2008.12.4
 
Books (環境と健康Vol.21 No. 4より)

 

伊東隆夫 編著

木の文化と科学


海青社 ¥1,800 +税
2008 年 4 月 20 日発行 ISBN978-4-86099-225-5

 

 

 わが国は「木の文化」、西洋は「石の文化」という表現は良く耳にする。しかも仏像に関しては、東洋でもインドや中国の大陸のものは石像や金銅像が多く、わが国での木彫像の多さは「みずほの国」の特色かもしれない。しかし、良く考えてみると、「いのちの科学を語る第4 集、チンパンジーの社会」の Books 談義にあるように、落葉広葉樹林の背丈程度の潅木は、狩猟採集民にとって衣食住の源泉であった。その樹皮は寒さを防ぎ、風雨をしのぐ衣料として、その完熟した実は食料として、またその枝を組み合わせれば、石器は無くとも簡易の居住空間として利用できる。その上、その香り、色、葉ずれの音などは、心や身体を癒す薬効があったであろう。まさに狩猟採集民にとっては、「木の文化」はすなわちその全生活に関っていた。農耕生活を始めるようになって、人々は里山から奥山まで出かけ、協力してスギ、ヒノキなどの大木を伐り倒して、大型住居を建造した。しかし戦火はいうまでも無く、日光や雨による風化、菌や虫による生物劣化によって、「木の文化」は容易に消失する。ところが最近の木材強度研究に依れば、このようなリスクを避ければ、正倉院の例に見るように、その常温酸化反応としての木部の経年変化(老化)は、はるかに緩やかで何千年の寿命を持つとのことが明らかにされている。それだけに、ローマ時代に近い千数百年以前に建造された木造建造物は平和のシンボルそのものと言えよう。評者は、近鉄電車で京都駅に近づくにつれて、身をのり出して、愛宕山を背景に天を突く東寺の五重塔に眼を凝らし、その平安を祈る。消失した西寺や羅生門などの身代わりとしての「生き証人」である。しかもその「木の文化」の素材は毎年奥山の森の中で常に再生されている。まさに持続可能な文化である。

 対照的に、「石の文化」は居住空間としてはより強固であり、数々の戦火にも耐える。しかしその生活の一部である衣食との関連は薄い。古代エジプトのピラミッド、アテネの神殿、ローマの大競技場など、いずれも数々の戦火に耐えて生き残った「石の文化」の証である。最近に例をとると、第 2 次世界大戦で完全に廃墟と化したミュンヘン旧市街の城壁の石の再構築による完全復旧と「ヒロシマ」の違いである。現代では、コンクリートジャングルの中にその多様な石の技術が生かされている。

 評者は、学部、大学院の時代に植物学を専攻したが、その顕花植物の同定には必ず環境の影響を受けにくい遺伝的形質としての花部の観察が必須であった。しかしその後、研究者としては分子生物学の道を歩み、思いがけず日本電子顕微鏡学会での木材研究者との出会いがあった。本書の編者もその仲間の 1 人である。木を草から区別する特徴は、茎が 2 次肥大成長をして強固な木部を形成するところにある。成長時に根から葉に水分を供給していた生きた導管細胞などは、死後内部に押しやられその細胞膜が 2 次代謝産物によって強化されて木部となる。当時、木材研究者はその強さの秘密を微細構造に求めようとしていたのである。DNA ではなく、既に植物としての一生を終えた木材の断片から、その種類を同定し、その生きていた時代と自然環境を推定できる学問は、まさに歴史学であり、私にとっては強い文化的ショックであった。

 本書は、編者の京都大学停年退職を期に、自然科学としての枠をはずして、遺跡出土材や仏像の木や古建築の木にまで視野を広げて、それぞれの専門分野の方々の協力を得て、木材科学を文理融合の科学として見直されたものである。ここでは自然を「山川草木悉皆成仏」と見る日本人の精神構造として「木の文化」を論じている。太秦広隆寺のみろく菩薩(宝冠弥勒像)は、学生時代以来の「究極の美」であったが、当時の 600 体余りの仏像がクスノキで作られていた中で、この宝冠弥勒像一体だけがアカマツで製作されていたとの新知見は「究極の美」に秘められた「オンリーワンの知恵」を啓示し、夢を膨らませてくれた。

 

山岸秀夫(編集委員)