第49回「いのちの科学」例会 (終了)

(原則として非公開:連絡を頂ければオブザーバで参加できます)

    日 時:2013年10月26日(土)14:00〜

    場 所:パストゥールビル5階 会議室((公財)体質研究会)

     14:00〜15:00  委員会
     15:00〜17過ぎ  話題提供

話題提供者: 山極寿一 京都大学教授

暴力はどこから来たかー人間性の起源を探る

要旨: 現代は大小の暴力が満ち溢れる時代である。世界各地で民族紛争が起こり、無差別のテロ攻撃によって多くの人々が命を落としている。職場や学校ではパワハラやセクハラが頻発し、家庭内でもドメスティック・バイオレンスによって人々は傷ついている。では、人間はこれまでずっと暴力をふるってきたのだろうか。人間の社会というものを、動物の時代に遡って考え始めたのは19世紀の半ばである。面白いことに、20世紀の前半まで野生の動物たちは暴力によって支配される社会に暮らしていると考えられていた。19世の中ごろにアフリカで発見されたゴリラは、好戦的で残忍な性格をもつと見なされ、1932年にハリウッドで公開された映画「キングコング」のモデルになった。やがて、こういった動物の攻撃本能を人類の祖先も受け継ぎ、武器の発明によってそれを拡大したという考えが登場した。二次世界大戦直後に登場したこの狩猟仮説は、またたくうちに世界の人々の心をとらえた。おそらく大規模な戦争によっておびただしい人々の死を目の当たりにした人々は、この過剰な攻撃性の由来と行く末に人間社会の正の側面を見出したかったのだろうと思う。しかし、その後の人類化石の発見は狩猟仮説が誤りであったことを明らかにした。さらに、第二次大戦直後に敗戦国の日本で始められた霊長類の野外研究は、人間以外の霊長類がどのような社会をもっているかを明らかにして狩猟仮説の間違いを正した。では、いったいいつ人間に固有な暴力が現れたのか。私は、それまで過酷な環境に生き延びるために鍛えられてきた人間の社会性が、自ら環境を変え、集合性や移動様式を急速に変化させていくなかで、その機能が発揮される対象や方向性を見失って暴発した結果ではないかと考えている。人間と類人猿の社会の最も大きな違いは、人間が地域社会の下位単位として家族をもつ点である。人類の祖先が安全で豊かな食物のある熱帯雨林から出て、大型の肉食獣が徘徊する草原で暮らし始めてから発達した社会性である。分散した食物を探すために、そして安全な寝場所を確保するために、祖先たちは家族とそれが複数集まった集団を必要としたからである。この人間独自な社会性によって育てられたのが、仲間に共感する心と、集団への強固なアイデンティティである。その能力が暴力に結びつくようになったのは、農業や牧畜が登場して定住するようになってからのことであろう。土地に価値ができ、その占有権をめぐって集団間に争いが生じ、暮らしをある範囲に限定する境界が引かれるようになった。土地を守るために死者が利用され、祖先崇拝によって祖先を共有する人々が家族のようなアイデンティティで結ばれるようになった。そして、歌と言葉の発明がそのアイデンティティを高め、ときとして集団間の軋轢を激化させる役割を果たすようになった。現代の暴力は、人々の急激な移動とインターネットなどによるコミュニケーション革命によって、集団間の境界が消失し、人々が堅持していたアイデンティティが崩壊していくなかで起こっていると私は思う。かつてアイデンティティ発揚の場であった戦いが、自らのアイデンティティを確かめるために利用される。親族のきずなを感じられなくなった人々が、独りよがりの幻想によって親しい仲間を蹂躙する。過酷な環境を生き抜いてきた人間の社会的な能力が、環境を作り変えた今、自らを傷つけようとしているのだと私は思う。

出席者:小西、中井、栗原、今西、奈倉、ルスターホルツ、山岸、内海

客 員:本庄、大東、小川、小林

「環境と健康」に掲載予定

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