第19回『いのち科学』例会 レジメ  

「生態学における共生について」

清水 勇

京都大学名誉教授(環境生態学)

 「いのちの科学」第2期のメインテーマは「共に生きる(共生)?生きがいと癒し」ということである。共生は本来、生態学の用語であったが、今日では多様な意味概念をあわせ持って、政治、経済、文化を含めた様々な分野で使われている。例えば、「20世紀は競争の世紀で21世紀は共生の世紀である」とか「自然と人間の共生」とか言われる。また、最近になって進化生物学者のP.Wardは「未来の人類は機械と共生することにより進化する」という大胆な主張をしている(日経サイエンス 2009/4月号)。よく使われるこの言葉は確かに心地よく響くが、その意味するところが分からない場合も多い。このような背景もあって、生態学における共生概念とは何かについて、考えてみるのも意義のある事ではないかと思える。

 生態学は一言でいうと「関係の科学」であり、生物と環境、生物と生物との関係を研究する学問である。いたる所で生物は、他の生物と複雑な利害得失の関係を持って生活している。このようなすべての関わり合いを表すのに、ドイツの植物生態学者のアントン・ド・ベイリー(1879)は初めて「共生(symbiosis)」という言葉を使ったと言われている(広義の定義)。一方で、狭義には「異種の生物が密接な関係をもって一緒に生活することにより、生存・繁殖上の利益を得る関係を指す」と定義されている(日本生態学会編「生態学事典 」2003)。一般でいう共生は、だいたいこの「共存共栄」を意味することが多い。

 種間の相互作用を通じて得られる利得のパターンによって、生物の関係を大雑把に分類すると、双利(相利)共生(++)?片利(偏利)共生(+0)?中立作用(00)?競争(+−)?寄生(+−)?補食(+−)という事になる。双利共生は、ともに相手の存在により利益が上がり、適応度が増える状態である。すぐ頭に浮かぶのはアリとアリマキの関係である。アリはアリマキの用心棒として働き、その報酬として甘露をもらい受ける。身近で観られる、昆虫による植物の花粉の伝搬、すなわち送粉現象も典型的な双利共生である。次の片利共生は、カクレオウとナマコの関係のように、一方にのみ利益があって他方はなんら利益も損もない状態をいう。さらに次の中立作用は、あまり聞き慣れない言葉であろうが、両者ともになんら影響がない場合をいう。3番目の競争は相手と資源やニッチを奪い合う事であり、種間だけでなく種内でも起こる関係である。競争原理こそがダーウニズムと資本主義の神髄であると言われている。寄生はいうまでもなく、相手の身体に入り込んで、一方的にその資源を簒奪し弱らせる状態である。寄生された宿主は死亡率を高め繁殖率を低下さるので、多大な犠牲を払う。ほとんどの生物は大抵、やっかいな寄生者を持っていて、その進化の歴史は、これとの闘争の明け暮れだったといっていい。

 最後の食う(捕食)?食われる(被捕食)の関係は生態学の従来のメインテーマで、これが植物連鎖や食物網といった生態系の基本構造を形成する。食われる者は個体も遺伝子もその瞬間に消滅してしまう訳だから、一般的な意味での共生とは、まったく相反する現象であるが、種の個体群全体からみると、一部の個体が捕食されることで、全滅をまぬがれているとも考えらえる。例えば、捕食者のキツネがウサギを餌として適当に間引いているので、ウサギはその場の資源に応じた個体数を、いつまでも維持できていると考えてみると、これも共生の一形態といえる。捕食者がいなくなると、ウサギの人口は幾何級数的に増加し、資源の草が再生する間もなく食べ尽くし、過剰密度による疫病の蔓延によって全滅してしまう可能性が高い。いわば「食われる」ことによって「生かさせている」のである。敷衍していうと、地球上の生物はお互いに直接、間接に結びついており、その個体数は動的平衡を保ちながら生存しているが、得になる作用だけでなく、損になる作用を含めた効果のおかげで、「それがそこにいる」ということになる。これがいわば「地球共生系の思想」である。

 このような生物の関係は固定したものではなく、環境や主体の状態によって変化し、正から負へ、負から正に逆転する場合がある。例えばアリとツノゼミのエピソードがある。植物につく吸汁昆虫のツノゼミの幼虫は栄養価の高い甘露を出して、アリをおびき寄せ、クモなどの外敵に対するボディーガードにしている。しかし、植物の質が悪くなって甘露の味が低下すると、ツノゼミはたちまちアリに捕食されるようになる。双利共生から捕食?被食関係への転換である。前に、アリとアブラムシは双利共生の代表例としてあげた。おそらく遠い昔、アリは捕食者として彼等を餌にしていたが、そのうち餌にしないで家畜としてアブラムシの出す甘露を利用するアリが、進化的な意味で出現したに違いない。食うよりも生かす方が、そのアリの繁殖率が結果としてよかったということである。寄生についても、最初は収奪者、殺戮者であったろうものが、いつの間にか細胞内共生して双利共生者に進化したと思える例がある。政治の世界だけでなく、「昨日の味方は今日の敵」あるいはその逆といったことが、自然界では頻繁におこっている。今回は、このような共生を含めた関係のダイナミズムについて、オルガネラの細胞内共生説や筆者が実験材料としてきたミツバチの観察例も入れて話題提供する。

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