「いのちの科学」

第2期 共に生きる

鳥塚莞爾(2013.7.13.ご逝去)

前(公財)体質研究会理事長、京都大学名誉教授

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 私たちは2004年から「いのちの科学プロジェクト」を始めるに当たって、その前の2003年8月に「21世紀の生命科学と社会??近江舞子放談会」を行い、異分野の専門家の話を種に自由な放談を行い、それを記録にとどめました。それをこころの糧としながら5年間プロジェクトを進めてきましたが、次の5年計画を立案するのにもう一度前のような気持ちで放談会(共に生きるーー修学院放談会)をやってみてはということになったのです。その意図はと聞かれて私は次のようなことを書いて関係者にお配りしました。これがこれから纏めていく上での何かのよすがになればと考えたのです。

スローガン的にあげるとすれば:

 *何よりも気分一新:マンネリを避ける

 *文理融合からさらに分野拡大

 *男性社会からの脱皮

 *学問と社会との架け橋の強化:分かり易さと価値観の共有

 *若返り:知らぬ間に老化が進んでいる

 医学の理想は侍医の医学から、不特定多数を相手にする病院の医学へと進みました。そこでは突然目の前に現れた患者さん、それは不特定多数の中の偶然の一人です。そこで医学の側はこれに対応するために病気(何々病)という定義を準備し、そのどれかにその患者さんを当てはめることで対応してきました。ここで病気をみて患者を見ない医学が始まったのです。そこで再び主治医の重要性が見直されるようになってきました。でもその主治医とは、どんな病気でも応急の処置ができる者ではなく、個人としての患者、社会における患者をよく理解している人でなければなりません。

科学も同様に、複雑な現実を簡易化し、抽象化することによって要素還元ができ、今の進歩をもたらしました。しかし、その過程で切り捨てられた現実が謀反を起こし、環境問題から人々の生き方にまで歪みをもたらしてきました。私たち医学者や科学者は、これに気づきながら、その方法論にとらわれるばかりに、それからなかなか抜け出せずにもがいているのです。

初めにあげたスローガンはそれから抜け出し、新しい医学、科学を築いていくための刺激剤のつもりです。このスローガンに実が稔り、そしてそれを広く社会の人々と共有できるようになれば、21世紀も決して暗いものではないでしょう。

私たちはもう10年間もそのような努力をしてきたのではないかと思われるでしょう。でも未だ日暮れてなお道遠しではないでしょうか。ここらでもう一度、出発点に戻ったつもりで、頑張りましょう。私も21世紀の初めを人生の終わりに迎えた者として、これを通じて何か明るい可能性の芽を残していくことが出来れば幸いだと思っています。 2009年4月1日

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第1期  文理融合科学のすすめ

菅原 努(2010.10.1.ご逝去)

慢性疾患・リハビリテイション研究振興財団理事長・京都大学名誉教授

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 話は1987年に遡ります。その頃私は公務員から引退して河原町丸太町のビルの一室を借りて菅原研究室を開いていました。その活動を広く知ってもらおうと「河原町通信」というニュースレターを随時発行していました。その1987年7月1日号(No.22)に

“The Emeritus” Club というのを書きました。その構想が翌1988年11月に百万遍にパスツールビルが完成することで実現することになったのです。その設立の趣旨には次のように書かれています:

 我が国の平均寿命は年毎に伸び、今では世界最長寿命国の一つに入っている。大学教授や研究者についても他の職場と同様で、定年退職後もなお健康に恵まれ、研究意欲の旺盛な人が大部分である。第二の人生を私立大学などで教育にあたるのも一つであるが、折角の公職からの退職を契機として、新しい形でその健康と研究意欲を社会に役立てる組織を作ろうという趣旨で1988年11月1日に設立されたのがこのイメリタスクラブである。

 このクラブには出来るだけいろんな分野の方に仲間になって頂きたいと思い、そのように働きかけてきましたが、結局メンバーは理、工、農、医と理科系ばかりになりました。文科系の方はどうもこんな雑居ビルのようなところは好まれないのかな、というのが私の感想です。ところで、クラブが1988年に創立10周年を迎えた機会に有志の会員で、このクラブの意義と問題点などを話し合う座談会を持ちました(「環境と健康」11巻5号 座談会:知恵のリサイクルを目指して)。ここで出された話題のなかで、次のような点が問題と考え、これへの新たな対応として関係財団の援助を得て新しいプロジェクトを1999年1月から始めました。

  1. 姥捨て山にならないように、常に若い人との接触をはかる。
  2. 診断はつくけれども治療法がないという病気になった。西洋医学に見放された。西洋医学は分析に力を入れ過ぎではないか。
  3. 研究室にこもっていた生活から、どうしたらその知識を社会に役立つように出来るか。既にその例として太陽紫外線防御研究委員会があるではないか。

 こうして通称「健康指標」プロジェクトが会員の山岸秀夫京大名誉教授を主査として始まりました。正式の名称は「要素非還元主義に基づく健康効果指標の研究」です。その趣旨は「環境と健康」の12巻1号(1999年2月号)に私がEditorialに“21世紀を目指して新しいプロジェクトをー還元主義を超えてー”と題して書いています。その要旨は次のようなことです。

  1. 20世紀後半の分子生物学の進歩、それを背景とする医学の発展は、要素還元主義に基づくものであった。
  2. 医学の世界では、臓器を見て全身を見ない、病気を見て患者を診ない、などの疑問が出されている。
  3. これを乗り越えるすべを見つけたい。その試みとして「分子からこころまで」のプロジェクトにした。

 しかしながらプロジェクト発足5年を経て,50回の講演会を持ち100名以上の先端の研究者の話を聞き、討論をしましたがなお残念ながら要素還元主義を超えてという意味では、十分な成果を得たとは言えないように思います。実は私自身も同じような問題を、がん治療研究を通じて経験しているのです。それを纏めると次のようになります。

  1. 1975年に始めた「貧乏人のサイクロトロン計画」はまさに粒子線作用を要素還元的に物理・化学的なもので置き換えようとするものであった。
  2. 化学的な方法は副作用に悩まされて未だに成功していないが、物理的方法として生理的に耐えられる範囲の加温を用いる温熱療法のみが実用化された。
  3. それには予期した要素(選択的殺細胞効果)以外に広範な働きがあることが期待されるようになってきた。さらに一部ではさまよえるがん患者のこころの支えにもなっている。

 そこで、昨年の夏から 新しいプロジェクトを目指しての模索を始めました。その一つの試みとして昨年7月に近江舞子放談会「21世紀の生命科学と社会」というのを行い、京大人文研の小南一郎教授、弁護士の折田泰宏氏、電通で各種イベントを企画されている和泉 豊氏のお話を伺い、京大三才学林の横山俊男教授の司会で綜合討論を持ちました。その成果は「21世紀の生命科学と社会ー近江舞子放談会」と題した冊子(無料頒布、郵送料別)として2004年7月3日、(財)体質研究会より発行されています。その後、私も老骨に鞭打って読書に務め、視野を広める努力をしました。その結論は文理融合しかないということになりました。

 それをまとめると以下のようになります。

  1. 文科と理科という区別は明治政府の西洋に追いつけ政策の一つの大きな柱であった。しかし、今やこれが大きな障害になっている。この区別を取り払うことが出発点である。
  2. 自然科学として“いのちの科学”を広く理解できるようにするためにも、誰にでも分る言葉で論じ話すことが必要である。
  3. そこで、知のフロンテイアとして新しく「いのちの科学」を、文理の壁を取り払って、一緒になって始めよう。

 この「いのちの科学」プロジェクトは、2004年9月1日より内海博司京大名誉教授を主査に、山岸秀夫京大名誉教授を副主査にして発足した。

                                            2004年9月1日