 部で著者の自然観が述べられ、第 2 部は期待通り、塩基配列読み取り競争の中でリーダーとして実感した著者の科学観である。そこには物理学(物質科学)から生物学(生命科学)へ越境し、その生命の設計書を開くことの意義を社会に訴える中で、文系研究者との出会いを重ねた著者ならではの卓見が小気味良く描かれている。ここでは、本誌を発行している健康財団グループのプロジェクトの骨子に触れる(1)要素還元論と(2)文理融合についての著者の見解を取り上げる。

 (1)自然の空間は、宇宙から生物個体を経て素粒子までの壮大な重層構造をとり、連続して拡がっている。しかし、それを理解しようとする科学の分野は、その全体像の中の恣意的な部分画を対象としている。壮大な全自然を眺望するには、その部分画の間を埋める無限の努力が求められている。科学者は、それぞれが選んだ部分画を理解するために、さらに要素に分解して、それらの間に因果関係を発見し、科学知を重ねていく。著者はこれを矛盾のない「形式知」とよんでいる。この形式知の部分画でジグソーパズルを完成するまでは、完全な自然観は得られない。ゲノムDNA 完全解読への著者の情熱は、このような自然観に支えられたものであろう。要素だけを組み合わせても全体は分からないとする全体論は、未だ科学知がマダラであることに起因すると考えるのが、科学者として謙虚な著者の観点である。実際、健康財団グループの非要素還元主義を主題とした「健康指標プロジェクト」も多くは地道な要素と要素間の相互作用を明らかにするものであった。

 (2)著者は、日本の学術社会を文系・理系に分ける教育は愚かで、「人間社会の知を愛する哲学教育の上に専門性を作り上げること」に同感している。その上で敢えて、理の知を「形式知」とするなら、文の知は「暗黙知」だとする。「暗黙知」とは、皆が共有しているけれどもはっきりと言い表せない、愛、美、死の様な主観的な人間の知であり、対象に矛盾が含まれることを前提としている。評者は、「暗黙知」に対して、芸術(アーツ)を想定した。複雑な情報処理能力を持った人間を含む生命科学の理解のためには、この両者の知を求める人が協力する「文理連携」(芸術と科学の連携)は必要であるが、同一人の中での「文理融合」は絵空事であると、著者は明快に切り捨てている。文理融合を目指した「第 1 期いのちの科学プロジェクト」への痛烈な批判である。しかし部分画としての科学知(理の知)が、他の部分画との整合性を求めて枠をはみ出すときには、直観としての仮説(文の知)が求められよう。最近の話題では、ノーベル賞に評価された小林・益川理論も 1974 年当時は、3 つの仮設の内の 1 つであったと聞く。

 また矛盾した情報を脳だけが処理すると考えるのは大間違いで、試行錯誤を繰り返せば目的を持ったように見えるものが出来るとの見解の中に、評者の Editorial「天は先に考え、人は後で考える」(本誌 19 巻 2 号、114−17、2006)と共通するものを読み取った。生命のロマンを科学として読み取ろうとする若者にとっても、本書は、その付録も含めて、貴重な教訓を提言している。

 

山岸秀夫(編集委員)