第15回『いのち科学』例会 レジメ  

病気の治療と人種差

            

 生物が進化を遂げた過程の中で形成された各生態系の不均一性は人種間にも見られる。病気の形にも人種差は明らかで、高血圧の発生頻度は白人に比して黒人で約40%高い。β遮断薬に対する反応も黒人では悪い。わが国では、器質的冠動脈疾患は欧米に比して少ないが、冠動脈の攣縮によって発生する異型狭心症の頻度は明らかに多い。異型狭心症による死亡原因は、日本人では冠攣縮が解除された時の再灌流不整脈による突然死が主であるのに対して、欧米の白人では致死的心筋梗塞に移行してポンプ機能不全が死因となることが多いと考えられる。日本人で冠攣縮の頻度が高い理由として種々の原因が挙げられているが、未だ決定的な結論は無い。

 治療のガイドラインは、医療の標準化、医療者に対する治療指針、医療を受ける者に対する情報、あるいは医療行為の責任の明示という点からも重要な意味を持つ。しかし、日本では今、多くのガイドラインが欧米で行なわれた大規模臨床試験の結果を基にして作成されているのが現状である。最近、わが国でも、虚血性心疾患を対象としたJ-LIT、J-MIC、JAMIS、心不全を対象にしたARCH、MUCHA、EPOCHなど大規模な臨床試験が少しずつではあるが行われ始めた。これらの成績を見るにつけても、わが国の循環器疾患の病態は前述の如く欧米のそれとはかなり異なることに気づく。現在、欧米では循環器疾患治療の究極のエンドポイントはすべて生命の延長に置かれている。確かに、最近開発された多くの治療法は外国の大規模試験で延命に大きな貢献をしたことが示されている。しかし、延命が全ての人に幸せをもたらすとは限らない。わが国の平均寿命は男女とも世界一となり長寿国としての面目を保っているが、同じ年に生まれた新生児の健康寿命は平均寿命より5−7年短く、人は皆晩年を病苦の中で生活していることになる。知識や技術を至上価値としてきた近代医学には、真に人間として生きるとはどういうことか、という問いが欠落していると言われる所以はそこにある。

 すべての人間は生への執着が大きい。従って全ての治療において生命の延長が最終的な目標とされるのは当然といってよい。心不全治療で生活の質、特に運動耐容能を明らかに改善することが確認されながら、死亡率を増加させる可能性があるという懸念から認可に到っていない薬物が多くある。これに対して、癌では回復の希望がほとんど無い場合でも、緩和治療が有効に行なわれている。同様に、通常の方法では最早治療出来ない心不全患者では、たとえ死亡のリスクを増加させることがあっても、症状を改善させる治療であれば許されてもよいと思われる。日本人の心不全患者の死亡率は欧米の患者より明らかに低く、その治療の目的は欧米のように必ずしも死亡率の減少だけではない。むしろ、生活の質の改善が求められることが多く、この場合には欧米では拒絶された薬物も有効に作用する場合がある。同じ疾患であってもそれぞれの人種で固有の病態があり、わが国においても、日本人独自のデータを求め、それに基づいて、日本人に特有の治療法を確立する必要がある。                                (篠山重威)

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