2004.9.1
 
Editorial (環境と健康Vol.17 No. 4より)
高自然放射線地域研究は何のためにするのか

菅原 努
 

 

 この 9 月 6 日から 10 日まで大阪の近畿大学で第 6 回高自然放射線とラドン国際会議が開催されます。世界中には自然放射線のレベルが異常に高い地域があり、そこに多くの人が何世代にもわたって住んでいるのです。放射線は微量でも健康に影響があると言われていますが、もしそうならばこのような所に住んでいる人の健康に異常はないのだろうか、という疑問が出てきます。そこでそのような地域住民の受けている放射線量と健康状態を調査する研究が世界のあちこちで始められました。その関係者が集まって国際会議が初めてもたれたのは 1975 年のことです。1975 年はブラジルで、次いで 1981 年にインド、1990 年にイラン、1997 年に中国とそのような地域のある国で開催されました。その後 2000 年に第 5 回が初めて先進国のドイツで開催されたのですが、それにはヨーロッパを中心とする石造りの家での屋内ラドン(気体状の放射性物質)の問題が取り上げられたからです。

 幸か不幸か、我が国にはそんなに自然放射線の高い地域もなければ屋内ラドンも高くはありません。それなのに何故その日本でこの国際会議が開催されるのでしょうか。実はそれには私もいささか責任があるので、ここでその説明をしておきたいと思います。第 5 回のときに次はどこで開催するかで議論がありました。前に第 4 回を中国で開催するときに中国に協力して支援をしてきましたし、第 6 回のときには私はもう 80 歳を越えることになるので、立候補は遠慮していました。他にはチェッコか何処かヨーロッパの国から申し出がありました。日本には国としてそのような地域はありませんが、私達が中心になって 10 年以上前から中国、インド、ブラジル、イランの調査を行い、一部とは共同研究も行ってきました。その意味ではこのような高自然放射線地域研究のセンターのような役割を果たしてきたと言えるでしょう。その間に何度か小さな国際ワークショップも開催してきましたし、また途上国の研究者を研修に呼んだりもしています。そのようなことで是非日本でという途上国の人達の声を無視することが出来ず、今まで我が国で調査の中心になっている現役の研究者を主にして組織委員会を作っていただいて開催することになったのです。そこでこの機会にこのような研究の問題点とその意義を考えてみたいと思うのです。

 先ず簡単に考えると、自然放射線の普通のところとそれの高いところの住民についてがん死亡率のようなものを比較して、増加しているかどうかを調べればよさそうです。しかし実際はそう簡単ではありません。先ずこのようなところでは死亡届が整備されていません。そこで中国ではその地域でがん死亡の調査組織が、そのために作られました。それには当然診断の正確さを調べるシステムを組み込まねばなりません。インドでは新しくがん登録制度が作られました。さらにそれを専門家に納得してもらうには、統計の取り方、集団の決め方などについて、疫学の方法論を取り入れなければなりません。これを作り上げるのが先ず一仕事です。さらに統計で差があるかどうかを調べるには十分な数が必要ですが、これらの地域では日本などに比べてがんで死ぬ人の割合は少ない(例えば中国では日本の半分以下です)ので、それだけ大きな集団について調べなければなりません。こうしてやっとデータが取れてもがん死亡率に有意な増加は見られないということは言えても、理論的にそれで影響がないとは言えないのです。

 次に人々が受けている放射線の量ですが、大雑把に言って中国の問題の地域では日本の 2.5 〜 3 倍、インドのその地域で 5 〜 10 倍、イランの地域では 10 〜 20 倍と言ったところです。しかし詳しく調べていくと、これについても思いがけない複雑なものであることが分かりました。初めその地区の平均の空間線量を求めそれを上記のようにそれぞれその地区の人々の受けている線量としていました。ところが我々が実際に行って調べてみると、家の中と外とで線量が倍以上違うことが分かりました。人によって当然屋内にいる時間が違いますから、それを考慮に入れないと本当の線量は求められません。何故こんなに違うのでしょうか。中国ではその原因は家を造っているレンガに放射性物質が含まれているためでした。それは近くの土から取ってきたものでした。インドでは逆に家の中のほうが線量が少なく、それは放射線が地面から来ていて、床の材料によってそれがどの位室内まで来るかが決まっていたのです。従って金持ちで床が立派なコンクリートなどで出来ている家に住んでいる人は受ける放射線が少ないことになります。イランの場合はもっと極端でラジュウムのまじった壁土を使って家を建てていたのです。そこに何も知らずに長年住んでいたのです。この調査では、このようなところを動き回る人々ひとりひとりの受ける放射線の量を求めなければなりません。その難しさを想像してみてください。

 私達はがんの他に、知れられているなかで一番敏感だとおもわれる生物学的指標として血中のリンパ球の染色体異常を調べています。詳しいことは専門的に議論のあるところなので省略しますが、今のところ十分なデータの取れているのは中国だけです。結果だけ言うと、放射線量に比例すると考えられる不安定型異常は自然放射線の増加に比例して増加していますが、これはいずれ消えていく細胞です。これに対して、がんに関係すると考えられる安定型異常は、年齢による増加は見られても放射線に比例した増加は見られていません。生体は物理的に受けた放射線をうまく処理してがんに至らないように防御していると考えられます。これは発がん機構とも関連してさらに研究するべき課題です。

 一番大切なことが最後になりましたが、これらの地域には中国で約 10 万人、インドでは 20 万人以上の人が何世代にもわたって生活しているのです。その地域が病気の多い地域として敬遠されたということも聞きません。またそこの住民が心配で他へ移住したいと思っているという話もありません。少なくとも我々より数 mSv 余計の放射線を毎年受け続けているのですが、別に何も変わったことはありません。これもさらに生態学的な、あるいは社会学的な調査をするのが良いかも知れません。もし問題があるとすれば、お金をかければこれらの地域でも受ける放射線をかなり減らすことは可能です。しかし、その必要があるのでしょうか。放射線防護の基準を考える上で、これらの問題をこれから真剣に考えていくべきではないかと思います。

 国際会議ではともすれば個々の発表に重点が置かれ、このような研究の意義や成果の活用について十分な議論が出来ないのが普通です。丁度国際放射線防護委員会 ICRP が 2005 年の新しい防護勧告案を提示して意見を求めているときでもあり、高自然放射線地域とラドン研究がそれに対してどんな意味を持つのか、みんなで議論したいものです。