2006.3.18
 
Editorial (環境と健康Vol.19 No. 1より)


新しい装いのもとに


菅原 努

 

 

 本誌はもともと(財)体質研究会の調査・研究報告の為に始めたものであるがそれが何時の間にか19巻を迎えることになった。その間に支援する組織として科学進歩日本委員会(JCSD)、(財)慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団、さらに最近では非営利活動組織(NPO)さきがけ技術振興会も加わって、大きく発展してきた。そこで今までも各巻の初めには今度はこのような新しい構想でというようなことを述べてきたが、今回は本当の大変換を計画している。すなわち、従来の会員配付に加えて一般市販をすることにした、ということである。

 それには当然より広い読者層を期待し、それにふさわしい内容を盛り込まねばならない。具体的には毎号特集を組み、一般に興味のある話題に就いての連載講座を掲載するなどを計画している。学問的には高度な内容をできるだけ平易な言葉でわかり易く、しかも時代の指針となるべき問題を取り上げていくことを目指している。そのため編集委員も文理を問わず広い分野の方々にお願いし、内容の幅だけでなく、わかり易さの点でも委員の間で互いに批判修正を加え専門外の者にも理解できることを目指している。このような我々の努力が独りよがりではなく広く世に認められることを願っている。

 なお、市販に踏み切った理由がもう一つある。その例は最近世間を騒がせている石綿問題である。これについては一度世間の話題になったことがあり、その当時この問題を本誌でも取り上げて中皮腫のリスクについて警告を発していた(本誌3巻4号、1993年)。しかし、限られた配付の為かそれが社会で取り上げられることなく、単なる話題で終わってしまった。これからも本誌では科学的に常に先端を歩み、問題があればそれを指摘していきたいと考えている。それには誰にでも容易に手に入るシステムが欠かせないと考えたのである。

 私たちは研究の大きな目標として「いのちの科学」を掲げているが、本誌はその雑誌としての性質上、内容として広く多くの著者の文章を集めたものにならざるをえない。そこでこれを補うものとして、我々のグループでは平行して単行本「いのちの科学を語る」シリーズを刊行する計画をすすめている。これは医生物学者だけでなく広く宗教家、哲学者、教育家、芸術家、京町衆をも包む人々を語り部として発信されるものを活字として後世に残す作業である。これらは東方出版社から発行する。最初は教育臨床心理学者の山中康裕さんの「子供の心と自然」で、子供を被害者として安全圏に閉じ込めるのでなく、敢えてリスクのある自然との触れ合いのなかでリスクに立ち向かうたくましい力を子供に備えさせようとの提言である。つづいて愛知医科大学医学部いたみ学講座の熊沢孝朗さんの「痛みを知る」が進行している。こうして年に2、3冊づつ発行していく計画である。本誌と共に皆さんのご愛読をお願いする。

 以上は本誌のこれからの方針の説明であるが、Editorialとして追加してひとこと主張を述べさせてもらう。我々の進める「いのちの科学」では、心身一元論、文理融合を目指しているが、最近この点から大変気になる政治情勢がある。小泉首相は「靖国はこころの問題である。他人にとやかくいわれることはない。」といっている。しかし、彼はこの「こころ」も社会や文化の影響を受けていることを忘れている。若しそれがないというなら、自民党の公約はじめ多くの政治家がその政策に「安心安全」の確立をいうのは論理矛盾である。安心はこころの問題である。小泉流にいえば政治家が政策で左右できるものではないはずである。しかし、彼等は社会の安全性とそれへの人々の信頼を獲得することによって安心がえられると考えているのであろう。これは社会や文化がこころの問題に関与すると考える一つの例ではなかろうか。

 一国の首相が論理矛盾をした発言を繰り返し、しかも国民がその時々の言葉に幻惑されている。その一方で科学技術立国をうたっている。皆間違っていると切り捨てればよいのか。でもそれだけでは何も生まれない。老人の繰言に終わらせても仕方がない。私のせめてもの対応が「いのちの科学」プロジェクトである。これを通じて何が訴えられるかいまだ模索の段階であるが、このような問題意識を持ってこの計画を進めているのである。