2003.4.14
 

 平成15年健康指標プロジェクト講演会要旨

第40回例会記念講演会
(5月17日(土) 13:00〜19:30、京都パークホテル)
生命ドラマのシナリオとアドリブ

本庶 佑
(京都大学大学院医学研究科)
 


 最近ヒトの全ゲノム塩基配列が決定された。この結果、ヒトのゲノムに存在する遺伝子の数は、わずか3万個程度ではないかと推測された。免疫系は限られた遺伝情報を使って高次の生体防御の機能をおこなわせるために、遺伝情報の改変という方策を用いている。最近発見されたAIDは、その構造や生化学反応からRNA編集酵素と考えられているが、この遺伝子を破壊したネズミにおいては、免疫系の遺伝子変換機構であるクラススイッチ組み換えと体細胞突然変異の両方が同時に欠失した。またヒトのクラススイッチと体細胞突然変異が起こらない免疫不全症(高IgM症候群II型)でもAID遺伝子に異常が発見された。この事実は、免疫系におけるゲノム情報を改変する仕組みが遺伝子の直接改変と、RNAの改変とを組み合わせた複雑なものであるということを示した点と、これまでクラススイッチ組み換えと体細胞突然変異という全く違う現象として考えられていたものが、実は少なくとも部分的には共通の仕組みを持っているということが明らかになった点で意義深い。この結果からゲノム情報は、生命像を厳密に規定する設計図というよりは、アドリブを加味してダイナミックな生命活動を描く芝居のシナリオと考えるべきであろう。

 2001年の始めにヒトの全ゲノムのDNA塩基配列の概要が発表された。この結果、驚くべき事にヒトのゲノムに存在する遺伝子の数は、これまでの十万程度という予想よりはるかに少なく、わずか三万程度ではないかと推測された。三万という数は、大腸菌の四千、酵母の六千と比べると随分多いが、果物に付くショウジョウバエの一万三千の二倍強である。ショウジョウバエに比べてはるかに高度の神経系を備え、高い知能レベルを持つヒトが、ハエの高々数倍の遺伝子でどの様にして高次神経機能を維持できるのか、不思議に思われた。また、免疫系を見ても、ハエには様々なバクテリアに対して共通に反応する特異性の低い生体防御機構「自然免疫」が存在するが、ヒトの様に個別の抗原を識別して、特異的抗体を作り出すような「獲得免疫機構」は存在しない。これらの神経系や免疫系などの高次生体統御機構を円滑に動かす遺伝子群の数を考えると、果たして三万個の遺伝情報でヒトのすべての機能がまかなえるのか、多くの研究者にとっては驚きであった。

 しかし、遺伝子の数が少ないならば、実際に働く情報を多様化して高度の機能を行わせる、なんらかの方策を生命体が活用していると考えるのが自然である。遺伝情報はDNAからRNAに転写され、最終的に生命の機能を担うタンパク質へと翻訳される。したがって、DNAの情報に基づいて複雑な生命活動を営むためには、いかにして多くの種類のタンパク質を作るかということに集約されるのである。このことから、三つの段階での遺伝情報の多様化が考えられる。第一はDNAの持つ情報そのものを改変することによる多様化である。これは体の一個一個の細胞の中で、遺伝情報を違う形に再編をすることによって、体中に様々な種類の細胞を生み出し、その結果個体全体として多様な情報が生み出される。このシステムは免疫系リンパ球で実際につかわれている。第二の方策は遺伝子の転写産物であるRNAの情報を改変することである。これはRNA編集(editing)と呼ばれ、近年高等生物における役割が注目されている重要な遺伝情報改変システムである。これまでに脂質輸送タンパク質や中枢神経における神経伝達物質受容体等のメッセンジャーRNA前駆体のRNA編集が知られている。第三の方策はいうまでもなくタンパク質自身に修飾を加えて、その機能の多様化をはかることであり、ホルモンによる細胞の活性化の際に起こる細胞内信号伝達におけるリン酸化と脱リン酸化、また遺伝子発現を制御するクロマチンの構造制御におけるアセチル化と脱アセチル化は極めて重要である。

 ヒトの免疫系は三通りのDNA遺伝情報の改変を行うことで、その多様な機能を見事に遂行している。免疫系の主要な機能は、外来抗原の認識と認識した抗原の処理である。なるべく多くの外来抗原を認識できるように免疫系はリンパ球の分化の過程で、DNA断片の組み換え反応を使って抗原認識部位(V領域)の遺伝子を多様化させている。これはゲノムの中にV領域遺伝子が2ないし3の部分に別れて存在し、それぞれの部分に多くの種類がある中から1個ずつを遺伝子組み換えによってつなぎ合わせるVDJ組み換えと呼ばれる仕組みである。更に、Bリンパ球が抗原刺激を受けた後、抗体の抗原に対する結合性を一層高めるために、完成されたV領域遺伝子に高頻度の体細胞突然変異を導入するという方策も活用している。一方抗原処理能力の多様化を図るために、Bリンパ球が抗原刺激を受けた時、クラススイッチ組み換えという遺伝子の組み換え反応を引き起こす。抗体のクラスには、IgM、IgG、IgA、IgD、およびIgEの5種類が知られている。異なるクラスの抗体は捕らえた抗原をどの様に排除するかという処理方法が異なる。抗原侵入に反応して最初に作られるのはIgMであり、やがて同じ抗原を認識する他のクラスの抗体が作られる現象をクラススイッチという。クラススイッチを起こすためには抗体クラスの構造を定めるC領域遺伝子を入れ替える遺伝子組み換え反応が引き起こされる。これはC領域遺伝子近傍にそれぞれ存在するS領域と呼ばれる広い領域の二種類が選ばれ切断とつなぎ換えが起こり、中間のDNAを環状に欠失する形で反応が進む。このクラススイッチ組み換え反応の概要は、1978年に我々がモデルを提唱し、その後1982年までにほぼその実証が完了した。しかしながら、クラススイッチ組み換え反応を行う酵素やその分子機構については、全くと言っていいほど研究が進んでいなかった。

 1999年、私たちはクラススイッチ組み換えを起こすBリンパ球からActivation Induced Cytidine Deaminase (AID) 遺伝子を単離した。AIDは、クラススイッチを引き起こすべく活性化されたBリンパ球のみで発現され、他のTリンパ球や、また非リンパ組織では、その発現が一切認められなかった。このことから、我々はAIDがクラススイッチに何らかの役割をしている可能性を考え、AID遺伝子を破壊したネズミを作成した。その結果、驚くべき事に、AID欠失ネズミではクラススイッチが全く起こらず、抗原刺激を加えてもIgMだけは作られるが、IgG、IgA、IgEなどの他のクラスは全く産生されなかった。IgMは逆に正常のネズミより数倍高い血中濃度を示した。予想しなかったことであるが、AID欠失ネズミでは体細胞突然変異も全く起こらないことが明らかになった。先に述べたように、正常ネズミではある抗原で繰り返し免疫をすると、その抗原に対する抗体遺伝子に高頻度に体細胞突然変異が導入され、その抗原に対して強く反応する抗体を作り出す細胞が選択的に増殖してくる結果、高親和性抗体が作られる。しかしAID欠失ネズミではこの体細胞突然変異が起こらなかった。このような異常はリンパ球の活性化障害で起こるが、AID欠失マウスではBリンパ球は抗原に反応してIgMを大量に産生しており、リンパ組織では、巨大な胚中心 (germinal center) と呼ばれる活性化されたリンパ球の集まりが観察される。

 同じ頃、フランスの研究者 (A. FischerとA. Durandy) が、ヒトにおける遺伝性の免疫不全症(高IgM症候群II型)の研究を進めていた。彼らは、クラススイッチが起こらず、血中にIgMが高くなってくる患者を多数集め、この遺伝病がどの様な遺伝子の異常によって起こるのかを研究していた。このグループのリーダーであるA. Fischer博士とは、旧知の間柄であり、以前から自分たちの研究に役立ちそうなクラススイッチに関わる遺伝子が見つかったら、共同研究をしたいので教えてほしいという知らせを受けていた。そこで我々はネズミのAID遺伝子を用いてヒトのAID遺伝子を取り出し、その染色体上の位置を決めると、高IgM症候群II型の遺伝子座と同じく12番染色体の末端近傍にあった。ヒトAID遺伝子の構造を決定して、Fischer教授にこの遺伝病患者におけるヒトAID遺伝子の異常検索を依頼した。結果は見事に予想が的中し、ヒトにおいても、クラススイッチと体細胞突然変異の両方が欠失した(高IgM症候群II型)患者全員がAID遺伝子の中に塩基配列異常を持っていることが明らかになった。このことからAIDはクラススイッチと共に体細胞突然変異に不可欠な遺伝子であることが判明した。

 さて、AIDはどの様な仕組みでクラススイッチと体細胞突然変異を同時に制御しているのであろうか。AIDの構造をよく見ると、これはAPOBEC-1と呼ばれる肝臓と小腸において脂質の運搬役をするタンパク質をコードするApoB メッセンジャーRNAのRNA編集を行う酵素と、極めて高い相同性が見られた。また、AIDとAPOBEC-1の遺伝子は、ヒトの染色体12番末端のごく近傍に存在し、両者が進化的に近い関係であることを物語っている。その上AIDは、APOBEC-1と同じくシチジンデアミナーゼ活性を持っている。このようなことから、AIDはRNA編集酵素であることが強く示唆される。

 AIDがクラススイッチと体細胞突然変異を同時に制御することから、現在我々は次の様なモデルが適切ではないかと考えている。まずAIDは、そのシチジンデアミナーゼ活性により、未知のメッセンジャーRNA前駆体中のCをUに変換すると予想している。この結果、新しい情報を持つメッセンジャーRNAが作られ、この情報に基づいてDNAを切断する新規の酵素が産生されると仮定する。このDNA切断酵素は、クラススイッチ組み換えのターゲットであるS領域と体細胞突然変異のターゲットであるV領域遺伝子とに共通に存在するDNAの二次構造を認識して切断を入れるものと思われる。もしこの仮説が正しいとすると、免疫系は遺伝子の再構成とRNA編集という二種類の遺伝情報改変システムを重層的に活用して、途方もなく多様な情報量の増幅をしていることになる。

 さて、このように遺伝情報を自由勝手に書き換えて問題が生じないのであろうか。実は、免疫系はそのために大きな代償を支払っている。抗原認識の多様化に伴って中には自己に反応するリンパ球も生じることが避けられない。従って免疫反応系に適切な抑制システムがないと重大な病気を引き起こす。免疫系にとって非常に重要なことは、アクセル役と共にブレーキ役が存在することである。この両者のバランスによって初めて免疫系は適度の反応をし、適切な所で免疫反応が終息し、過剰な反応や自己に対する反応(自己免疫疾患)を防ぐことができる。私達が1992年に単離したPD-1分子は、このリンパ球のブレーキ役として極めて重要な分子であることが近年明らかになった。すなわち、この遺伝子を破壊したネズミを作成すると、様々な自己免疫疾患が生ずるのである。すなわち、ブレーキがはずれて暴走した免疫系が侵入者でなく、自らの組織自身を攻撃するようになる。しかも興味あることにその攻撃対象は、ネズミの遺伝的背景によって異なる。黒ネズミ(C57BL)では、腎炎と関節炎が引き起こされる。一方白ネズミ(BALB/C)では、拡張型心筋症が引き起これる。拡張型心筋症はヒトにおいては、免疫系の関与が疑われながら、確証が得られていない。この疾患は予後が極めて不良で、心臓移植などの外科的治療以外に治療法はないとされている。もしその一部でも免疫系の異常によるものであるならば、新しい治療法の展望が開かれるという点で重要な知見である。ヒトにおいてもPD-1というブレーキ役の異常によって個人個人の体質により様々な臓器に自己免疫疾患が生じると予想される。

 以上のような免疫系の研究から、我々の持っている遺伝情報は予想をはるかに超えてダイナミックに動いているということが明らかになった。ゲノムは生命の設計図にたとえられてきたが、実はそれほど堅固なものではなく、むしろ芝居のシナリオのように、セリフは限られていても登場する役者の適切なアドリブを加えることによって、生き生きとした生命のドラマが生まれるように仕組まれていることを示している。

 

 
 

 

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