2006年6月17日

新種の発見とはどういうことか

食卓に上った新種の魚

京都大学総合博物館

中坊徹次

イブリカマスを例にして新種誕生のプロセスと分類学(生物多様性の認識と表現)を語る。

1998年5月20日、高知県土佐清水市以布利漁港において、地元の漁師さんが「アラガマス」と呼んでいるカマスの1種の中に、形態的に若干の相違がある2群が含まれている可能性を中坊が見出した。これらの2群の相違がどのような意味をもっているのか検討した。1.個体変異、2.雌雄、3.幼魚成魚の相違、4.別種、を検討した。

カマス科のなかで、「アラガマス」に近縁であると考えられる種=アカカマスを含めて、多くの個体に基づいて形態的特徴を比較検討した結果、「アラガマスの2群」は互いに別種(生殖的隔離の存在)の可能性が大きいことが判明。

アラガマス2群が互いに別種であるならば、それぞれの学名と和名を検討しなければならない。アラガマスのひとつは、すでにタイワンカマスと呼ばれているものに相当する。もうひとつのアラガマスは和名がなかったので、「イブリカマス」と命名した(以布利黒潮の魚、中坊他2001)。

学名の問題に関しては、簡単には片付かない。複数の近縁種の学名を再検討すれば、普通種であっても、その種に対して適用されている学名を変更しなければならいことがある。2001年の時点では、アカカマスSphyraena pinguis、タイワンカマスSphyraena flavicauda、イブリカマスSphyraena sp.であった。しかし、過去のこれらに関連した種の学名をすべて検討すれば、和名と学名の対応関係は変わってくる可能性があるのである。アカカマスやタイワンカマスの学名が、上に記したものとは限らないし、イブリカマスが学名のない新種であるかどうかも、わからないのである。

ひとつの種の学名はひとつとは限らないのである。ひとつの種が複数の学名をもつことがあり、これらをシノニム(同物異名)という。しかし、ひとつの種はひとつの学名で表記されなければならず、それは国際動物命名規約で規定されている。リンネの「自然の体系第10版(1758)」以来の学名で、同一種と考えられるシノニムは、最も古いものが、その種の学名に適用される(先取権の原則)。

アカカマス、タイワンカマス、イブリカマスはいずれも互いに似ており、カマス科のなかでは形態的にまとまりを持っている。18世紀、19世紀の新種記載文(原記載)は簡単である。古いこれらの記載文だけでは、正確な種の同定は難しい。新種記載のときに用いられた標本はタイプと呼ばれるが、これとの比較をしなければ正確な同定が出来ないことが多いのである。ところが、日本沿岸で普通に見られる種の多くは20世紀前半に同定されており、タイプとの比較がなされていなかった。アカカマスとタイワンカマスの学名は、このような状況で適用されていたのである。

リンネ(1958)以来、発表されたアカカマス関連の種と考えられる学名を記載文とタイプを調べ、形態的データをとり、アカカマス、タイワンカマス、イブリカマスの多くの標本と比較検討した。その結果、アカカマスはSphyraena pinguis、タイワンカマスはSphyraena obutusataが妥当であることが判明した。

イブリカマスに相当する学名は見当たらず、新種Sphyraena iburiensisとして記載された。

土佐清水市のスーパーでは、イブリカマスがパックにされて売られている。新種の魚が普通に見られて食卓に上っているのである。

背景その1:1997年の秋、高知県土佐清水市以布利漁港の敷地内に大阪海遊館がジンベエザメの備蓄と付近の海産魚類の備蓄を目的として海洋生物研究所以布利センターを設置した。同時に京都大学、高知大学、大阪海遊館が以布利付近の魚類相について共同研究を開始した。月に1度、以布利漁港に行き、以布利センターに滞在し、定置網の漁船に乗る、毎朝の定置網漁獲物の漁港での調査採集、潜水観察によって、付近に生息する魚類を明らかにしていった。共同研究による調査は3年間続き2000年の秋に終了し、およそ500種の魚類が採集され、写真におさめられ、学術標本として京都大学と高知大学に保管された。そして、研究成果は魚類図鑑「以布利黒潮の魚」(2001年大阪海遊館発行)として刊行された。一般に販売されて、現在も購入可能(6,000円)である。

背景その2:日本列島沿岸の魚は1913年にジョルダン・田中・スナイダー著「Catalog of the fishes of Japan」で約1200種が明らかにされて以来、2002年の中坊編「Fishes of Japan with pictorial keys to the species, English edition」で約3800種に至っている。これは、底引き網操業、スキューバダイビング、深海の調査等の発展によって、新しい魚が次々に見つかったことによる種数の増加である。しかし、沿岸の普通種の学名は1913年の「Catalog of the fishes of Japan」の時のままであり、再検討の必要がある。

水産学への寄与:普通種は漁業対象種であることが多く、これらの分類学的再検討は、水産資源の管理単位を明確にすることになる。

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