叢書「いのちの科学を語る」

中井吉英 著

「いのちの医療−心療内科医が伝えたいこと」の案内

東方出版 ¥1,500+税 2007年12月5日発行 ISBN978-4-86249-089-6

生かされて生きるいのち

山岸秀夫:財団法人体質研究会主任研究員、京都大学名誉教授(分子遺伝学、免疫学)

 本書は「いのちの科学を語るシリーズ」第5集の節目であるが、内容的には円環的に第1集「子供の心と自然」(山中康裕 著)1)にバトンタッチされる無限のサイクルの一里塚である。「いのちの科学」は「生老病死」の物語でもある。ここでのキーワードは、環境、身体、心である。第1集、2集2)では、生を受けた子供と老いと闘う高齢者の「いのち」の危機を取り上げた。第3集3)では、大自然での「いのち」の共存の一例として、虫と草木を取り上げた。昆虫は全生物種の半数を占め、草木は全生物のエネルギー源である。第4集(近刊)では、現存する直近の隣人としての野生チンパンジー社会を取り上げ、「ヒトにとっての環境」について再考を促すことにした。本書第5集では、進歩思想にとりつかれたヒトに再び戻り、医療崩壊の現実の中での、身心一如の全人的医療の再構築が提言されている。すなわちヒトの「いのち」(Spirit)を支える車の両輪として、身体と心を捉えている。

 この視点とは対照的に、デカルトの「心身二元論」に発した西洋近代医学は、心と身体を分離した結果として、身体の医学が目覚しく発展し、医療も、臓器別、機能別、診療技術別と専門に分科しているのが実情である。この状況を、著者は「四角い箱の中に丸いボールを詰め込んだ隙間だらけの医療」と表現している。生死の境界から何度も回帰した著者自身の体験も踏まえて、その隙間にボールをつなぐ人間的ファクター(こころ)の糸が織り込まれていることを示している。著者とのインタビュー中でも、「診療内科は車の両輪として身体と心を診ているのであって、専門分科としての神経科、精神科と混同しないように」と再三注意されたので、出来あがった本書の随所に心身相関の医学としての診療内科医の目が光っている。

 身体部品としての臓器に検査異常が無いのに、機能障害が生ずるのは、「いのち」は身体部品の単なる集合では無いからで、その隙間を埋める「いのちの医療」の実態が生々しく本書で語られている。もともと本シリーズは、ドイツの諸都市の中央広場で見聞した、一般市民に取り囲まれて自説を熱弁している光景がヒントになって始めたものである。自説を発信する著者、市民代表としてのインタビュアー、その光景を目撃した旅人としてのライター(文章師)の3者の合作である。第5集にきて旅人としてのライターも患者として物語に登場することになり、中央市民広場の熱気を企画通り再現できたことにインタビュアーとして満足感を覚えている。

 本書の発行直前に開催された、第8回いのちの科学フォーラム「いのちを考えよう−医療・宗教・スピリチュアリティ」で、著者は代表世話人として、アインシュタインの「科学無くしては宗教は無力である。宗教無くして科学は盲目である。」を引用して結語とした。本書も、その「いのち」は「生かされているもの」(スピリチュアリティ)であるとの普遍的な生命感で締めくくられている。

平成19年12月11日

文 献

1) 山中康裕:子どもの心と自然、東方出版(2006)

2) 熊沢孝朗:痛みを知る、東方出版(2007)

3) 高林純示:虫と草木のネットワーク、東方出版(2007)

叢書「いのちの科学を語る」に戻る