2006.9.2
 
Books (環境と健康Vol.19 No. 3より)

浅野裕一 著
古代中国の文明観 ―儒家・墨家・道家の論争―


岩波新書(新赤版)944 ¥700+税
2005年4月20日発行
ISBN4-00-430944-1

 

 

 本書は西欧文明と並んで人類文明5,000年を語る上に忘れてならない、中国黄土地帯に発展した文明を紹介し、現代文明の将来を考えさせるものである。すなわち(1)自然開発の推進(文明化)か、(2)自然との共存(私有財産の制限と節約)か、(3)自然開発の抑制(反文明)かである。

 昨今、黄砂に霞む夕陽を見て、自然破壊の進行と嘆く方もおられるであろう。しかしこれは今に始まったことでなく、250〜400万年にもわたって奥地からの風によって中国の中原に風成された厚さ200メートルにも及ぶ黄土堆積層の一部に過ぎない。森林や原野での狩猟採取生活を行なっていた5,000年前は、そこに黄河が毎年氾濫し、自然の猛威に怯えながら辛うじてヒトは生き延びていた。その頃の黄河流域には鬱蒼たる森林が広がり、原野ではゾウ・サイ・ウシ・クマ・トラ・シカなど大型の哺乳類が生息し、無数の水鳥が沼地に群舞していた。したがって、河川の流れを変えて洪水を防ぎ、人類が低湿地で農業を営みながら安定した定住生活を送れるように自然を改造するのに成功した者が、そのまま天下の王となって人々に尊敬され、伝説上の、夏、殷、周の王朝が成立した。

 しかし伝説は文字の発明によって初めて正確な記憶として残される。甲骨文字などに残る不完全な記録は別として、最初の文字は伝説上の最古の帝王である黄帝に任命された歴史官、蒼頡によるもので、秦の時代の丞相、李斯が編纂し、蒼頡文字と呼ばれる。後ほど「説文解字」を編纂した後漢の学者、許慎によると、この時「文字の発明に鬼神が慟哭した」とのことである。もともと鬼という字は人が髑髏(どくろ)の面を上に被った姿の象形であった。音声言語には気を媒介とする呪術性があり、その発言に責任は問われない。しかし文字言語では確実性が向上し、普遍的となり、王の統治技術には不可欠となる。すなわち「文字言語は文明による鬼神の追放」を意味したのである。「無名は万物の始め、有名は万物の母」との言葉が残されている。当時の人々の神秘的対象は、各種自然に宿る鬼神であり、天帝の支配下にある自然神の集合としての多神教であった。やがて紀元前8〜3世紀には、黄河流域に諸国が分立する春秋戦国時代が到来し、多様な百家争鳴の文明論を生み出す諸子百家の時代となる。

 現代文明論との対比で、本書で取り上げられているのが、儒家、墨家、道家の3説である。荒れ狂う大自然の黄河を制し、人々を支配した各帝王にとっては、自然の力は極めて偉大でほぼ無限に映った。そこで帝王自らは出来るだけ華美に飾って尊大に振舞い強権を見せつけ、民には礼節を尊び秩序を守ることを求めた。この多様な春秋戦国時代を最終的に統一したのは秦の始皇帝であり、「説文解字」を編纂させて文字を統一し、焚書によって諸子百家をほぼ根絶し、統治に都合の良い儒家を重用することになり、以後今日に至るまで中国人の生活の規範となっている。儒家の祖は孔子(紀元前552〜479年)であるが、その言説をもとに後に 2 段重ねにして、周王朝で行なわれていた礼制を復元した礼学とのことである。当時の政治の中心であった洛陽から遠く離れ、王朝時代の礼制を実際に目撃できない、魯の片田舎にいた孔子の考えは百家争鳴時代の誇大妄想で、詐欺的性格を持っており、一種の一神教的宗教結社として孔子王朝を目指したが挫折したとのことである。しかし秦以後、生活規範として人々に浸透し、政治面だけでなく精神文化でも華美に走り、歌舞音曲や礼装を奨励した。

 他方墨子を祖とする墨家の考えでは、自然は有限であるとして、むしろ個人消費の節約を主張し、春秋戦国時代では儒家よりも優勢であった。むしろ華美を排し、限りある自然の富を生きている者のために節約して使う反宿命論の立場に立ち、精神論としては、墨家十論に、利己的でない兼愛、他者に干渉しない非攻を唱え、小国分立の封建性共存の理論的背景となっただけに、秦帝国の焚書によってその記録は完全に抹殺されたが、心ある人々のこころの中で生き延びた。

 道家の祖となった老子、それを引き継ぐ荘子の老荘思想も春秋戦国時代に形成されていたが、文明批判としてはっきりと登場してきたのは、秦の後の漢代始めである。道家の思想の特徴は、自然界の仕組みに対して強い関心を示すところである。これまでの上天・上帝信仰では人格神が存在していたが、ここでは宇宙の始源が思索の対象とされ、人間を模した人格神を宇宙の主宰者にするのでなく、物質存在を宇宙の主宰者に据える思想である。ここに宇宙生成論に連なる現代自然科学の萌芽がみられるが、残念ながらその世界観は「世界は万物が無限に連鎖する混沌である」と最初から全体像を捉えたために、物質を要素に還元してから元の総体に再構成する科学には至らなかった。土木工事に使う機械や狩猟道具の使用に反対し、野生動物の家畜化にも反対した。もともと自然本体の破壊に反対し、「ヒトも天の放し飼い」と見るほどの徹底的な反文明論の代表となった。道家思想の自然科学への発展を制約したもう一つの要因としては、自然現象の単純な記載を制限した当時の複雑な文字文化にあったのではなかろうか。この点に関しては本号の併論Books「多神教と一神教」の「アルファベット記号の開発」と比較して頂きたい。

 現代文明を拒絶して、野生類人猿のように自然と共に暮らす道家的生き方には例え現代人が理念的に魅力を感じたとしても、実際には自然の脅威に直接曝される厳しい世界であろう。この点については、自然人類学の立場から、「いのちの科学を語る」叢書の中でも取り上げてみたい。

 春秋戦国時代には、この他にも私闘を止めさせる非闘主義、軍備廃止の反戦主義や、物質的欲望を極力抑制する禁欲主義も存在し、「侮らるるも辱めならず」とする非闘反戦主義や、自らは耕さずに農民の収穫に頼って生活するのは間違っているとして「天地皆農」の農村共同体的ユートピアを主張する神農家も現れた。いずれも現代の絶対非抵抗主義や社会主義への兆しを含んでいる。

 主要3家に関して、先ず儒家は、社会的身分の上下と富の消費量の多少を比例させ、身分格差による文明社会の礼的秩序を維持しようとするもので、現代資本主義の理念に通じる。楽観主義に基づき多くの文化遺産を残した反面、負の遺産として自然破壊を引き起こした。墨家の主張は自然界の評価の不十分な悲観主義であったが、文明が如何に自然と共存するかという現代的な課題を残している。道家の反文明論は現実的ではないが、現代文明の陰の部分を体験している我々にとっては深刻に響いている。

 伝説時代の鬼神の追放と共に、忘れ去られていた死後の世界を人々に意識させたのは、後れて紀元1 世紀頃からシルクロードを通じて、西方のインドからもたらされた仏教であった。そこでは文字文化として明確な経典が伝えられた。以後社会秩序を守る「道徳教」としての儒教と、「自然神信仰」的な道教に、新たに「輪廻転生」を説く仏教が加わって、複雑な織物の第3の縒り糸となって現代に至っている。その上今や改革開放路線にしたがって、西洋文明の嵐に曝されて、新たな中国文明への模索が始まっている。

 ヒト(ホモサピエンス)だけに付与された言語文化、文字文化、IT 文化は物質的繁栄と感覚的快楽を享受する文明社会の建設に多いに寄与してきたが、世代を通じて伝えられる命の連続に価値を認め、自然と共生する魂に安らぎを与える真の文明社会の建設が今後の課題ではなかろうか。

山岸秀夫(編集委員)