1999.9.1

 

  3. 天寿を全うする
 

 

 私が放射線と老化の関係に疑問を持ちながらもなお老化の研究を進めてきたのは、学生時代に読んだメチニコフの長寿の科学的研究という本の強烈な印象があったからである。この本は「楽観論者のエッセイ」というのが元の題名で昭和十七年に「長寿の科学的研究」と訳されて出版された。メチニコフはロシア生まれの生物学者でパリーのパストゥ−ル研究所で活躍し、1908年に食細胞の発見という功績で、ノーベル賞を受けた大科学者である。食細胞というのは白血球の一種で体内に入った異物などを食べて処分する働きをするもので、現在ではこれが免疫反応の引き金になると重視されているものである。

 この本でメチニコフは人間を含むいろいろの動植物の死に方を調べ、人間には天寿というものがあって、それが全うされれば安らかに死ねるのだと考えた。しかし、実際には多くの人々はいろんな健康上の障害のために天寿を全う出来ないで不安のうちに死を迎えることになる。この障害の最大のものが腸内細菌の生ずる有害物質による自家中毒で、これを乳酸菌(いわゆるヨーグルト)で置き換えることで長寿が得られるのだというのがメチニコフの主張である。

 メチニコフは天寿の傍証として有名無名のいくつかの例をあげているが、私はその中で80才を過ぎて大作ファウストを完成し、若い少女に恋をしたゲーテの伝記に感激し、当分ゲーテに没頭した感激は今も忘れられない思い出である。

 さて、この本の中に次のような記事がある。それは九十三才の女性の言葉として、「もし、あなたが私位の年になったら、死がちょうど眠りのように必要なものになるということが分かるでしょう。」と。私にも昭和の初めに94才の曽祖母を送ったことがあるが「こんなに沢山、大学生までいる曾孫達に送られてあの世へ行けるのは楽しい」と言って眠るように死んでいったのを今でも憶えている。 残念乍らメチニコフは71才の誕生日に病の床にあり、「私は71才に達した。永らく病むことなしに急速に死にたいという私の夢は実現しなかった。・・・」と手帳に記し、その後自らペンはとることの出来ない状態で二ヶ月後に死を迎えた。それでも彼は老化研究への大きな指針を残してくれたことを忘れてはならない。

 現在の我が国には百寿者(100歳以上の人)の研究がある。1963年には153人であった百寿者が、1997年には8,491人に増えている。これは大変嬉しいことではあるが、そのなかに従来の遺伝的エリートとも言うべき百寿者のほかに、高度な医療やケヤーに支えられて100歳にとどいたという有病百寿者が存在するということである。これを見るとどうやら、医療の関与が複雑で天寿の研究はかえって難しくなったように思われる。

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