2009.3.4
 
Editorial (環境と健康Vol.22 No. 1より)


アルツハイマー病の治療はどこへ向かうのか


菅原 努*

 

 

 アルツハイマー病はご承知のように認知症の一つで最近我が国でも著しく増加しています。最近の新聞報道(2008 年8 月26 日付け)ではイギリスのサッチャー元首相も同病とかで、ご主人の亡くなったのも忘れているとか。また 2008 年12 月18 日の SANSPO.COM によれば『「刑事コロンボ」がアルツハイマーを患う』、ということで、名探偵振りを演じて評判であったピーター・フォークも、御年 81 歳。現在は人の見分けが出来ない状態とか。いやそれどころか私の親戚にもその患者が居て、その 3 人目がとうとう家内になってしまいました。こうなると私も専門外とはいえ、その治療の進歩に注目せざるを得ません。

 こんなことで、今や世界中をあげてこれの治療法が研究されていることはご承知のとおりです。我が国でも厚生労働省が昨年「第4 回認知症の医療と生活の質を高める緊急プロジェクト(6 月 30 日開催)」で取りまとめた認知症対策の一環として、「アルツハイマー病の根本的治療薬を今後10 年以内に実用化させる計画を明らかにした」と報じています。本誌ではその研究の一端を主に画像診断の立場から尾内康臣浜松医大教授に紹介して頂きました。

 そこへ最近(2008 年 7 月 19 日号)の国際医学誌Lancet(July 19, 2008)1,2)に、この病気の治療について悲観的な論文(p.216)と希望の持てる論文(p.207)が並んで掲載されたのです。私は最初、Nature やNew Scientist の短い紹介記事からそのことを知りました。後者についてはインターネットでも紹介されています。そこで私は早速、京大の医学図書館に行き二つの論文をコピーしてきました。しかし、我が国では新聞などには全く紹介されていません。この二つの論文はいずれも二重盲検法による臨床試験ですが、治療の原理が全く違っています。

 先ず前者ですが、この病気はかねてから脳細胞にタンパクの断片アミロイドβ(Aβ)が沈着しそれが原因で脳細胞が死滅するのが原因とする説が有力視されています。そこでイギリスの Southampton 大学の Holmes らはこのAβに対する抗体をつくり、それで臨床試験でA βの沈着を減らそうと試みたのです。残念ながらその結果は思わしくなく、投与例でたまたま剖検できたものではAβの沈着は減少しているようでしたが認知障害は変わらず、「それを防ぐにはよほど早期に抗体を投与しなければならない」という結論になりました。

 これに対してもう一つの研究は大変希望を持たせるものです。アメリカの Baylor 医科大学の Doody らが行った二重盲検臨床試験の結果です。彼らはかつてロシアで抗ヒスタミン剤として使われていた Dimebon という薬と偽薬を 120 人の患者で比較しました。6 ケ月と 1 年の投与の後に記憶、思考、日常生活の活動、行動などを比較したのです。偽薬群では検査の成績は低下したのに、投与群では統計的に有意な改善が見られたというのです。今までアルツハイマー病で改善が見られたという薬はありませんので、これは画期的なことです。ただ問題はどうして効いたのか、全く分かっていないということです。この研究はロシアで行われたもので、今後の研究の発展が期待されます。

 ところが私が問題だと思うのは、この二つの論文に対する専門家の対応です。2008 年の 11 月 13 日号のNature に「神経科学者は何がアルツハイマー病を起こすかよく知っている。しかし、未だにその理論に基づいた治療に成功していない。その理由は?何処が間違っているのか」ということで3 頁にわたって論じられています。私はこれを読み始めたときには二つの論文について比較検討しているものと思っていました。ところが内容は前者の論文についてだけで、後者については一言も触れていません。ことに前者が第一相臨床試験で、これに対して後者は第三相二重盲険臨床試験であるのもかかわらず。

 「アミロイド沈着が病気の原因であることは疑うことは出来ない。従って治療に成功しなかったのは治療開始の時期が遅すぎたのではないか、他の認知症がまぎれていたのではないか。そのためにはもっと早期に診断できるバイオマーカーを開発する必要がある」と言った議論です。私がこの一方的な解釈に専門家でないのにも関わらず満足できなかったのは、後者の論文で有効性を示した Dimebon の他に、その後抗リュウマチ剤の一つエンブレル(エタネルセプト)でアルツハイマー病の症状を著しく改善したというアメリカの臨床医の報告を New Scientist(2008 年 8 月 9 日号)で見つけたからです。79 歳の元警察官であるウオルター氏は、子どもに電話をかけることも、歩くことも、身の回りのこともうまく出来ない状態でした。それがロサンゼルスで開業しているエドワード・トビニック医師にエンブレルの注射をしてもらったら、「一度に 3 年ほど遡昇ったように元気になった」というところから話は始まります。トビニック医師はその後症例を増やし、臨床雑誌にその結果を発表したようですが、勿論専門家は相手にしていません。

 でも本誌の尾内教授の論文を読んでください。最近の画像診断の技術によれば、正常人にもアミロイド沈着が見られる、そしてアルツハイマー病患者ではその沈着から TNF −アルファーや NO などの炎症物質が産生される。神経炎症の PET 画像のアルツハイマー病への抗炎症や神経保護治療などの評価系に利用されるだろうなどと書かれています。エンブレルはこのTNF −アルアーの拮抗物質なのです。こうなるとアミロイド沈着そのものが原因ではなくそれが誘発する炎症性物質がアルツハイマー病の原因である可能性も考えるべきではないでしょうか。有効性の示された Dimebon(Dimebolin)も、その作用機構についてベーターアミロイド蛋白の神経毒性をブロックすると書かれています。私は身内にアルツハイマー病の患者を持っていますので Dimebon が薬になるかどうか心配でした。そこで元に戻って Dimebon の行く方を追っていましたら、インターネットで調べたところ、幸い大手製薬企業のファイザーがこれに取り組むようなので、安心してその後の経過を見守りたいと思います。

 昨年末頃からの世界的な経済不況に対して、「100 年に一度の大災害である」と他人事のように言っている経済学者や経済人を見るにつけても、私たち医学者も進路を誤ってはならないと思い、専門外のことですが、私見を述べさせて頂きました。新聞では相変わらず「ネズミでアミロイド沈着を防止できた、将来の治療に有望」などという記事が出ているのです。これで本当によいのでしょうか。

 

文 献

1) Clive Holmes et al.: Long-term effects of A β 42 immunisation in Alzheimer's disease: follow-up of a randomised, placebo-controlled phase 1 trial. The Lancet 372, 216-223 (2008)

2) Rachelle S. Doody et al.: Eff ect of dimebon on cognition, activities of daily living, behaviour, and global function in patients with mild-to-moderate Alzheimer's disease: a randomized, double-blind, placebo-controlled study. The Lancet 372, 207-215 (2008)

 


 *(財)慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団理事長、
京都大学名誉教授(放射線基礎医学)