2004.5.1

 

藤竹 信英

(編集:菅原 努)

 

25.壬生狂言 (つづき)

 


−四− 節分。人物:後家、赤鬼、厄払い、

   あらすじ、

 節分の日、後家は豆を用意し、柊(ひいらぎ)に鰯の頭を刺して門口に付け、やって来た厄払いに厄を払うまじないをさせる。厄払いが去ると、蓑笠をつけた旅姿の鬼がやって来る。後家はこれに驚いて逃げ出す。そこで鬼は策略を練り、門口で鰯を食べ、魔法の「打ち出の小槌」で着物を出して変装し、後家を呼び出す。
 鬼は後家に沢山の着物を与え、酒宴を始めるが酔いつぶれてしまう。後家はしてやったりと鬼の小槌を奪い、着物まで剥ぐが、その正体を見て叫び声をあげる。鬼はその声に目を覚まし、何もかも取られたことに気付き、怒って後家につかみかかろうとするが、後家は鬼のだいきらいな豆をまいて鬼を追い払う。

   仕草(厄払いのまじない)

 この狂言に登場する厄払いとは、「鶴は千年、亀は万年、東方朔(とうほうさく)は九千年、三浦大介(みうらのおおすけ)百六つ、向こうから鬼が来た私が払いましょう」と、めでたい言葉を仕草する。鶴亀は長寿の生き物。三浦大介は、源頼朝の忠臣三浦義明のことである。
 かつては、厄払いが各家を巡ってこれを唱え、謝礼に年の豆と銭を包んだものをもらい受けていたが、今では全く見られなくなった。

−五− 賽の河原、人物:地蔵尊、閻魔、赤鬼、茨木の鬼、帳付け、餓鬼、

   あらすじ、

 閻魔の庁に一人の餓鬼(亡者)が引き出される。生前の行いが写し出されるという「浄玻璃(じょうはり)の鏡」に向かわせ、帳付け(書記)が一部始終を書き留めると、この餓鬼は大悪人だったことが判明する。
 閻魔大王は、まず鬼たちに餓鬼を金棒で打ちすえさせる。応えないと見た閻魔は怒り、釜茹でにして食べてしまえ、と命じて去る。鬼たちは釜に湯を沸かし、餓鬼の舌を抜き、餓鬼を茹で上げて食べる。そこへ地蔵尊が来て餓鬼の遺骸をもらい受け、鬼たちが去った後、地蔵尊は餓鬼に改心するよう諭し、共に去って行く。

   仕草(「餓鬼を食べる」)

 この狂言は、壬生寺の本尊である地蔵尊(地蔵菩薩)の霊験を表わしたものである。地獄のありさまをそのままに描いたものであり、あらすじはいかにもむごたらしい残酷な光景の感がある。しかし、鬼の演技をユ−モラスに描いているためか、全体の雰囲気はとても和やかで、笑いをも誘う。
 閻魔や茨木の鬼は、「餓鬼を食べる」という仕草をする。両手を握って前で震わせるのは「餓鬼」を表す。また、両手を握り、引き裂くように左右に広げ、口のところに持ってきて、食べるような仕草をすると「食べる」になる。この「餓鬼」と、「食べる」はよく似ているが、じっくり見ると、違いが判る。ちなみに、茹で上がった餓鬼は、頭を上役の茨木の鬼が、手足を赤鬼が食べることになっている。「頭は脳ミソがあるから美味しい」からだそうである。

−六− 道成寺 人物:白拍子(蛇体)、住持、僧二人、

   あらすじ、

 二人の僧が、新しい鐘をかついで来て、鐘楼に吊す。そこへ住持が来て、女に鐘を拝ませてはならないと二人に言いつけて外出する。二人が番をしていると一人の白拍子が鐘を拝みたいとやって来る。二人は白拍子のあまりの美しさに、これを許してしまう。白拍子は礼にと踊りを見せる。思わず、二人の僧まで一緒に踊り出すが、白拍子の発散する毒気を浴びて倒れる。
白拍子は実は蛇となった清姫の怨霊であった。白拍子が鐘の中へ飛び込むと、鐘が落ちる。二人はこの物音に目覚め、鐘をもと通り吊そうとするが、鐘は火のように熱くなって手がつけられぬ状態である。二人が責任をなすりつけあって喧嘩を始めたところへ住持が戻って来る。いきさつを聞いた住持が鐘を祈念すると、鐘が持ち上がって中から蛇が住持に飛びかかるが、祈念の力で蛇体の力は衰え、なすこともなく消え去ったのである。

  仕草(白拍子の踊り)

 紀州の道成寺の安珍、清姫伝説の後日談が、見事、壬生狂言風に仕立てあげられている。その中心は、「かいぐり」「つばめ」「つかみ」と呼ばれる白拍子の踊りである。
 かいぐりは鎌を使って稲穂を刈る「収穫」、つばめは燕が低く飛び交う「田植え」、「つかみ」は種をつかんで蒔く「種蒔き」、という農耕の光景が表現されている。
 『道成寺』では白拍子が踊りに合わせて衣装を変えていき、囃子も相まって、蛇へと変化するさまを見せている。
 また、僧は面白おかしく演じられ、白拍子と共に踊る。僧を道化師のごとく見せることによって、白拍子の演技を引き立てる壬生狂言独特の手法がとられている。

−七− 桶取り 人物:照子、大尽、本妻、

   あらすじ、

 壬生寺の近くに住む照子という娘は、生まれながら左手の指が三本しかなく、そこで、来世は障碍のない人間に生まれるようにと壬生寺の本尊地蔵菩薩に祈願し、毎日閼伽(あか)水を桶に汲んで参詣していた。
 そこへ和気俊清という金持ちの大尽がきて、照子を見初めて口説く。照子は素気なく振り切っていたが、大尽があれこれと尽くすので、ついに照子も折れて大尽に踊りを教えることになる。二人が睦まじく踊っていると、臨月の大尽の本妻が、これを知って、両人を責める。夫婦は大喧嘩をするが、この間に大尽は照子を逃がす。大尽は迷うが、妻を捨てて照子を追う。残された妻は自分の容姿を嘆き、せめて化粧をしてみたらと、いろいろ試みるが望みを失い、悲しみの末に狂乱してしまう。

   仕草(桶取の宗教性)

この後日談として、大尽の妻は嫉妬のあまり狂死する。両人は行を悔い、壬生狂言の始祖円覚上人の導きにより、妻の霊を慰めるため出家したという。しかし、狂言では何故かこの後日談は演じられない。余韻を引くことによって演出効果を高めている。
 照子が桶で水を汲む時は、延命地蔵菩薩の種子(しゅじ)(仏を象徴する文字)に因んで、「以」の字を書くように汲むのである。この作法は目立たないが、演者がこれを内に秘めて演ずると、「桶取」の宗教性が滲みでるように表現される。さように、この演目は壬生狂言を代表する、最も重要な曲目として位置づけられている。

−八− 棒振 人物:棒振り、大念佛講全員、

   あらすじ、

 大念佛講全員が、素面で舞台に整列する。次に棒振りが舞台に進み出て、四方を踏んで地を固める作法をする。棒振りは五色の房をつけた、だんだら模様の棒を両手、あるいは片手で上下左右に振りまわす。
 講中は「大念佛」と書かれた扇子でこれをあおぎ、「チョウ、ハア、サッサイ」とはやす。棒振りが早くなると、囃子もそれにつれて早くなり、「鬼門切り」、「櫓まわし」、「胴まわし」、「肩はずし」、などの型を行い、退場する。

   仕草(棒振りの決め技)

 春秋の狂言公演の最終日、最後の演目がこの狂言である。この棒振で恒例の狂言は終止符を打つことになる。この棒振によって厄が払われると伝えられている。棒振りは大変な技術、わずかな手のブレでも棒を取り落としてしまうため、後方に並んだ講中もその演技に集中し、棒振りと一体となって囃すのである。最後に棒を水平に構え、前後に飛び越える技は一番の難技である。見る者に息を飲ませるこの技が決まると、胸がすく思いがする。

   囃子(送りがね)

 壬生狂言はもともと仮面劇であるが、この「棒振」だけは仮面をつけず、白覆面をするだけである。囃子もかねだけで太鼓と笛は入らない。かねだけというのも風雅なものである。

 

   おわりに

 壬生狂言は台詞のない仮面劇であるからこそ余計に想像力をかきたてられるのである。娑婆世界の人間が抱く喜怒哀楽、人の心に潜む諸々の情念の起伏が巧みな身振り手振りで見事に表現されている。この狂言はいわゆる宗教劇であるといって、決して押しつけがましい説教性を感じないのは、その演出に気負いのないしたしみやすさがあるからなのであろうか。むしろ娯楽として、俗世に流れるドロドロとした人間の煩悩や情念、あるいは人間味を、簡明快活に、かつまた喜劇性豊かに表現されることによって、観る側の心の中に、佛の存在をおのずから作りあげる働きを生ずるからではないだろうか。

 観客は喜劇的なシ−ンを見て、大いに笑う。その笑いの余韻のなかで、諭され救われなければどうにもならない業の哀しさや越えられない生命と精神の限界と無常に気付かされるのである。笑いつつも己にそのことを問うている。やはり人間は、いつの世にも人なのであり、その時その時の現実社会に生きて救いを求める存在であることを、「演じられる仮面」の表情から教えられる。

 言葉のない仮面劇は、まさにヴィジュアルな感覚を通じて人の心を掴んでしまう。言い換えれば、演じる側の創造と観る側の創造とが美術の世界とも同じく、何処かで感応しあい、結ばれるのである。

 壬生狂言は、直感と推理を楽しませ遊ばせる。そして、観劇の回を重ねるたびに推理も深まり不思議とも思えた身振り手振りも解けてゆくという楽しみもある。

 仮面劇は、世界各地にある。そして、その多くは宗教劇であるという。例えば仏教圏では、チベットなどでも行われているが、壬生狂言ほど一つの仮面が多種多様な表情を見せるものは他に例が少ない。これは能などと同じく日本のナイ−ヴな感性や精神文化の結実とも思われる。仮面の表情の豊かさは、優れた演技、衣装や小道具、囃し方の機を逃さない音の効果、舞台空間の使い方などが相乗効果をもって生れて来ると思われるが、演じられてゆく仮面の表情を追っていると、それはなま身の人間以上に人の内面を雄弁に物語っているのではないかと驚ろかされることが多い。