3. 高自然放射線地域における疫学研究 
 放射線の影響はわずかな量であっても悪いと信じる人の数は多いのですが、このような高自然放射線地域には多くの人びとが何世代にもわたって暮らしています。放射線は微量でも健康に影響があるのなら、このようなところに住んでいる人の健康に異常は生じていないのでしょうか?高自然放射線地域の人々にがんを発症あるいは死亡する割合が高く現れているのだろうか。その疑問に答えるため、このような地域の自然放射線の量と健康状態を調べる大規模な調査研究が行われています。
 中国衛生部工業衛生実験所(現 National Institute for Radiological Protection)のWei Luxin博士を中心とした中国の研究グループは1972年以降、放射線レベルの測定のみならず、住民への健康影響も調査し、その結果をまとめ1980年にサイエンス誌に発表し、世界的の注目を受けるところとなりました。彼等の調査によると、がん死亡は増加しておらず、むしろ対照地域に比べ少し低いということです。遺伝病の増加は見られませんでしたが、ダウン症は例外で、高自然放射線地域で高値でした。しかし、高自然放射線地域と対照地域で母親の出産時年齢に違いがあるなどの方法論的な問題点が指摘され、その後の調査ではこれらの問題点を考慮した検討が行われましたが、ダウン症の増加は確認されませんでした。1980年代には米国がん研究所との中・米共同研究が行われ、女性の甲状腺結節の有病率などが検討されましたが、増加は認められませんでした(Wangら JNCI 1990年)。
 (財)体質研究会は、京都大学名誉教授の菅原努博士を中心として、1992年から中国衛生部工業衛生研究所のWei Luxin博士の研究グループと共同で大規模な疫学調査を進めてきました。現在、
中国における疫学調査データは、高自然放射線地域と対照地域と合わせて約200万人・年の収集・解析がなされており、低線量放射線の生物影響に関する極めて重要な情報が得られつつあります。
 さらに、中国・広東省の高自然放射線地域よりもさらに高い放射線地域として知られているインド・ケララの高自然放射線地域、イラン・ラムサールの高自然放射線地域においても調査を展開しています。

3.1 中国における疫学調査
 高自然放射線地域(広東省陽江県)は、広州から車で3〜4時間のところにあります。この地域には約7万人の人々が何世代にも渡って住み続けています。対照地域としては、高自然放射線地域と生活環境が似ている農村として、陽江県の隣に位置する恩平県を選びました。住民の健康調査は、両地域とも同じ場所に二世代以上住んでいる漢民族系の住民に限定して行いました。陽江県の隣に位置する恩平県で茶色の地域が普通の放射線レベルの地域です(図2)。

 
これまでの調査で、がん死亡は増加しておらず、また、結核等の感染症が減少している可能性があります。中国単独で行われていた時期の疫学データは、1979年からコンピューター上に登録され、その後、日本との共同研究を含め1979年〜1998年にかけて調査された集団(コホートと呼ぶ)の規模とがん死亡率がコンピューターに入力されています。その解析結果を表2に一覧表としてとりまとめました。

表2 観察中のコホートの分析状況(1979〜1998年)
項目 高線量地域 対照地域 合計
人員数 89,694 35.385 125,079
人・年 1,464,929 528,010 1,992,939
全死亡者数 8,905 3,539 12,444
がん死亡者数 855 347 1,202
死亡率(1/1,000) 6.08 6.70 6.24
がん死亡率(1/10万)  58.36 65.71 60.31


 図3は、1979年から1998年までの高自然放射線地域と対照地域の男性、および女性の死亡率を、年齢をパラメータとしてプロットしたものです。
               
 
 上段のa)には、全死亡率を、1,000人に対する相対値として示します。同図から明らかなように、男女により差異はありますが、高自然放射線地域と対照地域での死亡率に有意な差はありません。下段のb)には、がんによる死亡率を、100,000人に対する相対値として示しています。この場合にも男女による差異はありますが、高自然放射線地域と対照地域でのがんによる死亡率に有意な差は見られません。
 私たちは、高自然放射線地域に住み人々の生涯線量を推定して、その単位線量あたりの過剰相対リスクを計算しました。その結果を簡単にまとめると、白血病、および固形がんともに生涯線量との相関はまったく認められないということです。
 それではがん以外の場合にはどうでしょうか。図4は、がん以外の原因でなくなった人の割合を、1,000人に対する相対値として、年齢別に示したものですが、高自然放射線地域と対照地域で、がん以外の原因で死亡する割合に有意な差異はありません。
 これを死因別にみると、他の病気ではあまり差がありませんが、図5に示すように結核だけは高自然放射線地域の死亡率が明らかに低い。もしも高自然放射線地域の方が、対照地域に比べて公衆衛生の状態が優れていれば納得できますが、対照地域と比べて悪いことはあっても良いことはないというのが研究者の一致した印象であり、不思議な現象といわざるを得ません。

                 
                   
                   
                
3.2 インドにおける疫学研究
 
インド南西端、ケララ州のアラビア海に面した海岸地帯に放射線レベルと人口密度から見て世界的にも有数の高自然放射線地帯が存在しています。この地域にはモナザイトを含む黒い砂が堆積しており、これに含まれるトリウム、ウラニウムが高自然放射線の原因となっています。なお、モナザイトにはチタニウムなどの希元素も含まれ、この地方の貴重な鉱物資源となっています。
 調査の中心である、カルナガパリ(Karunagappally)の高自然放射線地域が注目されたのはWHOの専門家委員会が1959年に、チャバラ・ニーンダカラ地域の放射線レベルが高い可能性を指摘してからのことです。この地域の人口は1991年の調査によると385,103人、世帯数約7万を数えます。1990年代に入ってから、トリバンドラムにある地域がんセンター(ケララ大学の付属施設でもある)がカルナガパリ住民全員の生活習慣調査を行うとともに、がん登録センターRCCを設立して、当地方のがん罹患率などの調査をはじめました。がん登録のデータは世界がん研究機関から出版されている「5大陸のがん」にも掲載されており、比較的信頼できるものと考えられます。
 (財)体質研究会は1999年よりRCCと共同研究を開始し、2001-2002年に、ケララ州カルナガパリ地区の高自然放射線地域4支区(チャバラ、ニンダカラ、アラパド、およびパンマナ、約12万人)と対照地域2支区(オアチラとテバラカラ、約6万人)にコホートを設定しました。これらの6地域には、約35,000棟の家に、約200,000人が居住しています。
 がん登録は地区の全住民について行いました。1990から2001年までの間の全死亡者数、がん死亡者数および、がん発生数のデータを収集しました。情報が収集された地域のがん患者の全死亡例は内容を確認し、さらに追跡調査により死亡に関する詳細な情報を家毎に調査しました。また、これらの地域においてがん発症に影響を与える交絡因子について、質問票による調査など、コホート研究を中心とした調査研究と同地域の線量測定を行うための作業を行いました。その中で、主要な発がん部位は男性では、肺、食道、胃、口腔、および舌で、女性では、乳房、子宮頸部、甲状腺などでした。また、1990年〜2001年のデータにつき、線量レベル別の検討を行い、リスク評価を試みました。
 発がん率に関する主な知見としては、男性に見られた肺がん発生の増加と女性における甲状腺がんの高い発生率で、これについては、さらに検討が必要です。また、子宮頚がんは、一般にはその発生率は乳ガンに比較して低率にもかかわらず、この集団では、子宮頚がんと乳がんの発生率がほぼ同レベルでした。
 しかし、得られた結果は、中国の高自然放射線地域での調査結果とほぼ同様なもので、初期の断面分析では、がんの全体の発生率は両地域で変わらないことが示されています。
 インドの調査は中国より対象者数が格段に多いこと、線量が高い地域が多いこと、がん死亡でなく罹患が得られていること、地域の全ての家屋で線量測定が行われていること、住民全員の生活習慣調査が行われていることなど重要な長所を持っています。しかし、一方で、住民に漁師が多いため陸上での被ばく時間が比較的少ない可能性があること、死亡調査における死因の精度に疑問がもたれること、などの短所があります。また、インドの調査地域住民の方が中国での調査地域住民に比べて、集団の異質性が高い傾向があるように思われます。これまで既に、中国では生涯線量の推定が行われ、がん死亡に関して線量当たりのリスク推定も実施されました。その値は、ほぼゼロかゼロより低い値ですが信頼区間は広く、その上限はIARCの15ヶ国プール解析で得られた過剰推定値を含んでいます。インドでも同様の解析を実施しつつあり、近く18万人のコホートについての推定値が報告されるものと思われます。予備的な結果では、中国で得られている値と大きく異ならないことが報告されています。

3.3 イラン:がん発症記録調査−資料の点検と確認−
 
ラムサール(図6)は、エルボルツ山のふもとにあり、カスピ海を見渡す美しい都市です。 ラムサール地域の人口は、1996年の人口調査では64,440人で、そのうち、45,193人は都市部に、19,247人は郊外に住んでいます。町の東南に、Chaparsar、Talesh Mahelleh、およびSadat Mahalehと呼ぶ3つの高自然放射線地域があります。ラムサールにはラジウムを含む温泉が多くあり、ラムサール地方の温泉地帯に住む住民は、これまで調査を実施してきました。中国・広東省およびインド・ケララ州に比べてさらに高い自然放射線に被ばくしています。人口密度の点で、コホートの設定は困難ですが、当地のがん登録センターによるがん登録を利用したがん発症調査が可能です。このため、平成15年4月に現地に行き,がん発症調査記録の確認と点検を行いました。また、主な地点の放射線量のチェックを行い、全体に非常に高い自然放射線地域であることを確認しました。図7は調査中の環境線量の変化を示していますが、ラムサール地域が非常に高い自然放射線地域であることがわかります。
 ラムサールでは、がん発症記録より、地域における発がん率を求めました。高自然放射線地域の年齢調整のがん発生率は10万人当り82.0人であり、対照地域では81.6人でした。高自然放射線地域の全死亡率は、1万人あたり57.2人で、そのうち、がんによる死亡率は8.3人でした。対照地域との比較では、高自然放射線地域で死亡率が少し高いでした。しかし、高自然放射線地域と対照地域でがん死亡率とがん発生のパターンはちがっており、さらに詳しい研究が必要です。
                  

      


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− 世界の高自然放射線地域の健康調査より −
 
1. はじめに

2. 世界の高自然放射線地域


3. 高自然放射線地域における疫学研究
   
    3.1 中国における疫学調査

    3.2 インドにおける疫学研究
  
    3.3 イラン:がん発症調査記録−資料の点検と確認−

  
4. 高自然放射線地域住民の染色体について