2006.3.18
 
Books (環境と健康Vol.19 No. 1より)

渡辺京二著
逝きし世の面影


平凡社ライブラリー 552 ¥1,900E 
2005年9月9日初版第一刷
ISBN4−582−76552−1

 

 

 幕末から明治初年にかけての欧米人の日本印象記や旅行記を丹念に読み、陽気な人びと、簡素とゆたかさ、親和と礼節、裸体と性、女の位相、子どもの楽園などなどまで、いろんな位相から見事に描き出しています。

 このような外国人の印象記についてはかねてから、それは猟奇趣味のオリエンタリズムの現われに過ぎないし、彼ら外国人は当時の日本では特別扱いされて本当の姿を見ていない、などの批判がなされています。しかし、これらの外国人は日本に来る前にインドや中国を経験しているので、単にヨーロッパとだけ比較したわけではありません。著者も「日本の知識人には、この種の欧米人の見聞記を美化された幻影として斥けたいという、強い衝動に動かされてきた歴史があって、こういう日本人自身の中から生ずる否認の是非を吟味することなしには、私たちは一歩も先に進めないのが実情といってよい」(20頁)といってこのような点を十分に検討しながら論を進めています。

 欧米の産業革命の結果として生じた社会の明暗の差の著しいところから、植民地の実情を見た上で初めてみる別種の文明国(私はあえてこのような表現を使います)を見出して、異常な感銘を受けた様子が、いろんな面から突っ込んで描かれています。著者も「幕末に異邦人たちが目撃した徳川後期文明は、ひとつの完成の域に達した文明だった」(568頁)と書いています。でも「明治の日本人知識人が己の過去を羞じ、全否定する人びとだったことについては、先にチェンバレンの証言をひいた。ベルツもまた、1876(明治9)年に来日してすぐ、おなじ事態に直面した。(517頁)」とその手紙の一節を紹介しています。

 私がこの本をよんで、わが国は明治以来脱亜入欧で突き進んできたが、どうすればこの古きよき文化を取り戻すことができるだろうか、と考えていたら、まだまだ我々の考え方は昔のままで決して欧米そのものにはなっていないことを突きつけてくれたのが二冊目の本“川崎 謙著 神と自然の科学史”(107、110ページ)です。

菅原 努(編集委員)